雷 VS ゴキブリ
今朝はいつもより遅くまで寝てしまった。
目は覚めたが眠い。
昨日、何時まで話していたんだろう。
下に降りる。
台所の方からトントントンと子気味いい音が聞こえる。
居間に入るとその先の台所で、制服の上にエプロン姿のメイが少しはにかんで振り向く。
「おはよう、おじさん。」
「ああ、おはよう。」
「もうすぐできるよ。先に着替える?」
アイロンの当たった俺の制服のカッターシャツと黒いズボンが掛かっている。
食べた後にしよう。
テレビを付ける。
毎朝見るニュース番組。
「うちも朝それ見てるよ。」
とメイの声が。
朝ご飯が運ばれてくる。
俺も手伝おうと立ち上がったが
「おじさんは座ってて。」
と言われ、座り直した。
白米、味噌汁、味付け海苔、そしてメインはベーコンエッグ。
俺はキムチを添えた。
辛いものが苦手なメイは、キムチには手を出さない。
どこかの牛丼チェーン店の朝定食みたいだ。
メイと楽しく話しながら食べる。
こんなのいつぶりだろう。
父が店を始めてから、朝食はずっとひとりで食べていたから。
制服に着替えて家を出る準備をする。
火の元、戸締りを確認するメイ。
なかなかのしっかりものだ。
昨夜とは大違い。
教室に入ると、蒼が待ち構えていた。
二人を待ってたよと言わんばかり。
「昨日、あの後何かあった?」
メイの言ったことを真に受けているわけではないことはわかるが、気になっている様子。
すぐにメイも来たら
「美樹ちゃん、昨日どうだった?」
「どうって、何を知りたいの?あの後のあんなことやこんなこと?」
メイがまたあの目に変わったので
「そうじゃなくて」
と話を元に戻そうとする蒼。
俺が「昨日の雷、すごかったな。」
とメイをチラ見しながら話題を変える。
明らかに動揺するメイ。
思いのほか、蒼がさも楽しそうに、昨夜のことを話し始める。
「そうそう、すごかったね。うちの近くに落ちたみたいでびっくりしたよ。ドッカーンってすごい音がして。でも昨日のは何回もピカピカしてたのがきれいで、電気消して見てたよ。」
「川島さんは、雷怖くないの?」
周りの目があるから。
「全然。音も嫌いじゃないよ。ズドーンてお腹にくる感じがいいよね。何よりピカってするのがきれい。」
メイが、信じられないと言う顔をする。
「で、昨日の夜な」
と俺が言い掛けたら
「ダメ!」
とメイが大きな声で遮って俺と蒼の間に割って入る。
目がマジだ。
「わかったわかった。」
となだめるように言う。
「えっ、えっ、何かあったの?教えてよ。」
蒼が興味津々。
「いや、それほどのことじゃなくてな。メイが雷をすごーく怖がったって話。こいつ、泣いてたんだぜ。」
ひどいことを言ったような気がするが、メイがホッと安心したのがわかる。
「へー美樹ちゃん、泣くほど雷が怖いんだ。あれのどこが怖いんだろ。美樹ちゃんも意外にかわいいところあるんだね。あんなものはね・・・」
いつもやられてばかりなので、ここぞとばかりにやり返している。
「私だって怖いものくらいあるよ。」
メイがばつが悪そうに言い返す。
「あっ。」
とメイの目が意地悪な目に変わる。
「そうそう、蒼ちゃんはゴキブリが怖いんだよねー。」
うっと小さく唸る蒼。
「怖いんじゃなくて嫌いなんだよ。」
何とか優勢を保とうと必死で言い返す。
握られた両手のこぶしが、なんとも可愛い。
「そう?この前の部活で調理室に出たとき、キャーキャー言って逃げてたじゃない。あれ、怖いと言わずに何ていうの。」
形勢逆転。
なかなかメイに口で勝てるヤツはいない。
「みんなあれは嫌いだよ。」
劣勢ながら何とか言い返す蒼。
でもそれは、メイにはむしろ攻撃材料にしかならない。
「えーそうかな。私好きだよ。あの黒さやテカリ、たまらないよねー。なんならペットにしたいくらい。なついてくれたらかわいいだろうな。」
「やめてー!」
蒼は想像力が豊かなので、きっとその光景を想像してしまったんだろう。
メイを愛おしそうに取り巻く何万匹ものゴキブリ。
悲壮な顔をする蒼。
よっぽど嫌いらしい。
「真、あっ、福嶋君も嫌いよね。」
蒼が言い間違えるなんて、かなり動揺してるな。
俺に助けを求める蒼が可愛くて、つい意地悪したくなる。
「好きか嫌いかと言ったら嫌いかな。悪い菌とかもってそうだし。でも、あいつら、恐竜がいたころから地球にいるんだぜ。その頃はこーんなに大きくて。」
と、親指と人差し指を10センチほど広げる。
「えーっ!」
蒼の目が俺の指を見つめたまま動かない。
「そんなんがいたら、蒼ちゃん、見た瞬間に気絶するよね。」
さも面白そうにうにメイが言う。
「もう頭クラクラしてきたよ。」
と蒼。
「俺たちの大先輩。だから、むげにしてはいけないんだよ。」
とその前の話の続きを淡々と話す。
蒼は小さく首を振り続け、私はそれは全く受け入れらませんの意思表示をしているみたいだ。
さらに追い打ちをかけてみる。
「『ゴキブリ3億年の秘密』っていう本持ってるけど、面白いよ。ゴキブリのことがよくわかるよ。読んでみる?」
「いい。わかりたくない。それは絶対に読まない。」
蒼にきっぱりと断られた。
放課後の勉強会。
「俺、来週の月曜から勉強会に来れないから。柔道の練習で。」
メイが
「あれね。うん、蒼ちゃんと二人でやるよ。タカ君から聞いたけどキャプテンなんっだって。」
「うん、そういうの苦手なんだけど、タカに押し付けられたって感じ。あいつサッカーあるし。」
「来週、何があるの?」
蒼には何のことだかわからないらしい。
「来週じゃなくて、再来週の月曜日。クラス対抗柔道大会があるんだよ。知らなかったの?」
「知らなかった。」
普通に答える蒼。
「おじさんが中学で柔道してたって知ってる?」
「えっ、知らない。」
「黒帯だよ。」
「ええーっ。」
気のせいか、俺を見る目が変わったような。
そう言えば、そんな話したことないな。
「蒼ちゃん、本当にこの大会のこと知らないの?」
「うん。男子の柔道の試合なんでしょ。全然知らなかった。真ちゃん、ごめん。応援に行くね。」
メイが半部あきれながら
「じゃなくて、この大会が女子にとって何か、聞いたことないの?」
「え、柔道大会にでる女子がいるの?」
「そうじゃなくて、あーほんとにもう。あんたも出るんだよ。」
「えー、私がー!!何で!!」
蒼がパニックになっている。
「蒼ちゃん、これから言うこと、よーく聞きなさいよ。」
と蒼を落ち着かせてから、メイはこの大会の裏の顔を説明した。
「だから、蒼ちゃんもここでデビューだよ。決まりだから。」
メイの言葉の意味を理解するのにしばらくかかった。
わかった瞬間に蒼の顔が一気に赤くなる。
スピードとしては今までの倍ほど。
「無理無理、絶対できないよそんなこと!」
ブルブル顔を左右に振り続けている。
さすがに、このあたりで助けてやらないと。
「絶対にってことあるわけないじゃない。当り前、やりたいヤツがやったらいいだけだよ。」
「よかったー。」
本当に安心したようだ。
むしろ本気にしていた方が信じられない。
律儀な蒼はそれでも申し訳なさそうに
「ごめん、真ちゃん。そういうこと、私には無理。途中でいっぱいそういうのがあるかもしれないのに。私、真ちゃんの彼女なのに⋯ごめんなさい。」
メイの説明の中に「彼氏」や「彼女」が多用されたいたせいかもしれないが、葵の口から初めて「彼女」という言葉を聞いた。
胸が痛い。
メイがいなかったら抱きしめていた。
100%。
「言ったろ。したいヤツらだけがやったらいいんだ。それがあってもなくても何も変わらないだろ。俺たちは」
で止めた。
メイの手前ではない。
こんなどうでもいいことで思いを伝えたら、蒼への気持ちがチープになってしまいそうで。
「だいじょうぶ。」
と、座卓の向かいの蒼の頭をポンポンした。
そして勉強会が始まった。
勉強会の終わりの時刻が近づいている。
蒼がためらいがちに
「この後、私ももう少しいてもいい?」
何か、ここのところ蒼が元気がないみたいに感じる。
気のせいならいいけど。
「うん、いいいい。おじさんとだけじゃ、間が持たない。」
とメイ。
「クッキー焼いたんだけど食べる?」
と蒼。
「食べる食べる。私、お腹がすいていたところ。」
蒼がタッパーをカバンから取り出し、ふたを開ける。
「わー手作り。」
メイが嬉しそうな声を上げる。
「この前、部活で焼いたでしょ。あの後に家で焼いてみたの。いっぱい作りすぎちゃった。」
俺もいただく。
美味しい。
甘すぎないないのがいい。
メイが3人分の紅茶を入れてくれた。
「お父さん、やっぱり転勤が決まった。」
俺にはこの前の話の続きだが、メイには唐突だ。
でも、メイは黙って聞いている。
「単身赴任?」
「そう。お母さんと二人になる。」
お父さんが好きなのかな?
寂しそうだ。
すかさずメイが
「うちもそうだよ。お父さん単身赴任。お母さんと二人。もう3年になるよ。」と。
「あっ、そういえばそうだね。同じだね。」と蒼。
「すぐに慣れるよ。母子生活もいいもんだよ。女どうしでしか話せないこと結構あるし。」
メイが明るく言う。
それだからこんなになってしまったんだろうに。
「先輩がそういうのならそうなんだろうね。考えてもしょうがないね。」
蒼も吹っ切れたように笑った。
誰かに聞いて欲しかったのだろうな。
いつもの蒼に戻ったような。
お父さんの転勤のことが気になっていたんだな。
俺じゃあ、何も気が利いた言葉を掛けてやれなかったな。
メイのおかげだ。
蒼が帰って、晩御飯の話になる。
「お昼もコンビニ弁当だし、お弁当に飽きたな。」
とメイ。
「うん、何かかわったもの食べたいな。」
と俺。
しばらく考える。
メイが「お好み焼きなんてどう?」
俺は晩御飯にお好み焼きはどうかと思う。
俺の中では、白いご飯に何かおかずが晩御飯のスタンダードだから。
「うーん、どうもな。それより焼肉は?俺、ホルモンも好きなんだよな。」
「えー、それは嫌だ。」
秒殺された。
「焼きそば焼くとかは?」
「お好み焼きが嫌なんだから、嫌に決まってるだろ。」
「じゃあ、何がいいの。」
メイが不機嫌になってくる。
そもそも、お前が言ってるものが晩御飯としておかしいだろ。
俺が何か言ってもどうせ文句を言われて却下されると思うと、もう考えるのが面倒になって来た。
何でもよくなってきた。
ならこれでいい、楽だから。
「お前が焼いてくれるんだったら、お好み焼きでもいいけど。」
「えっ、いいの。焼くよ、焼くよ、焼きまくるよー。」
とたんに上機嫌になる。
「私、お好み焼き焼くの上手いんだよ。よくお母さんにも焼いてあげてるんだ。」
そうと決まれば、近くのスーパーに食材を買いに行こう。
もうお腹ぺこぺこだ。
お好み焼き粉、青のり、天かす、キャベツ、豚肉と定番の食材をかごに入れていく。
卵はうちにあったな、でももう少なくなってるかも。
買っておこう。
所帯じみたものをメイとかごに入れていると、周りからの視線を感じる。
特におばちゃんたちが、興味あり気にチラ見するのがわかる。
俺達ってどんな関係に映っているんだろう。
帰って、準備に取り掛かる。
「俺も手伝う。早く食べたいし。」
と言うと
じゃあーと少し考えて、粉を水で溶いてと言われた。
粉は全部使うものとして、水の量を計算する。
メスカップで水の量を量る。
本当はメスシリンダーで量りたい。
ボウルに粉を入れ、水を加える。
どっちが先がよかったのかな?
水が先?粉が先?
でも混ぜているうちに、だまも溶けてきれいな生地ができた。
メイは、手慣れた包丁さばきでキャベツを刻んでいる。
準備ができたので、ホットプレートのスイッチをオンにする。
「まずは、広島風から。」
確かに、自分で言うだけのことはある。
お玉からそそがれる生地がきれいな円を描いて伸びていく。
そして流れるような手さばきでお好み焼きができていく。
「はい、どうぞ。」
と皿に移されて、俺の前に置かれる。
「いいの?」
「じゃないと、次が焼けないでしょ。」
それもそうだなと、遠慮なく先にいただく。
一口食べる。
美味い、これは美味い。
激しく腹が減っているのもあるが、本当に美味い。
メイの分も焼けて、メイも食べる。
「うん、美味しい。さすが私。」
自画自賛。
二人とも、すぐに完食。
「じゃ、次は関西風。」
生地に具材を混ぜて焼く。
これも美味い。
それにこっちの方がボリュームがあって食べ応えもある。
2枚目を食べ終わったら
「私はお腹いっぱい。おじさん、一枚分もないけど生地が残ってるから焼くね。食べて。」
と一回り小さい関西風を焼いてくれた。
おれもこれでお腹いっぱい。
その後、一緒に皿洗いや片づけをしていたら、メイが「そうだ」と小さくつぶやいて
「ねぇ、今度休みの日にでも蒼ちゃんも呼んでおこパしない。」
「おこパって何?」
「えっ、わからない?お好み焼きパーティーだよ。タコパみたいなもの。」
「うん、いいな。」
蒼の焼いてくれたお好み焼き、美味いだろうな。
俺も焼いてあげたいな。
一度くらいは、練習しとかないと。
まだ声もかけていないのに、もうその日が楽しみでしかたがない。
夕食後は、昨日のように各自の部屋で勉強。
風呂にも入って、一休み。
休んでばかりいるけど。
また風呂上りにメイが俺の部屋に来た。
「お前が来ると雷も来るぞ。」
「今日は来ないよ。・・・昨日はごめんなさい。」
「昨日も、謝るなって言ったけど。」
「でも、大騒ぎして、先に寝ちゃって。」
「いいって。たまにはおじさんに甘えなさい。」
「ありがと。」
すこし沈黙。
「蒼ちゃんとはうまくいってる?」
そういえば、その後雷が鳴り始めたんだっけ。
「ああ。」
と昨日と同じ返事をした。
「ならよかった。安心。」
あっけない返事。
それ以上、それ以外、聞く気はないようだ。
「お前は彼氏作らないの?」
俺にしてはストレートな聞き方。
「うん、どうかな。欲しいか欲しくないかでいえば欲しいよ。でも・・・。」
「俺、手を貸してもいいよ。お前には借りがあるから。」
「借り?」
「蒼のことで。」
「どんな借り?」
「わからない?あー言わなきゃよかった。」
「えーわからないけど、私おじさんに何か貸しがあるんだね。いいこと聞いた。いつか使おっと。楽しみー。」
ニヤリとするメイ。
本当に楽しそうだ。
何に使われるんだろう、怖いな。
その後は、アニメの話や推しの話など、とりとめのない話をしてメイは隣の部屋に帰っていった。
本当は、何か言いたいことがあったんじゃないのかな。
わからないけど。
翌朝。
昨日の分まで寝たので、気分爽快。
メイと朝食。
そして登校。
そうして、俺たちの2日間は終わった。
俺にはきっと忘れられない2日になる。
昼過ぎには親たちも帰ってくる。
また日常が戻ってくる。
戻ってこなくていいのに。