映画
9月も半ばに近づいたある朝、教室に入るとメイが近寄ってきて
「次の日曜日、何か予定ある?」と尋ねてきた。
「あるのはあるけど、予定っていうほどのものじゃないからいいけど。で、何?」
「お母さんがね、ステレオの線を外して動かして掃除したら、線の繋ぎ方が分からなくなっちゃって、繋いで欲しいって。」
「わかった。行くわ。」
「でも、予定があったんでしょ。うちも、別に急ぎじゃないからいつでもいいんだけど。日曜ならお母さんがいるし、お昼でもどうかなって言ってたから。」
「そう。映画を見に行こうかなって思ってたくらいだからいいよ。土曜日に行けばいいし。」
と言ってしまってから気が付いたが、もう遅い。
ヤバい。
とてもヤバい。
「映画見に行くの!何見るの?」
もう行く気満々で目に星が飛んでいる。
「続終物語」と答えた瞬間に
「うわっ!見たい見たい!私も行く!」
と、やはりお約束の展開になってしまった。
俺は感動を反芻したいので、映画は絶対に一人で見に行くことにしている。
誰かと一緒に見に行って、意に反する感想などを言われたら感動がぶち壊しになるからだ。
「私も絶対に見に行こうと思ってたの。確か再来週までだったよね。ずっと友達誘ってたんだけど、アニメって言ったらみんな嫌だって言うし。蒼ちゃんにまで振られちゃったのよ。嬉し~。やっと見れるよ。」
すでに決定事項になっている。
俺には拒否権はないのか?
「俺は映画は・・・」と言いかけたが、こうなったメイには何を言っても無駄なことがわかっている。
もう無駄な抵抗はすまい。
お姫様の仰せのままに。
約束の(?)日曜日が来た。
メイには、映画を見終わった後に、内容については触れないようにと釘を刺してあるが、まさに糠に釘だろうな。
ちょっと重い気持ちで自転車をこぎ始める。
映画館にはメイの家の方が近いので、俺がメイの家に行く。
用事も済ませたいし。
メイの家に自転車を停め、呼び鈴を押すと姉が出てきた。
「真ちゃん、久しぶり。たまにはうちにおいでよ。まぁ、上がって。」
俺はそのまま二階に上がり、頼まれていたステレオの配線に取り掛かる。
配線と言うとおおげさだが、何のことはない。
Rの表示があるところにはケーブルの赤い先を挿し、Lの表示があるところにはケーブルの白い先を挿して繋げるだけ。
本当は、赤と白が逆になっても構わないのだけど。
スピーカーケーブルも同じだ。
長いけど、要は、片方の端を赤どうし、もう片方の端を白どうしで繋ぐだけ。
繋いでいると姉が横に来て「高校生活はどう?」と尋ねてきた。
あまりにもざっくりとした質問に、とりあえず「楽しいよ」と答えた。
「美樹は大丈夫かな?」
親として心配しながらも、俺にあまり込み入ったことは聞く気はないよと言った気遣いを感じた。
俺は手を止めて、姉の方を向いた。
「大丈夫だよ、姉ちゃん。美樹はもういっぱい友達ができて、みんなに「メイちゃん」って呼ばれてるよ。そのせいで俺は「おじさん」って呼ばれるんだけど。高校でもこれってちょっとキツいな。でも、みんな優しくって、ほんと、よかったよ。」
不思議と姉と話すときは、「メイ」が「美樹」になる。
聞かれたことの答えにはあまりにも不十分だが、本当ののことだけを選んで美樹の母さんに報告した。
「そう、ありがとう。」
姉の顔が心なしか明るくなった。
が、急に申し訳なさそうに
「ごめんね、真ちゃん。学校でも美樹のこと気にかけてくれてるんでしょ。でも、美樹のためにもこれからのことを考えたら、自分で何とかしないといけないんだから。あんたはあんたの高校生活を楽しんでよ。」
確かにメイのことは気にかけているが、目に入ったときにといったくらいで、別段そのことを負担に感じたことなどない。
「楽しんでるよ。美樹にも楽しませてもらってる。美樹のおかげで知り合えた子もいるし。」
蒼の顔が浮かんだ。
おそらく思わず顔がほころんだのだろう。
やはりそういうのを見逃さないところが親子だ。
姉の顔に俺をいじるときのにんまりとした薄笑いが浮かんだ。
つい数秒前の姉とは別人になっている。
「それって、女の子よね?」
あっ、しまった。
最後が余計だった。
俺は焦って口ごもる。
それを見て、面白くなってきたと言わんばかりに
「美樹からちょっとだけ聞いてるよ。」
な、何をでしょうか?
「美樹の部活の友達で、あんたの前の席の子なんでしょ。」
うわーっ、何で。
ちょっと聞いたって言ってたけど、本当のところ、どこまで知ってるんだ?
「う~ん。」
返事なのか唸っているのか自分でもわからない。
「美樹やその子の部活がない日は、三人で教室で話してるんでしょ。美樹が言ってたけど、その子って、すごくかわいいんだって~。」
不自然なまでに語尾を上げてくる。
この続きの展開がわかるだけにこわい。
返事に困って黙り込んでしまったそのとき、トントントントンと軽やかに階段を上がってくる足音が聞こえてくる。
「おじさん、終わった?」
助かった!!
まさに救世主。
この瞬間からあなた様のことはメイ様と呼ばせていただきます。
姉に「残念でした」のアイコンアクトを送ると、姉は本当に残念そうに肩をすくめるしぐさを見せて、階段を降りて行った。
しばらくは、この家には近づかない方がよさそうだな。
「もう少し待って」と、最後の右のスピーカにケーブルを繋ぎ、振り向く。
白地に花柄のワンピースのメイ。
私服のメイは久しぶりだが、これはさすがに反則だろ。
短すぎない絶妙なひざ上丈が破壊力を倍増している。
うかつにも、見とれてしまった。
メイも、姉ゆずりの目ざとさで、こういうのは見逃さない。
かなり自慢げに
「かわいいでしょ、このワンピ。ちょと前に買ってもらったの。私の一番のお気に入りなのよ。」
そっちか。
メイ的には、俺は、ワンピに見とれたんだな。
まぁ、メイらしくて助かった。
メイに見とれたのがバレて、照れられても気まずいし。
ワンピへの感想と受け取られることに安心して、思ったままの素直な気持ちが口から漏れる。
「かわいいなぁ。ほんと、きれい。きれいだな・・・。」
本当は、中身も含めての感想なんだけど。
「そう?」
メイは自慢のワンピを褒められて、とても嬉しそうに微笑んだ。
そろそろ行くかな。
出がけに姉から
「美樹に真ちゃんの分も渡してあるから、映画とお昼ご飯をゆっくり楽しんで。」
とのありがたいお言葉が。
ラッキー。
持つべきものはおとなの姉である。
現金な俺は、もう映画と昼食が楽しみで楽しみでたまらなくなった。
メイの家から自転車をこぐこと15分ほどで映画館に着いた。
途中で、メイに目が釘付けになる男どもを何人も目にした。
俺は映画館に入ったら、必ずトイレに行くことにしている。
尿意がなくても絞り出す。
鑑賞の途中で尿意を催すなどもってのほかだからだ。
俺がトイレに行くと言うとメイも行っておくと言う。
トイレが見えてくると
「ん?あれ、タカ君じゃない?」
と、トイレの入り口近くに立つ人影を目で示すように言った。
遠目に見て気付かなかったが、よく見ると確かに高坂だ。
おれたちが近づいても高坂は気付かない。
「よっ、タカ。」バンと背中をたたく。
その瞬間、高坂はゲッ!と言うほどのすごい顔をした。
そんなに驚かなくても、と思いながら
「タカ、お前もこの映画見に来てたんだな。お前もアニメ好きだからな。」
と続けた。
いつもの軽いノリの返事が返ってくるはずだったが、高坂の顔に「まずい」の文字が浮かんできた。
そして、慌てふためきだした。
「あ、あー、あー、うん、そうだな。」
俺たちに映画館で会ったくらいで、何をそんなに動揺してるんだ。
と、そのとき、スカートについた何かを払いながらトイレから女子が出てきた。
そのまま2、3歩歩き、顔を上げながら
「お待たせー。」
高橋だった。
その目には高坂だけが映るはずだったのに、俺とメイまでが映る。
「えっ!えーっ!!なんで~!」
叫ぶ高橋。
目が真ん丸になって、そのまま固まっている。
いつも冷静な高橋でもこんなになるんだ。
だが、驚いたのは俺たちも同じ。
いや、それ以上。
何で高橋が~!!!
俺は口が開いたまま言葉が出ない。
メイは慌てふためいて、わけのわからない言葉を発し続けている。
意味なく手も動いている。
何で、俺たちがあわてなきゃならないんだ。
何か悪いことをしたわけでもないのに。
尋常ではない高橋に声でもかけるつもりか、高坂がそばに寄ったものの、何をどうしたらいいかわからず、完全にパニックになっている。
みんなが大変なことになっている。
このままではまずい。
誰か、どうにかしてくれないか。
メイは完全に壊れてしまっているからダメだ。
高坂たちも今は無理。
俺が何とかしないと。
その思いだけで、言葉を絞り出す。
「た、高橋さんも一緒だったんだね。」
反射的に皆の視線が一斉に俺に集まる。
やっちまったー。
こんなこと言うなら何も言わない方がまだましの最悪のセリフを吐いてしまった。
余計に場が凍り付く。
しばし、時間が止まった。
そんな中、この4人の中で何とかできるのはやはり高橋しかいない。
「メイちゃんはおじさんと見に来たんだね。映画、楽しみだね。じゃ、また。」
とひきつった笑顔で高坂を引っ張るように連れ去って行ってくれたおかげで、その場は何とかENDマークが付いた。
さすが高橋だ。
4人の中でただ一人だけ、正気に戻って場を収めてくれた。
それにしてもビックリした~!
あいつら、できてたのか~。
クラスじゃそんな気配を全く感じさせないようにうまくやってたんだな。
ん!
そうだったのか、わかったぞ。
あいつら、朝早くに教室で逢ってたんだな。
あのときの高坂の挙動不審も腑に落ちた。
毎朝、高橋しかいないのに、あの朝はいるはずのないお邪魔虫がいたもんだからな、なるほど。
平常心に戻れて、メイは?と見ると、さすがにいくらKYといえども二人の関係がわかったようで、顔を赤くして目がうつろだ。
エロ方面には免疫があっても、純愛方面には無防備みたいだ。
メイには刺激が強すぎたか。
「行こう。」
ボーッと立ち尽くすメイの手を引いて、俺たちも劇場内に入った。
席に座っても、俺もメイも、タブーのごとく先ほどのことには触れず、ひたすらポップコーンを食べながら、始まりを待った。
長い沈黙。
早く始まってくれ。
やっと予告が始まり、続いて本編の上映が始まったが、ずっと心ここにあらずだった。
見ているというより、目に映っているだけ。
まったく入ってこない。
これはだめだわ。
来週、仕切り直しをしよう。
もちろん一人で。
映画を見終わって、二人で映画館を出る。
この後は、ファミレスで昼食にすることにしている。
自転車を映画館に止めたまま、しばらく歩く。
並んで歩き始めてしばらくしても、メイは何もしゃべらない。
少しうつむき気味で黙って歩いている。
うるさいほどに、聞きたいことを聞いてくると思っていたのに。
俺もメイに聞きたいことがある。
メイをしばらく見ていたら、ふいに、メイがこっちを向いて目が合った。
メイの目が、きっかけを俺に求めているのがわかる。
俺から口火を切った。
「あのさ、メイ・・・びっくりしたよな。お前、高橋と友達なんだろ。知ってた?」
「全然。ほんと、びっくりしたよ。おじさんこそ、タカ君から何も聞いてないの?」
「聞いてないよ、全然。でも、今になってそうだったのかな、と思うことはあるけど。」
「どうゆうこと?」
おれは、例の早朝のことを話した。
「へ~、そんなことがあったの。いつからなんだろうね。」
メイの返事には答えようがない。
知らないんだから。
『有言実行』
ふと、そんな四字熟語が頭に浮かんだ。
あいつ、すごいな。
しかも、高橋となんて。
何か、住む世界が違ってしまったような気さえしてきた。
だが、すぐに現実に戻った。
月曜日に高坂と顔を合わせることを考えると、複雑な気持ちでいっぱいになる。
今日のことに触れないのはあまりに不自然だし、触れると気まずいし。
本当は、いつから付き合っていたかを知りたいけど、そんなこと絶対に聞けない。
メイも高橋のことを考えて、ブルーな気持ちになっているんだろうなと思っていたのだが、さすがメイである。
メイの頭のほとんどは、俺の予想の遥か上をいくもので占められていた。
「あの二人って、付き合っているんだよね。」
顔を赤くして声も上ずっている。
「そういうことになるよな。デートてたんだから。」
「デート!そうよね、デートしてたんだよね。ってことは、彼氏と彼女か~、すごいな~。恋人か~、いいな~。」
一人で興奮している。
こいつの頭には、悩むという文字はないのか?
明日の高橋にお悔やみを申し上げます。
その後、食べている間も、ずっとメイは一人で羨望と妄想をしゃべり続けていた。
「いいな、いいな~、恋人どうしっていいな。彼氏欲しいな。いっしょに映画行きたいな。いっしょにファミレス行きたいな。海やプールにも行きたいな。うちにも来て欲しいな。彼の家にも行きたいな。そんでもって・・・。」
この超能天気な姪と明日の親友が交錯して、せっかくの大好物のカツカレーを食べているのに、映画と同様に、味がわからない。
無敵のメイはおいしそうにエビフライを食べていた。