進路
今日の勉強会もメイは欠席。
昨日よりキツいらしい。
蒼と数学の宿題をする。
母ちゃんが、居間に何かを取りにきた。
「蒼ちゃん、いらっしゃい。」
「お邪魔してます。」
普通の会話。
母ちゃん公認だな。
とは言え、まだ母ちゃんには言ってないけど。
いつかは伝える日が来るだろうが、言ったら最後。
ズカズカと聞きたいことを聞きたいだけ聞いてくるに違いない。
そしてしまいには、どこまでいったとか。
あー、頭が痛い。
メイがいないのに気付いて
「美樹は?」
「昨日もいなかったよ。生理痛だって。今日は学校も休んでた。あいつも女だったってことか。」
それにムッとした母ちゃん。
「何言ってんの、あんた!あんな可愛い女の子、ほかにいるかい!それにあの痛さ、あんたにわかるか!ねえ、蒼ちゃん!」
急に振られて蒼が慌てる。
「そ、そうですね、すごく痛いですよね。」
言った後、ちらちらと俺を見る。
顔が少し赤い。
こういう話は、オープンにはしない環境で育ったのかな。
俺の家ではこんなの日常会話の類なのだが。
つい「蒼も?」と聞いてしまいそうになったが留まれた。
返事はくれるかもしれないが、嫌がられこと間違いなしだ。
数学の宿題が早めに終わったので、休憩がてら少し話しをする。
少しのはずだった。
「蒼は、大学どうするの?」
「何をやりたいかってこと?」
「うん、何を勉強したいの?」
「私は外国語。アジアの言語を話せるようになりたい。まだどこかは決めていないけど。それを使う仕事がしたいな。どんな仕事があるか、まだよくわからないけど、その国の人と一緒に仕事したり、大きなことを言うけど、日本との橋渡しができるような仕事をしたい。」
そう答える蒼は、まさに夢と希望に満ちている。
「へー、すごいな。だから英語を頑張ってるのか。俺なんて、英語だけでも早くサヨナラしたいのに。」
「うん、どんな言語を専攻したとしても、英語は基本話せないといけないから。でも、英文が訳せるとか、書けるとか、テストでいい点を取るとかできてもダメなんだよね。英語でコミュニケーションが取れるっていうのは全く別だから。」
「それって俺でもわかるよ。逆に考えて、日本語が文法どおりに正しく話せる外国人だからって、俺たちと意思の疎通がはかれるとは思えないし。言ってることはわかるけど、話が通じないみたいな。」
「そう、言語には文化があるのよね。それに国民性とか。」
「その国で暮らしてみないとわからないってこと?」
「それは絶対に必要なこと。でも、今はそれは難しいでしょ。だから、せめてネイティブとの会話ができたらいいんだけど。」
「駅前留学?」
「うん、それも考えてる。夏休みのホームステイも。行くとしたら来年しかないけど。3年になったら受験勉強でそんなことしてられなくなるから。」
「そう。」
としか言えなかった。
蒼がこんなに進路のことを考えていたなんて。
そして、その実現のために計画を立てて行動を起こそうとしていたなんて。
俺は?
キボーはあるが、何も調べていない。
これはムボーだなと自虐的になる。
「じゃ、蒼は外国語学部にいくんだな。」
「うん。」
「県内にないね。近くて神戸、大阪、京都・・・。」
「そうなるね。」
大学では、離れ離れかな。
いや、今からそんなことを考えるのはやめよう。
未来のことなんてわからない。
「真ちゃんは?」
「俺は生物学を勉強したい。」
「理学部?」
「うん。農学部も考えてる。もしもやりたいことがあったら生命何とか学部とか、そういうのもありかな。」
「だから、生物と化学をしっかり勉強してて得意なんだね。」
「うん、生物は趣味みたいなもの。本も生物関係の本しか読む気がしないし。」
「どんな本?」
「昆虫とか、農作物とか、微生物とか、他にもいろいろ。肩がこらない面白いものに限るけど。」
「そういうのっていいね。羨ましいな。英語は好きだけど結構苦しい。」と蒼が笑う。
「第一希望は地元?」
「特にこだわりはないよ。県外も考えてる。親は、地元以上を目指せって言うんだよな、何も知らないで。地元だってかなり難しいのに。」
「理学部や農学部だったらいっぱいあるから選び放題だね。もっと難しいとこ狙ったらいいのに。このままいったら、難関大学を狙えるよ、絶対。」
蒼が背中を押してくれる。
根拠のない自信がわいてくる。
「神戸、大阪、京都。目指そうか。」
「うん、そうなったら大学でも一緒にいられるね。」
蒼が目を輝かせる。
俺を信じてくれるのか。
「俺、本気で目指すわ。蒼と一緒にいたいから。」
勢いで大変なことを言ってしまった感はあるが、もう後に引けない。
腹をくくらないと。
有言実行。
弱い自分をブレさせないために、縛りを掛ける。
「私も。」
とだけ言って蒼は俺の目を見た。
言葉以上の強い決意を受け止めた。
その後、俺の持っている本を見てもらった。
二階の俺の部屋に案内する。
「男の人の部屋に入るの初めて。」
と、蒼は少し緊張気味。
大丈夫、何もしないから。
「入って。」
「おじゃまします。」
それ、いる?
「へー、きれいね。いつもこんなに片付いてるの?」
「毎週土曜日に片づけて、掃除機をかけてる。」
「すごいね、私なんて2週間に1回あるかな。」
と言ってしまい
「ち、違うよ。今は毎週やってるよ。」
と、慌てて取り繕う蒼。
かなり怪しい。
でも、人には得手不得手があるので、別に気にならない。
蒼にはそれ以上にいいところがいっぱいあるから。
掃除は好きだから、俺がしてあげる。
そして、本棚の本を見て、感嘆の声を上げる。
「わー、こんなにー。へー。」
端から順にタイトルだけざっと見ていく。
そして二段目へ、三段目へ。
一通り見た後、もう一度ゆっくりと目で追う。
途中で目が止まる。
「これ面白そう。」
蒼が指さしたのは『ゾウの時間ネズミの時間 ~サイズの生物学~』。
「うん、面白かったよ。動物の大きさで時間の経つ速さが違うっていう話。小さい動物は心臓の鼓動が速くて、大きい動物はゆっくりなんだって。で、みんな、同じ回数打ったら死ぬらしい。小さい動物は寿命が短いけど、早く時間が過ぎていくから、俺たちと同じように、よーく生きたって感じるんだって。」
「へー。そんなことがあるんだ。よくわからないけど。」
「読んでみる?貸してあげるよ。あ、そんな暇ないか。」
蒼は少しためらった後
「読んでみたい。面白そうだし、私、知らないことを知るのが好きなの。それに真ちゃんの生物が好きな気持ちもわかるかも・・・。貸してくれる?」
「うん。俺、1回読んだ本は2回目読むことまずないから、いつでもいいよ。あげてもいいくらい。」
「もらえないよー。きっと返すよ。でもだいぶ先になるかも。いいかな。」
「うん、何年先でもいいよ。」
本棚から抜いて手渡す。
「ありがとう。」
蒼が両手で受け取った。
ほんと、いつでもいいから。
返し忘れていても、やがては俺のもとに返ってくるから。
そうなったらいいな。
「美樹ちゃんはどうしたいのかな、おじさんなんだから知ってるよね。」
俺の椅子に座った蒼が、さも知っていて当たり前という口調で聞いてくる。
「うん、アイツ、医者になりたいんだ。」
ベッドの端に座った俺が答える。
「えーっ!お医者さん!」
蒼の目が真ん丸になった。
でもすぐに元に戻り
「美樹ちゃんならなれるよ。国立の医学部だって余裕だよ。」
「俺もそう思う。小児科医になりたいんだって。」
「美樹ちゃんにお似合い。」と蒼が頷く。
「精神年齢が近いからな。」と俺が続けると
「真ちゃんがそういってたって明日美樹ちゃんに言っとくわ。」
と意地悪そうに言う。
「それはやめて、お願いだから。あいつを本気で怒らせたらほんとに怖いから。」
「やっぱ怖いんだ。かわいい姪なのにー。」
「年上のお姉さんだから。」
俺たちはしばらく笑い合った。
その後の英語の勉強では、今日の授業では新しいことがあまりなく、3つほど気になったことを蒼に質問した。
いつものように、蒼は丁寧に教えてくれる。
そして、尋ねたことに対して俺が理解したと判断したら、じゃあ、こういう場合は・・・と、どんどん広げてくれる。
蒼の説明は本当にわかりやすく、乾いたスポンジが水を吸収していくみたいに、どんどんと俺の中に新しいことが入ってくる。
時間を忘れるとは、このことを言うんだろう。
気が付いたら、いつも1時間以上経っている。
新しいことを知るにつれて、英語も面白いじゃない、なんて思っている自分に驚く。
やはり愛の力はすごい。
今日は、イレギュラーなことに時間を取り過ぎてしまって、いつもよりだいぶ遅くなってしまった。
最後にムーアをなでながら蒼が
「美樹ちゃん大丈夫かな、明日は来れるかな?」
と心配そうに俺に聞いてくるが、そんなことわかるはずがない。
「大丈夫だと思うよ。あいつのはスーパー卵巣でハイパー子宮だから。」
といつものメイとの会話のノリで面白く答えたつもりだったのだが、蒼には早すぎた。
信じられないといった「はぁー?」と言う顔をされ、すごい勢いで帰っていった。
マズいな。
これって、最悪のパターン?
女の子の基準がメイっていうのがそもそもの間違いだったのか。
俺としては、何の疑いもなく15年間こんな感じでやってきたのだが。
父ちゃんも母ちゃんも姉ちゃんもメイもそうだし。
俺もかもしれないが、この人たちもおかしいのか。
俺のアイデンティティ、ものの見方考え方、価値基準、常識、人となり、そんなものが宙に浮く。
どうしたらいいんだ。
あーでもない、こーでもないと、自分の部屋のベッドの上で、悶々とかなりの時間考えた。
ふっと俺の頭に結論らしきものが降りてきた。
そうか。
そうだな。
『蒼には下ネタは厳禁』
俺は大きく頷いた。
この後、LINEで謝り倒そう。