二人だけの勉強会
蒼が加わって勉強会が3人体制になって、もう一週間ほどになる。
勉強会の前には、必ず女子たちのムーアに甘え甘えられの甘い時間がある。
それが展開されているそばで、俺ひとりが勉強をするなんて、それは酷すぎる。
女の子がウサギと戯れるのって、見ていてとっても癒される。
ちょっと雑なメイのと違って、蒼のは愛しさに満ちていて、いつもそんな蒼に見とれてしまう。
はっと我に返って、「ヤバい」とメイを見る。
メイがこういうことだけにはやたら鋭いのを知っているがゆえに、バレたかもと思う。
だが、そういう時に限って、メイは俺を見ていない。
安心するが、ムーアを見るその目が笑っているように見える。
本当は俺に向けて?
わかっていたら、メイのことだから二人だけのときに、どストレートに聞いてきそうなものだが、そのことにはまったく触れない。
バレているのかいないのか、ここのところずっと気になっている。
勉強会だが、何か用事などで誰かが欠けることがある。
暇人の俺がそうなることはめったにないが、俺がいなくてもメイと蒼とムーアでやってくれればいい。
蒼がいないときは、従来どうりにメイと俺でやる。
問題なのは、メイがいないときだ。
今までそんな日はなかったのだが、ついにその日が来た。
メイが生理痛で今日の放課後は無理とのこと。
一方的に告げて、帰っていった。
初めて教室に二人っきり。
「この後、どうする?」
蒼が困ったように俺に尋ねる。
そして
「美樹ちゃんがいないなら、今日の勉強会はなしだよね。教えてくれる人がいないんだもの。それに・・・。」
理屈として正しい。
でも、理屈だけで人は生きていけない。
そして、こんな機会、もうないかもしれない。
俺は、まさに清水の舞台から飛び降りる気持ちで蒼に言った。
「メイがいなくたっていいじゃない。勉強会しようよ。できる範囲で教えあおうよ。俺一人だとさぼってしまうけど、蒼ちゃんと一緒だと頑張れるし。それにムーアも蒼ちゃんを待ってるよ。昨日はとっても寂しそうだったよ。」
ん~と難しい顔をして蒼はしばらく考えてから
「いいの?」
と俺に聞く。
「当り前じゃない。きょうも頑張ろう!」
それを聞いて、やっと蒼の顔が晴れる。
「うん。昨日は部活でムーアに会えなくて、私も寂しかったよ。今日は会えるって思ってたから楽しみだったの。福嶋君は私より数学わかってるから、わからなかったら教えてね。」
蒼がその前に言った「それに」の後、何を言いたいかがだいたいわかっていたから、断られても仕方がないと思っていただけに、嬉しさも一入だ。
やったー!
蒼と二人だけの勉強会だ。
俺は心の中で大きなガッツポーズをした。
やっぱ、俺ってやるときはやる男だわ。
それにムーアパワーは絶大だ。
明らかにOKの9割ほどはムーアのおかげだ。
そんなことより、蒼が最後に言ってくれたことが嬉しい。
そんなふうに思っていてくれたなんて。
数学だけはくらいついていてよかった。
芸は身を助ける?ちょっと違うか。
始めて蒼と並んで自転車で帰る。
蒼の父が転勤族と聞いていたから、前々から少し気になっていた、以前に住んでいた町を聞いてみた。
「今の前は広島。広島市。その前は高松。その前は姫路。その前はほとんど覚えてないけど高知。だいたい3年から5年くらいで転勤があるんだよね。」
へー、転勤族って大変って聞いたことがあるけど、そんなに。
俺は父が今の店を開くときに一度引越ししたけど、それでもかなり大変だったのを覚えている。
幸い学区内での引っ越しだったから転校はなかった。
「ここにはいつから?」
「小学6年から。だから、今年が5年目。そそろありそう。」
俺は驚いて、自転車をこぐ足が止まりそうになった。
「えっ、転勤があったら転校しちゃうの!」
「ううん。高校の転校は難しいから。特に公立は。それに転勤があったら会社の寮に入るってお父さん言ってるの。いわゆる単身赴任ってやつ。」
俺は安堵して大きく息を吐いた。
びっくりさせないでよ。
心臓が口から飛び出そうになったよ。
蒼がいなくなるなんて、とても考えられない。
まだ激しく打っている鼓動を沈めていたら、今度は蒼が俺に尋ねてきた。
「ずっと気になってたんだけど、ムーアって名前、何から?」
それには姉の存在抜きでは答えられない。
俺の姉でありメイの母。
そんな関係もおもしろいのか、蒼は楽しそうに相づちを打ちながら聞いてくれた。
やはり蒼はメイとは違って「おじゃまします」だ。
当たり前なんだろうけど。
居間の戸を開けると、すでにムーアがスタンバっていた。
ウサギは耳もいいから。
蒼が入ると嬉しさいっぱいに跳ね寄ってくる。
「ムーア、久しぶり。」
1日会っていないだけですけど。
ムーアが頭を突き出し蒼が撫でる。
そして、ムーアが挑発的に長くなると、蒼も膝をついてムーアの背中に額を密着させる。
「ムーアに甘~。」
と言いながら額が小刻みに左右に動いている。
ムーアにやられていくのか、もともとそんな子だったのか、ムーアとの関係が深まるにつれて、蒼がどんどん変わっていくように見える。
何か、今日の蒼、半分壊れていないか?
俺やメイはとうに壊れているので、早く追いついて欲しい。
ムーアとの熱い再会が終わると、勉強会だ。
「今日の、わかった?」
と蒼が少し眉をひそめながら聞いてきた。
確かに難しかったので、わかっているかどうかは微妙だ。
時間もあるので、自分の理解度の判定と復習も兼ねて、教科書の例題をやろうと提案した。
蒼が頷いたので、答えや解説を隠して例題に取り掛かった。
俺はいつものごとく、途中でひっかかってしまった。
これ以上考えても無理っぽい。
蒼は?
考えているが、久しく手が止まったままだ。
俺と同じみたい。
「解説、見ようか。」
と俺が言うと
「うん、難しいね。わからない。」
と答えたので、各々で解説を読む。
「へー。」
と蒼から独り言のような自然な声が漏れる。
「そうか。これがいるんだ。」
カリカリと書き入れる。
そして、「とりあえずできた。」と納得はしていない様子。
そうだ、蒼にいいことを教えてあげよう。
「蒼ちゃん、数学ってね、自力で最後まで解ける問題をいくつ持ってるかが勝負なんだって。前にメイが言ってた。だから、解けなかった問題は、解けるまで繰り返し解いて、自分のものにしないといけないんだ。俺って、途中でわからなくなったらすぐに答えや解き方を見てわかったつもりになってたから、全然数学ができきないままだったけど、これをやりだして、なんか、力が付いてきてるような気がするんだ。」
「へーそうなんだ。なんかすごいこと聞いちゃった。私もそうだったから駄目だったんだ。うん、もう一回何も見ないでやってみる。」
蒼と俺が解説を隠してリベンジを始めた。
もちろんすんなりと解けることはなく、二人とも手が動いては止まり、考え込んで、また動いては止まるを繰り返していた。
先に最後まで辿りついたのは蒼。
「どうだ!」
勢いよく解答を隠していた紙を取る。
「合ってるー!」
飛び上がらんばかりの喜びよう。
「できたよ、最後までひとりで解けたよ。」
蒼の満面の笑みに、俺も思わずガッツポーズ。
「やったね、蒼ちゃん。」
「うんうんうん。」
「じゃあ、宿題やってみたら。同じタイプの問題だから解けるよ。」
「うん、やってみる。」
俺はまだ例題が途中なので、続きをやる。
何とか最後まで解けて、蒼を見ると、もう一問目の中ほどまで来ている。
俺も宿題を始める。
一問目。
ん、これ結構難しいぞ。
出だしで詰まる俺。
しばらく考えてなんとか突破口が開けた。
そうこうしていたら蒼が
「できた。けど、これって答えが配られるまで合ってるかどうかわからないよね。」
と不安げに言う。
「そうだ、福嶋君のと答え合わせしたらいいんだ!」
俺のが合ってるのが前提か?
嬉しいけどハードル上げるなぁ。
蒼が二問めに取り掛かる。
遅れて、俺が解き終わる。
「できたよ。」
合ってるかな、すごいプレッシャー。
テストの時でも、こんなの感じたことがない。
「それじゃあ、どーん!」
と変な掛け声とともに、蒼が俺のプリントの横に自分のプリントを並べて置く。
見比べる。
「同じー、合ってるー!」
喜ぶ蒼。
よかった。
胸をなでおろす。
小さなプライドが保てた。
二問目に蒼は手こずっていたようで、俺たちはほぼ同時に解き終えた。
「それじゃあ、どーん。・・・あれ、違うね。」
俺のが違う可能性が大だ。
互いに自分の解答を最初から見ていく。
「あっ、ここ、計算ミスだ。」
蒼が途中から消し、解き直していく。
「できた。もう一回、どーん。」
俺もどーんのところだけ一緒に言う。
癖になりそう。
「合ってるー!」
あーよかった。
期待に応えることができた。
無事に今日の宿題が終わった。
「こんなの初めて。何も見ないで最後まで解けるなんて。それに最後まで解ける問題をいくつ持っているかが数学の力か。さすが美樹ちゃんだね。」
蒼が感心したように言う。
「じゃ、終わりにしようか。」
「うん。」
まちきれないように、丸くなっているムーアに蒼が寄っていく。
「ごめんねー。退屈だった?じゃあ、顔おにぎり、顔おにぎり。」
と楽しくてたまらないといった顔で、ムーアの顔をおにぎりを握るようにこねる。
やっぱり、確実に壊れていってる。
蒼が帰って、メイにLINEを送る。
今日はだいぶ顔色も悪かったから心配だ。
「大丈夫?」
すぐに返事が返ってくる。
「うん、お腹痛いけど。ごめんね。今日の勉強会なくなった?」
「やったよ」
「二人で?」
「うん」
「蒼ちゃん来たの?」
「うん」
「おじさんが誘ったの?」
「うん」
しばらく間が空く。
「やるじゃない」
どういう意味だ?
ひょっとしてそういう意味?
返事に困っていると
「とっくにバレてるよ」
LINEの向こうにメイのニヤッとした顔が浮かぶ。
やっぱりバレてた。
「おじさん わかりやすすぎ」
「いつから知ってた?」
「最初っから 席変えした日」
「まじ!」
「がんばれ」
「上からだな」
「応援してあげてるんだよ」
「たまには私外してあげようか」
「いや メイがいないとプレッシャーきつい」
「何の?」
「俺の数学のプライド」
「フフフ」
何だフフフって。
「まぁ がんばってね」
「ああ」
最後だろうから認めてやった。
もう返信はない。
あーあ、すっかりバレてやんの。
でも、くそー、知らないふりしてずっと男の純情を面白がって見てたのか。
腹が立ってきたが、何かと頼りなるヤツだ。
応援してくれるみたいだしな。
でもあいつのことだから、スイッチが入っちゃって、あからさまなことを言ったりしたりしないかな。
かなり心配になってきた。
やるにしてもそれとなくやってくれと頼んでおこう。
あいつにとって一番難しいことだけど。