好きな人
今日も、学校が終わった後、昨日に引き続いてメイがうちにやってきた。
本当に水曜日以外はこれが続くようだ。
今日は花金。
頑張ろう。
いつも通りに、宿題のプリントに取り掛かる。
メイに言われた通りに、最後まで自力で解けるようになるまで繰り返し解く。
1学期までの内容は、わからないことがまだあまりにも多いが、2学期になって新しい単元に入ったので、気分一新、やる気に満ちている。
毎時間新しいことを学んでいくが、ひとつの単元の中では積み重ねの傾向が強い。
なので、初めの土台を固めてスタートが切れると、不思議なくらい新しい内容がすーっと頭に入ってくる感じがする。
必ずしもいつもそうとは限らないが、つまずいてもメイわかるまで丁寧に教えてくれる。
そのおかげでそれを自分のものにして、次を迎え撃つ。
まるで賢者を味方につけて、数学という巨大な敵に挑む剣士のような気分だ。
こんなゲームがあったら、高校生に爆売れしそうだ。
いや、売れないな。
ゲームの中でまで数学をやりたい奴はいないから。
俺は買うけど。
その翌日の土曜日。
学校は休み。
数学で頭を使い過ぎたせいか、いつもより遅くまで寝てしまった。
とりあえず、朝ご飯を食べたら、いつもの土曜日のルーティンに入る。
時間は朝の9時過ぎ。
まずはムーアのケージの掃除から。
その後は、俺の部屋の片づけと掃除。
ムーアは放し飼いなので、1日のほとんどを居間のカーペットの上で過ごしているが、トイレはケージに戻ってする。
完璧にはできないので、たまに糞が居間に落ちていることがある。
ウサギの糞は丸いので、ウサギ飼いのブロ友さんたちのブログでは、糞は〇と書かれることが多い。
とてもありがたいことに、草食のウサギの〇は、イヌやネコとは違ってほとんど匂いがない。
たいがい発見したときには乾いていて無臭だ。
真ん丸の愛嬌のある小さな〇が落ちていたら、黙ってゴミ箱に放り込むだけ。
ケージの掃除だが、基本的には、脚の裏を守るためにすのこの上に敷いている穴の空いたやわらかいプラスチックの板とトイレの水洗いをする。
この掃除の二回に一回は、一番下の引き出しのようになってるパーツを引き出して、中に落ちている牧草などを捨てて、それも水洗いする。
ケージの掃除が終わって一休みしていたら、玄関の呼び鈴が鳴った。
近づくと
「おじさん、鍵開けてよ。」
今日は誰も玄関から外に出ていないらしい。
鍵を開けてガラガラと扉を開けると、待ちきれないといったように「おはよう」と同時にメイがするっと俺をかわして家に入っていく。
居間に戻ったら、もうムーアと遊んでいる。
しばらく待つしかない。
ムーアとの戯れを終えたメイに
「今日は何?母ちゃん呼ぼうか?」
今日メイが何しに来たのか皆目見当がつかないので、気を利かしたつもりなのだが
「えっ?」
メイが「それこそ何」といった顔をしながら、座卓に着く。
かばんから数学の教科書などを出し始めた。
「私の部活がある日以外は勉強会するって約束したでしょ。だから来たんですけど。」
何わかりきったこと聞くの、と言わんばかりだ。
そう約束はしたけど、今日は土曜日だろ。
休みの日までうちに来て勉強させる気か。
楽しそうに用意をするメイに余計に苛立ち、思わず怒鳴ってしまった。
「はあっ?今日は休みだろ!何で休みの日まで勉強会なんてやらなきゃならないんだよ!いいかげんにしろよな!休みは休ませろ!」
メイは「えっ」と小さく驚く。。
顔がこわばっている。
やがて、すまなさそうな顔になり、目が潤んできた。
「そうだよね。休みの日まで勉強会したいわけないよね。ごめんね。これだから、私ダメなんだよね。」
必死で涙をこらえている。
「おじさんに数学を得意になって欲しくて。昨日宿題が終わったから、私の持ってる問題集をコピーしてきたの。でも、これってありがた迷惑だよね。ほんとごめん。ごめんね。」
あー、またやってしまった。
怒りに任せてひどいことを言ってしまった。
ダメなのは俺の方だ。
メイにしてみたら、俺のことを思ってくれてのことなのに。
休みの日はメイにも休みで、その貴重な休みを俺のために使ってくれようとしているのに。
人の気持ちがわからない俺は最低な男だ。
いつもメイの優しさに甘えて、好きなことを言って傷つけて。
謝らないと。
でも何て。
言葉を探していたら、メイの右目からこらえきれずにツーと涙が伝った。
あー、泣かせてしまった。
メイはちょっとやそっとのことでは泣かない子だ。
そんなメイが泣くのは、自分が嫌で悔しいときだけ。
きっと、俺が怒鳴ったことより、俺の気持ち抜きによかれと思って休みに押し掛けた自分を責めているんだろう。
これがドラマだったら、「ごめん」と言いながらメイを抱きしめて終わりなのだが現実はそうはいかない。
すこし沈黙が流れる。
涙をぬぐいながら
「帰る。ごめんね。」
と言って、メイが立ち上がる。
そんなに何度もごめんって言うなよ。
「座れよ。」
こう言うのが今の俺には精一杯。
メイは立ったまま俺を見ている。
「座ってくれ。」
もう一度言う。
返事はないが、ゆっくりと座ってくれた。
次の言葉が探せない。
素直に謝ったらいいだけなのに。
と、ムーアがむくっと起き上がり大きななあくび、そして跳ねてきてメイの脚の横で長くなった。
そんなムーアに愛おしそうな眼差しで
「ありがとう、ムーア。」
とささやくメイ。
メイの白い手がムーアの頭に伸びる。
黙ってムーアの頭を撫で続ける。
それを見守る俺。
心に刺さったものがどんどん抜け落ちていく。
「美樹。」
なぜか美樹と呼んでしまった。
「はい。」
なぜかいつも「美樹」と呼んだときは「はい」と答えてくれる。
だから、めったに美樹とは呼ばない。
「さっきは」
と言いかけたところで、空の洗濯かごを持った母が二階から降りてきた。
そして、赤くなったメイの目を見て、心配そうにメイに寄っていく。
「何かあったの?真ちゃんが何かしたの?」
確かにそうだけど、初めから決めつけないで欲しい。
「何もないよ。ほんと、何もないから、おばあちゃん。」
無理に笑うメイが痛々しい。
「そう?」
いぶかしげに母が俺を見る。
「何もないって。」
面倒くさそうに母の目に答える。
少し間をあけて
「ならいいけど。」
絶対納得がいっていないのがわかる。
「飲み物でもするから、待ってて。」
母が厨房へ消えた。
改めてメイに告げる。
「さっきはごめんな、メイ。」
素直な気持ちが口をついて出た。
「何で?私が悪いのに。」
「いや、俺が悪い。・・・お前って・・・本当に優しいな。それなのに・・・」
言葉に詰まる。
「おじさんは悪くなんてないよ。私がバカだから休みの日にまで来ちゃって。ほんと、ごめんね。こういうのっていつまでたっても治らないな。自分が嫌になるよ。でも、なんとか普通になるように頑張るから、おじさんは見捨てないでね。」
最後のあたりから泣き笑いになる。
そんなふうに自分のことを思っていたのか。
だから、そのたびに辛い思いをしていたんだな。
メイが自分ではわかっていないと思っていただけに、メイとの関係の中でそのことを意図的に避けてきた。
メイをフォローしてきた気になっていた。
違ってたんだ。
メイにしてきたこと、それこそ、よかれと思ってしてきたこと、その全てに、詫びても詫びきれない気持ちになる。
「見捨てるななんて・・・そんな悲しいこと言うなよ。お前は今のお前で全然いいから。俺は、今のお前が」
と言いかけて、慌てて止めた。
危ない!
これだけは、言ってはいけない。
少し間が空いたが、続けた。
「かわいいよ。俺のかわいい姪だもん。」
噓つきだ、俺は。
「ありがと。」
今度は本当のメイらしい微笑みに変わった。
「できたよー、取りにに来て。」
厨房から母の大きな声がした。
メイを制して俺が受け取りに行く。
戸を開けて、銀のトレイを受け取る。
いつもの緑のクリームソーダ。
一般家庭にはおそらくないであろうあの異常に長くて匙の部分が小さいスプーンで、メイが上に乗ったアイスをすくって口に入れた。
「おいしい。」
やはりメイにはいつも笑っていて欲しいな。
「せっかくだから、この後、そのコピーの問題をやろう。」
メイの機嫌を取るわけではないが、このまま帰せない。
「えっ。あー、いいよ無理しなくても。」
「そんなんじゃなくてさ、コピーもらったとしても、お前に教えてもらえるときにやらないと、一人じゃどうせ止まっちゃうし。せっかくなのに、なんか、もったいないだろ。」
「そう?なら少しだけしようか。」
遠慮の塊のようなメイを見ていると、別の子がいるみたいでおかしくなる。
クリームソーダを飲みながら、どうでもいい話をする。
優しい時間が流れる。
だが、それは長くは続かない。
ソーダを飲み終えて一息つくと
「あ、そうだ。」とメイの顔がニヤリとなった。
嫌な予感。
「ねえ、おじさん、この前友達と好きな人の話になったんだけど、好きな子いる?」
「はぁ?」
固まってしまった。
何なんだ、これ。
どう考えても今の流れ的にそれはないだろ。
言葉の意味はわかるが、俺の頭がコマンドを処理できない。
「だから、好きな女の子いる?」
そういう意味か。
やっと質問の意味が把握できた。
ポッと久美子の顔が浮かんだ。
それにしても、さすがメイだとしか言いいようがない。
いや、これこそがメイなのだ。
『泣いたカラスが・・・』を地でいっている
ストレートの真っ向勝負もメイそのものだ。
久美子のことはもちろん言えない。
それよりも、メイからの質問ごときに、フリーズする失態をさらしてしまったのが癪に触って、ちょっとメイをからかいたくなった。
「いるよ。」
「えっ、ほんと。誰、誰!」
メイが身を乗り出してくる。
「言えない。」
と、わざとらしく手を合わせて身をくねらせてやった。
「やめてよ、気持ち悪い。」
メイが不機嫌そうに言う。
「で、誰!」
私が真面目に聞いているのに・・・と言わんばかりのメイが面白くて、さらに悪乗りしてしまう俺。
俺はいかにも恥ずかしそうなそぶりでうつむいて
「タカコ。」
と答えた。
「誰、それ、うちのクラス?苗字は?」
かなり早口になっている。
興奮の度合いがある域を超えたとき、メイはこうなる。
滅多にないが。
そろそろかな、と俺はフィニッシュを決めに掛かる。
「コウサカ。コウサカタカコ。」
メイは、しばらく自分のデータベースから該当する子を照合していたが、急にあっ!と言う顔になった。
「もう!誰かと思ったじゃない。いい加減にしてよ。」
かなり怒っている。
やりすぎたかな。
でも、言った瞬間にわかれよな。
「本当の好きな女の子、誰!」
もう噛みついてきそうな勢いだ。
それが人にものを尋ねる態度か?
そもそも、そんなセンシティブなことに、俺が答えることが前提なのがおかしくない?
少し、いや、だいぶ腹が立ってきた。
俺は、わざと冷静を装って、メイを挑発するようにゆっくりとした口調で
「まぁ、いないわけでもないけど、何で急にそんなこと聞くのかなー。いてもお前に言えるわけないことくらいわかるよねー。」
これは完全にメイの怒りの火に油を注いでしまった。
「なんで!!」
目が血走っている。
まずい。
これは、落としどころがないヤツだ。
「こ、これは、秘めてこそ美しいんだよ。」
と、ドラマか何かで気に入っていつか使おうと思っていたセリフで切り抜けようとしたが、この程度で何とかできるメイではない。
一呼吸おいて、メイも少し冷静になった。
「教えてよ。」
「言えるかよ。」
「いいじゃない。」
「いいことあるか。」
「なんで教えてくれないのよ。」
「だから、教えられるかよ、そんなこと。」
しばらくこんなやり取りが続いた後、俺はいいことを思いついた。
「ひとに聞くのなら、まずは自分の方から先に言えよ。お前の好きなヤツ。」
これにはさすがのメイもたじろいだ。
ここが攻めどき。
「友達と好きな男のこと話したんだろ。で、誰って言ったの?」
「えっ!」
「誰?」
「えっ!えっ!」
完全にパニックになっている。
手が意味もなくパタパタと上下に動いている。
これは面白い。
こんなもの滅多に見られるものじゃない。
勢いに任せてぐいぐい推してきていたのに、俺のひとことで急にたじたじになったたメイを、かわいいなと思いながらも、なおも俺は攻め続けるが、緩急も必要。
「で、誰?」
わざとらしいが優しく問う。
「わ、わ、私は特にはいないって言ったかな~。」
わかりやすすぎる。
嘘がばればだ。
「で、誰!」
強めにダメを押す。
「あ~、いや~、その~。」
メイがうつむいて歯切れ悪くごまかそうとする。
なかなか顔を上げない。
どうしますか?いつまでも待ちますよ~。
しばらくして真っ赤な顔を上げて
「この話、やめよう。」
お願い口調で、久しぶりにメイが白旗をあげた。
俺も、貴重な一勝に十分満足したので終戦協定に応じてやった。
その後は、互いの知りうる情報から、女子に人気の男子や男子に人気の女子の話になった。
メイの口から出てきた男から察するに、勉強できる系より、さわやか系、スポーツマン系、お笑い系がやはり人気があるようだ。
具体的な名前も聞いて、今後参考にしようと思った。
俺が人気のある女子の名前を挙げていくと
「あの人はかわいいよね。優しいし」「あの人はいい人だよ、私、好き。頭もいいし」などと一人ずつ解説してくれた。
「田村美樹さんも人気があるんだぜ。トップ3に入ってる感じ。」
と教えてやったが
「また~おじさん、嘘ばっかり。おもしろく言うんだから~」
と、スルーされた。
本当に知らないのか?と思いつつ
「ほんとにほんと。吉岡なんてお前にメロメロなんだぜ~。」
あっ!つい吉岡の名前を出してしまった。
吉岡、ごめん。
でも毎日のように「今日もメイちゃんかわいいなー」などと言ってるお前が悪い。
すかさず
「他にも、お前のファン結構いるよ。他のクラスにもいるって聞いたよ。」
と、吉岡をフォローしておいた。
「え~!ほんと?ほんとにほんと?」
と驚きながらも、ほほを赤らめて嬉しそうなメイ。
そんなこと、男女問わずクラスでは周知の事実なのに、自覚がないのがメイらしいところだ。
校内でメイを見かけたら、多くの男どもは客観的にかわいいと思うだろうな。
俺も、姪でなけりゃ田村美樹に本気で惚れてたかも。
でも、それだったら永遠のエキストラの一人で終わっていた可能性が大だけど。
それにしても、メイが惚れてるヤツって誰なんだろう。
ちょっと焼けるのが、メイが普通の恋する乙女でよかった。
PS 今日、この上ないタイミングで俺たちを助けてくれたた優しいムーアに、ウサギのおやつを買ってあげました。