メイとおじさん
今日も暑い。
学校から帰って、いつものごとくルーティンをこなし、居間に寝転んでムーアをなでながら涼んでいた。
超極上の生活。
もう、何もいらない。
そんな、いつもの俺たちのゆる~い生活に、刺激を与えるがごとく
「ただいまー」
と厨房の方から元気いっぱいの声が聞こえた。
その瞬間に、ムーアがパッと頭を上げる。
居間と厨房は戸1枚で隔てられている。
厨房から外に出る方の戸はいつも開けっ放しで、そこからの声だ。
両親と俺の三人家族の我が家に、「ただいまー」の挨拶で帰ってくる人間がいるのも変なのだが、もう慣れてしまっているので、何の違和感もない。
厨房から、「おかえり、暑かったろう」と、嬉しそうな父の声がした。
おそらくは、俺には100年に1回ほどしか見せない破顔で孫を迎えているんだろうな。
子どもには責任があるが、孫には責任がないとはよくいったもので、あの父が、孫には何でもありのやさしいだけのおじいちゃんになってしまう。
母も同じだ。
いや、もっと甘い。
まさに目の中に入れてしまいそうなおばあちゃんになってしまう。
「学校は中学校より遠くなって大変だろうけど、帰り道の途中なんだからもっと寄っておくれよ。」
などと、まさにお願いモードだ。
「ごめんね、おばあちゃん。入ったばかりだから、いろいろやらないといけないことがあって。」
とメイが答えると
「ちょっと顔を見せてくれるだけでいいんだよ。」
などと会話が続く。
厨房からの話し声が聞こえなくなると、ほどなく玄関の戸がガラガラと開く。
それと同時に、「ただいまー」の大きな声が。
靴を脱いで揃えているのか、少し間を置き、居間の戸が開く。
「たっだいまー」
あきれるほどの能天気な声とともに我ら男チームのくつろぐ居間に、俺の通う高校の制服を着た女の子が入ってきた。
その子は、居間に入るなり、目を閉じてぎゅっと握った両手のこぶしを胸の前で震わせている。
「お帰り、メイ」と答える俺の声など聞こえていない。
こぶしの震えが止まると同時に、「あ~涼し~!!」と歓喜の雄たけびが響く。
そして「あ、おじさん、帰ってたんだ。」。
彼女は俺のことを「おじさん」と呼ぶ。
小さいころから、と言うよりメイが言葉を発するようになってから、ずっとそう呼ばれている。
俺の方は、ずっと彼女を「メイ」と呼んでいる。
だが、本当の名前は美樹。
田村美樹。
彼女は、俺の姉の娘だ。
なので、俺の姪になる。
つまり、俺はメイのおじさんなのである。
メイはかわいい。
叔父である俺から言わせてもらっても、客観的に見て、明らかに美少女の部類に入ると思う。
半袖の白いセーラー服と紺の少し短めのスカートから伸びる手脚は、透き通るように白い。
少し茶色っぽい長い髪もきれいだ。
スタイルもいいし、大きくはないが胸だって普通にある。
見るアングルによっては、つい見とれてしまい、「これはまずいな」と思うこともある。
現に俺の周りには、メイに思いを寄せるヤツらはかなりいて、よく「お前はいいよな」などと妬まれることがある。
メイが俺に寄ってきて楽しそうに話をするのを見た後などは特に。
話の内容のほとんどは「○○を貸して欲しいから今度持って来てとお母さん(俺の姉)が言っていた」とか、「おばあちゃん(俺の母)に○○って言っておいて」といった業務連絡なのだが。
よく「近い!」と思うのだが、メイは何も考えていない。
と言うよりも「安全な私の叔父さん」としか思っていないことがわかりすぎる。
メイは勉強もトップクラスなので、天から二物を与えられているのだが、困ったことに、それらが軽く吹っ飛んでしまうほどの致命的な欠点がある。
それは、あきれるほどにひどい天然であること。
いや、激しいKYと言った方が正しいかもしれない。
一番の問題は、思ったことをそのまんま口にしてしまうこと。
全く他意はないのだが、気付いたときには後の祭り。
「あっ!またやっちゃった」と思うらしいが、発した言葉は呑み込めない。
そのせいで、中学で新クラスになったときなど、メイのことを知らないクラスメートを不快にさせてしまうことがあり、初めはなかなか新しい友達ができなかった。
だが、時間が経つにつれ、メイの思いやりに満ちた優しい人柄に触れ、メイの言葉に他意のないことがわかってくると、この子はこんな子なんだなと皆がわかってくれる。
そして、笑って流してくれるようになる。
やがて、皆が、親しみを込めて声をかけてくれるようになる。
友達との話の輪の中で、いつもメイが笑っていた。
だが、高校ではどうだろうか。
中学のときのように、受け入れてもらえるだろうか。
入学前から、そのことがとても心配だった。
だが、そんな俺の心配などどこ吹く風?といわんばかりに、メイはどんどんクラスに溶け込み、男女を問わず、次々と友達を増やしていく。
自分も高校生になったばかりだが、やはり、高校生は大人だな、と思う。
メイに気遣って大人の対応をしてくれているのがよくわかる。
不思議なくらい、みんな優しい。
自称「学校での保護者」としては、安心して見ていられそうだ。
世間では、叔父が姪より年上なのが普通だが、困ったことに、半年ほどメイが俺よりお姉さんで、生まれた年でいうと、早生まれの俺が一歳年下になる。
なんとも悔しいが、それですんでよかった。
俺の誕生がもう2月ほど遅くなって、学年が一つ下になっていたらどうなっていたことだろう。
あいつのことだから、俺のことを完全に年下扱いで、よくて弟、最悪はそれ以下だったかも。
今でも、結構上から目線のことが多いから、そうならなかったことに両親に感謝だ。
おかげでなんとかメイとは同じ学年である。
俺の高校は1学年が8クラスもあるのに、なぜかメイと同じクラスになってしまった。
良くも悪くも。
こういうのって、事前に事情を学校側に説明すると、別々のクラスになるように配慮してもらえるそうだが、そんなこと、どちらの親も入学前には知らなかった。
入学式に俺たちの二組の親子は、張り出されたクラス名簿を見て、「えっ!!」となった。
それよりも、保護者懇談で、俺の親とメイの親から、俺とメイの関係や俺の親とメイの親の関係、メイの親と俺の関係、そして俺の親とメイの関係などを知らされた担任の方が、よっぽどびっくりしたと思うけど。
メイが生まれてから、メイ母子が毎日のように我が家に来るようになったらしい。そして俺が生まれた後は、俺とメイは姉弟のようにして育てられた。
とはいえ、最初は生まれたばかりのすやすや寝ているだけの俺と、すでにハイハイしているメイだ。
メイは、やがては、寝てばかりの赤ん坊の俺を、おもしろがって、よくツンツンしていたそうだ。
小さい頃は女の子の方が発育がいいし、半年も違うとメイの方がかなり大きかったというのもわかる。
この二人が、同じ学年で入学するのを母は憂えたそうだ。
そして、言葉を発するようになったころ、俺は美樹のことを「メイ」と呼ぶようになった。
それは、母や姉がおもしろがって、俺に「美樹はあなたの姪よ、姪なのよ、お姉さんじゃないのよ」などと毎日のように言って聞かせたからだ。
何分幼児には「姉」、「美樹」、「姪」の関係が分からず、結局「姪」が一番言いやすかったからか、美樹のことをメイと呼ぶようになったらしい。
母と姉はしまったとばかりに美樹と呼ばせようとしたが、反対にそれを面白がってメイとしか呼ばなくなったそうだ。
今は、まれに美樹と呼ぶこともなくはないが。
メイも「真ちゃんは、あなたの叔父さんなのよ」と教えられ、あの頃は素直だったメイは、「おじさん」と呼ばせたいのだろうと判断したようだ。
母も姉も、本来はそう呼ぶべきだが、知らない人が聞いたら変だろうと思い、途中から「真ちゃん」と呼ばせようとしたが、やはりメイも一度刷り込まれた呼び方を変えることなく、今に至っている。
幼稚園、小学校、中学校と大きくなっていってもそのままそう呼び合っていたせいで、中学校の卒業前にはおそらくらく8割ほどの生徒がおもしろがって、「おじさん」と「メイちゃん」と俺たちを呼ぶようになっていた。
高校でも、同じ中学校から来たヤツらには、俺たちのことをそのままの呼び方で呼ぶやつやつもいる。
中学校までは「おじさん」を許可していたが、華の高校生活では他の中学校から来た生徒から「おじさん」と呼ばせるわけにはいかない。
特に女子からは。
「おじさん」では、何をしても格好がつかないし。
入学前から、メイには「高校に入ったら俺のことはおじさんって呼ぶな。福嶋君と呼べよ。」と強く言っていた。
しかし、悲しいかな、入学式の当日でそれは無理だとわかった。
メイは「ねぇ、おじさん、あっごめん、福嶋君」の繰り返しだ。
そのたびに、同じ中学校のやつらが笑い出す。
俺はというと、「お前のことは田村さんと呼ぶからな。」とメイに言っておきながら
「なぁ、メイ、あっ、美樹、違う、田村さん」である。
ヤツらが爆笑するので、事情を知らない生徒が何がおかしいのかを尋ねる。
而して、早い友人はその日から、そして翌日からも、クラス内では「メイ」と「おじさん」が増殖していった。
「でね、昨日おじさんがね・・・」と、もう気遣いのかけらもなくなったメイが友達に話している。
「へー、おじさんって、そんなところあるんだ。」
などと返事が返っている。
もう、おじさんが普通に使われている。
頭が痛い。
半分ほどは覚悟してたいが、期待はは完全に裏切られ、夢はみごとなまでに打ち砕かれた。
あ~、高校では名前で呼ばれたかったな。
話は現在に戻るが、俺とムーアのくつろぐ居間に入ったメイは、ずんずんと俺たちに、というよりムーアに接近してくる。
ムーアはメイが大好きで、長くなったまま期待して待っている。
やがて、メイがムーアの前にひざまずくと、ムーアの顔を両手で包み、自分の額をムーアの額にくっ付ける。
「ムーア、お姉さんはムーアのことが大好きでちゅよ。あんたは何でこんなにかわいいんでちゅか。お姉さんはメロメロでちゅ~。」
なぜか、語尾が赤ちゃん言葉になるが、俺もよくあること。
そんな、ムーアとの甘い時間がしばらく流れた後、やっと俺との時間が来るのもいつものこと。
俺との時間と言っても、どうでもいい話をするだけだけど。
最後に、メイの母である姉についても触れておきたい。
姉が両親の教育で今の姉になったように、メイも両親の教育で今のメイになっている。
メイには、田村家と福嶋家の教育方針が、融合して受け継がれている。
田村家から引き継いだもの。
それは、勤勉に努力を重ね、学力をつけること。
熱中して取り組めるものがあること。
など。
福嶋家から引き継いだもの。
それは、人の目があろうとなかろうと、常に正しい言動がとれること。
誰に対しても、おごることなく、思いやりをもって接すること。
など。
俺は思う。
メイは、ほぼほぼ、両家の願いを持ち合わせた子になっているなと。
だが、そのまま順調に成長してくれればよかったのだが、義兄が3年前に名古屋に単身赴任になり、姉とメイだけの生活が始まったたのが大きな転機となってしまった。
多感な思春期を姉だけと過ごしたのがいけなかった。
性に関して田村家がどんな教育方針をとっているかは知らないが、福嶋家においては、とにかく性におおらかということを俺も身をもって知っている。
メイは、その方針のもと、あのぶっ飛んだ姉貴の教育のたまもので、エロ方面にもかなりの知識と免疫力をもった娘に育ってしまった。
たまにメイの家に行くことがあるのだが、姉は決まって
「真ちゃん、もう彼女はできた?キスくらい済ませたかな?いいな〜高校生は。でも、その先はまだだめだよ。ね〜美樹。」
などと、ニヤついてメイに目配せする。
メイもメイで
「そうそう、それはまだ我慢だよ。」
と、姉とそっくりな顔をして頷いたりする。
これには、俺は何と答えたらいいものか。
未だに答えが見つからず、いつも黙ってやり過ごすしかないのを、二人が楽しんでいるようだ。
こんなだから、俺もついつい男友だちにする感覚でメイにエロい話をしてしまい、「今のはやばかったかな」と思うことがたまにある。
でも、よほどきわどくない限り、メイは乗ってきたり突っ込んだり流したりしてくれる。
こんなのでいいのかな、と思いつつ、これもこれでいいなと思う。
いちいちちょっとのことで恥ずかしがられてもかなわない。
俺たちはもう高校生なのだから。
でも、明らかにそのへんの男子より過激な答えが返ってきたときには、本当にこれでいいの?と思ってしまうけど。
結局、全部ひっくるめて、俺はメイのことがかわいくてしかたがないのだ。
叔父としても一人の男としても。