友だち
今朝はなぜか早く目が覚めてしまった。
ベランダからギシギシと板がきしむ音が聞こえる。
母がもう洗濯物を干しているのがわかる。
下に降りると、居間と厨房の間の戸が開いており、包丁を持った父が、1mほどある肉のブロックからいらない部分を取り除く「掃除」をしていた。
俺の朝は、ムーアの水を換えることと、ペレットと牧草を補充することから始まる。
朝は忙しいので、母はムーアにかまってあげられない。
なので、朝のウサギの世話は、二代目の時からもっぱら俺の仕事だ。
それが済んだら、朝ご飯。
俺の朝ご飯は、基本、自分で好きなように食べることになっている。
店の大きな保温ジャーから茶碗にご飯をつぎ、店の味噌汁をお玉ですくう。
その後は、居間でテレビを見ながら、辛子明太子や、味付けのり、佃煮、ふりかけなど、その日の気分で何かをおかずにご飯を食べる。
今朝は、久しぶりに卵かけご飯をささっと食べて、いつもより1時間以上早く家を出た。
自分としては早い方だが、グラウンドでは多くの生徒が、部活動の朝練習をしていた。
朝早くからご苦労様です。
教室に入ると、まだだれも来ていなかった。
この時間を利用して予習でもすればいいのだが、それができないのが俺だ。
俺としては、一人きりの早朝の教室というまたとないシチュエーションをまったりと堪能したい。
ぐで~と机の上でくつろいでいると、後ろの戸が開く音が聞こえた。
反射的に振り返ると、高橋だった。
高橋彩音。
社交的で友だちも多い。どこか大人っぽい落ち着きを感じる子だ。
まだ話したことはないが。
おそらくいつも教室へ一番乗りなのだろう。
俺がいることに驚いていたが、すぐに気を取り直して
「おはよう。早いね。」
と、高橋の方から声をかけてきた。
普通のことかもしれないが、予想もしていなかった俺は
「あ、ああ、おはよう。」と少し慌てた。
「今日はたまたま早く起きたから早く来たんだ。」
我ながら、もうちょっと気の利いた返事ができないものかと不甲斐なく思いながらも、なぜか少し話したいなという気持ちになった。
「高橋さんは、いつも今日くらいの時間?」と思い切って聞いてみる。
「うん、私、電車通学だからいつもこの時間。もう1本遅いので来る人が多いんだけど、それは混むから嫌で、私は早いので来るの。」とのこと。
「ふ~ん」としか、返す言葉が見つからない。
「福嶋君は自転車?」
「うん。」
「近いの?」
「だいたい10分くらい。」
それを聞いた高橋が少し不満げに羨む顔をした。
「いいなー近くて。私はどこの学校も中途半端に遠くて。家から駅まで自転車でだいぶ掛かるし、駅から電車だし。電車降りたら歩きだし。通学だけで疲れるよ。」
自虐的な笑みを浮かべる高橋。
「へ~。じゃ、かなり早く起きるんだ。」
「そう。もっと寝てたいよ、ほんとに。」
「そうだよね。俺なんて、起きたの30分ほど前だよ。」
「えーっ。信じられない。」
そう言った後、高橋の口が「あっ」と動いた。
声は聞こえなかったが。
「そうそう、福嶋君って田村さんのおじさんなんだよね。」
と想定外の問いが飛んできた。
「うん。あいつの母さん、俺の姉さんなんだ。かなり年が離れてるけど。」
「へー、そういういう関係なの。私もおじさんいるけど、みんな本当にオジサンだから、叔父さんと姪が同じ学年って、かなりレアよね。」
「そう、知らないヤツに言ってもなかなか信じてくれないんだよな。よく彼女と勘違いされるよ。」
メイの話になると、俄然流暢になる俺。
「それに、アイツの方が半年ほど年上だし。いったいどうなってんの?赤ん坊のころの俺、メイにおもちゃにされてたらしいよ。」
おれは受けを狙って困った顔をして見せた。
「ほんとにー?」期待通りに高橋が面白がってくれた。
うちの学校では、1学期は出席番号順に座席が決められている。
高橋はメイの前の席である。
そういえば、高橋が後ろを向いてメイと話している姿をよく見かける。
「なぁ高橋さん、美樹って変わってるだろ。何ていうか、空気読めないみたいな。話しててムッとすることもあると思うんだよ。でもな、あいつ悪気はないんだよ。そうゆう喋り方しかできないんだ、ずっと。だから、中学の時から最初はなかなか友達ができなくって。でも、裏表のないいい子なんだよ。友達になってやってくれないかな。」
このあたりで、俺は自分が何を言っているんだと我に返った。
友達になってやってくれなんて、とんでもないことを言ってしまった。
高橋は、初めはきょとんとした顔で聞いていたが、俺がしゃべり終わるとにっこりと微笑んで
「そんなの、とうにわかってるよ。」と答えた。
「私も、どちらかというとそっちだから、メイちゃんと話してて楽しいよ。それにもう友だちだし。次の日曜日、いっしょに映画見に行くんだ。」
よかった、新しい友達ができて。
美樹の天性のもっているものは、もっていないものを引いても余りあるんだろうな。
「それにしても、福嶋君って、メイちゃんのお父さんみたいだね。」
自称「学校での保護者」を言い当てられ、恥ずかしくて返す言葉がない。
苦し紛れに
「そんなんじゃないよ。でも何かアイツ危ないから見てないと。で、映画って、何の映画を見に行くの?」
と話を逸らす。
高橋の口からでたのは、俺が見に行こうと思っていた映画だった。
次の日曜日でも、と思っていたところだ。
映画好きの俺は、映画は一人で見に行くというポリシーがある。
見終わった後、誰とも話したくないので。
聞いといてよかった。
鉢合わせしないで済んだ。
俺は再来週に見に行こう。
と、前の戸が開いて、高坂が入ってきた。
高坂は、俺を見て、えっと言う顔をした。
一瞬チラっと高橋を見たが何も言わない。
高橋もだが、俺にしてくれたような挨拶を高坂にはしない。
そのことは別段気にならなかったので、いつもの感じで
「おはよう、タカ。お前、いつもこんなに早いの?」と尋ねた。
高坂は、動揺を隠そうとして隠しきれないでいる。
「あ、いや。そうでもないよ。今日は何か早く来たい気分になったっていうか・・・」と、しどろもどろだ。
なんだこいつ。
何を焦ってるんだ?
それに、高坂が来てから、高橋も何かよそよそしい。
もう話をしてくれそうにない雰囲気。
何だろうこれ、と思っていると、3人の男子が、ゲームの話をしながら教室に入ってきた。
かなりオタクっぽいコアな話をしている。
それをもって、その場はお開きになった。
高坂がサッカー部に入ってから、放課後に話すこともなくなったので、少し話したかったが、高坂は、そそくさと自分の席に座った。
まるで、俺を避けるように。
高橋も前を向いて何かを始めた。
今になって思う。
俺も鈍いな。
普通、わかるよな。
これじゃあ、メイに偉そうなことを言えないよ。
もう、早く目が覚めても早く登校するのはやめよう。
馬にけられて死んじまうのはごめんだ。