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蒼とムーア

新しい朝が来た。

希望の朝だ。

小学生のころ、こんな歌を聴きながら寺の境内に集まって、夏休みの朝6時半からラジオ体操をしていたのを懐かしく思い出した。

俺にとって、今日の新しい朝は、まさに希望の朝なのだ。

いつもの見慣れた景色が輝いて見える。

丸くなって寝ているムーアさえも神々しい。

朝食を食べ終え、家を出る。

学校が近づくにつれて、鼓動が早くなるのが自分でもわかる。

落ち着け、俺。

お前はやるときはやる男だから。

昇降口でスリッパに履き替え、教室に向かう。

心臓を何かががつかんでくる。

苦しい。

教室の後ろ側の扉を開けて、そのまま立ち止まり、自分の席の前の席を伺う。

あの子はすでに座っていて、机の上で何かを書いている。

教室に入って、自分の席の後ろに立つ。

挨拶しなきゃ。

このまま?座ってから?どっちがいいんだろう。

と考えていたら無意識に伸びた俺の手がイスを引いてしまった。

ギーッ。

その音にピクッと反応した前の席の子が、クルッと振り向く。

「福嶋君、おはよう。」

何たることか。

蒼の方から挨拶をくれるなんて。

「おはよう。」

と、あたりまえのように返すが、心臓はバクバクだ。

昨日寝ながら考えたシュミレーションなんて、どこかにふっ飛んでしまった。

話さなきゃ、何でもいいから。

でも何を・・・。

蒼が少しはにかんだように

「今日も部活ないね、お互いに。」

と先に声を掛けてくれた。

なんでだろう、その顔に、その声に、俺の緊張や不安がスーっと消えていく。

「そうだね。」

と自然に答える。

そして

「蒼ちゃんは、」

と言った後、ハッと我に返った。

しまった。

昨日から心の中でそう呼び続けていたもんだから、つい口から出てしまった。

周りを見渡す。

よかった、誰にも聞かれていなかったようだ。

「ごめん。」

蒼に謝る。

「いいよ。だけど、こういうところではダメ。」

はっきりとダメ出しされたが、許可は得られた。

先生が朝のSHRに教室に入って来た。

「うん。」と答えると、蒼も「うん」とばかりに頷いて前を向いた。


長い7時間の授業が終わり、特に大切な連絡がない終礼も終わった。

ほとんどの生徒が、クモの子を散らすように教室から出ていく。

そして、昨日と同じ3人だけが残る。

昨日俺と蒼が知り合いになったので、今日は暇人三人組で少し話をする。

離れた席のメイがゆっくりとこちらに来ながら

「水曜以外は、こうなりそうだね。」。

俺の「うん」と蒼の「そうね」が重なる。

「そして、水曜日は俺だけ。」

と続けると

「そうね。」

と言って蒼が笑う。

だがすぐに

「本当に一人で残るの?」

と少し訝し気に尋ねてくる。

「別に早く帰ってしないといけないこともないし。少しゆっくりしてから帰るだけ。」

と俺が答えると、メイが

「早く帰ったあげたらいのに。かわいいムーアが首を長~くして待ってるでしょ。」

と首を伸ばすしぐさをする。

「ん~、首を長くしてというより耳を長くして待ってるんじゃないかな。もう十分に長いけど。」

「ほんと、ムーアの耳、長いもんね。」

と、メイと俺で笑ってしまう。

うちわの話に入ってこれないでいた蒼だが、話が途切れたタイミングで

「ムーアって、ひょっとしてウサギ?」

と話に入って来た。

「うん、おじさんちのウサギ。」

その瞬間に蒼の顔がパッとはじける。

「えっ、ウサギ飼ってるの!」

蒼らしくない大きな声。

「あっ」っと口を押さえる。

そのしぐさがあまりにもかわいい。

「うん、おじさんちね、白くて目が赤いウサギがいるの。ムーアっていってね、とっても甘えん坊で、すごくかわいいんだよ。蒼ちゃん、ウサギ好きなの?」

「うん、小さいころから大好きなの。飼いたいんだけど、うちはお父さんが転勤族でずっとアパートだから飼えないの。」

と残念そうに蒼が答える。

「ウサギもダメなの?鳴かないし匂いもないのに。」

メイが何で?と言う顔で尋ねる。

「うん、前にお母さんに聞いてもらったんだけど、ダメだって。」

「ウサギはかじるからなぁ。」

とやっと俺が口を挟めた。

「確かにそうよね。特に小さい頃は、ケージから出したら、何でもかじるもんね。おじさんちの柱も結構やられてるよね。」

「うん、コードもかじられて何度も直したよ。」

それを聞いた蒼の顔が曇る。

「やっぱり・・・。大変なんだね。」

の最後の言葉をかき消すように

「そうだ!はいっ!」

メイがいかにも名案が浮かんだと言わんばかりに元気よく手を挙げた。

「はい、メイさん。」

俺が指名する。

「おじさんちに来たらいいのよ。いつでもムーアに会えるよ。どう、いい考えでしょ。」

ドヤ顔で蒼に勧める。

「福嶋君ちに?」

思ってもみない誘いに蒼が驚く。

「蒼ちゃんが?」

俺も同じくらいに驚く。

「何よ、友達の家に行くって普通のことじゃない。」

メイは何を驚いているの?と言った感じだ。

友達とは言え、女子が男子の家に行くのは敷居が高いことがまるでわかっていない。

その逆もそう。

きっとメイは男友達に家に呼ばれたらホイホイと上がるんろうな。

やっぱ、メイはすごいわ。

俺たちが戸惑っていると

「蒼ちゃんって、中学は京川でしょ?だったら、方向としたら帰り道じゃない?帰りに寄ったらいいんだよ。ね、おいでよ。」

いつからお前の家になった?

「そうだ、今からおいでよ。今日この後は何もないんでしょ。ムーアも喜ぶよ。あの子、女の子が好きだから。」

だから、俺の家だって。

それに、会う前からムーアに対して変なイメージを持たせるような発言は控えてください。

「あっ、言い忘れてたけど、ムーアって大きいのよ。こーんなに。見たらびっくりするよ。」

とメイが両手を広げる。

そんなに大きいわけないだろ。

フレミッシュだってそんなに大きくないぞ。

蒼はそれを信じてしまったようで

「えーっ、そんなに大きいの?」

と目をぱちくりとさせている。

ここはあえて何も言うまい。

まぁ、見てのお楽しみ。

蒼が俺の家に来る流れにメイが強引にもっていっているが、蒼の返事はまだだ。

「じゃ、行こうか。帰る用意しよう。」

とメイが促すが、蒼にはまだ気掛かりなことがいろいろとあるようだ。

「福嶋君の家にはお母さんとかいるでしょ。」

なるほど、それは大きな問題かも。

メイが

「うん、お店してるからお父さんもいるよ。あ、私にはおじいちゃんとおばあちゃんだけど。でもお店の方にいるから、気にしないでいいよ。」

とさらっと答える。

「私も一緒なんだし、私が誘ったっておばあちゃんに言うから。全然大丈夫。」

「いいの?急に行っても?」

蒼が俺に聞いた。

「いいって。」

やはりメイが答えた。

蒼は少し不安げだったが、結局、メイに押し切られるように俺の家に来ることとなった。


俺の家の玄関横の自転車置き場に三台の自転車が並べて停められる。

玄関のカギを開けて家に入る。

居間に入ろうとしたら

「あっ、ちょっとごめんね。」

とメイが。

トイレかな。

蒼と居間に入る。

奥の仏壇の前でムーアが横になってすやすや寝ている。

「わーっ、ウサギ!かわいいー。寝てるー。」

蒼がすごく嬉しそう。

ムーアの鼻がひくひくと動き始める。

メイではない女の子の匂いをキャッチしたな。

慌てて起き上がり、匂いの主を探している。

そして、蒼を見つけてロックオン。

もう誰も逃げられません。

ぴょんぴょんといつものムーアとは違う生き物のような軽やかさで、蒼を目掛けて跳ねてくる。

「えー、ウサギってこんななの?」と驚く蒼。

「いや、この子は特別。特に若い女の子には。」

と答えたとき、厨房側の戸が開いた。

「美樹の声がしたと思ったけど、帰ったのなら帰ったと・・・。」

蒼を見た母の言葉が止まる。

そして、俺を見て「あんた」と口だけ動かし、ニヤリとする。

「ち、違うって。」

慌てて手を振る。

そこへ、メイが帰ってきた。

はぁ、助かった。

「おばあちゃん、ただいま。あっ、この子ね、わたしとおじさんと同じクラスの川島蒼ちゃん。私とは部活も同じなの。」

母は笑いながら

「へー、そうなのかい。あの、何だっけ。週に一回しかやらない何か作って食べるっていう部だよね。そうそう、料理部ね。」

と、かなりいかげんで失礼なことを言っている気が。

「家庭科部よー。」

と蒼の手前、メイがばつが悪そうに答える。

タイミングを見計らって蒼が挨拶を始める。

「あの、私、美樹ちゃんの、あっ田村さんと同じクラスの川島蒼といいます。今日は、ムーアちゃんに会いにっていうか見せてもらいに来ました。福嶋君とも同じクラスで、仲良くしてもらっててよく話してて・・・友達です。突然お邪魔してすみません。」

言っていることはわかるが、かなり緊張しているようだ。

母は、ことさらに優しい笑みを浮かべて

「そうなの。うちは店をしてるから何もお構いできないけどゆっくりしていってね。」

「いえ、そんな。」

と蒼は手を振った後

「ありがとうございます。」

と頭を下げた。

母が戸を閉めたら、メイがうれしそうに

「この後、クリームソーダが飲めるよ。」

と蒼に言う。

「えつ、そんな・・・。」

遠慮する蒼をよそ目に

「おいしいのよー。アイスも大きいの。のどが渇いたなー。早く飲みたいなー。」

とメイがひとりではしゃいでいる。

ところでムーアは?

俺たちの会話の間、自分は置き去りにされて、あまりに退屈だったのか、それともすねているのか、蒼のつま先の前で丸くなっている。

「蒼ちゃん、ムーアがなでてって言ってるよ。」

蒼はしゃがみこむと、ムーアの頭をやさしくなでながら

「ムーアちゃん、初めまして。蒼っていいます。今日は、ムーアちゃんに会いに来ました。これからもよろしくね。」

これからもよろしくっていうことは、これからもうちに来てくれるっていうことだよね。

これって、俺の得意な都合のいいあつかましい解釈じゃないよね。

その後、右にメイ、左に蒼と美女二人に挟まれ、ムーアはハーレム状態になった。

余は満足じゃといわんばかりに足まで伸ばして長くなっている。

蒼が頭を、メイが背中をなでる。

厨房側の戸が開いて、母からクリームソーダを受け取る。

デレデレのムーアを見た母は大笑い。

「まあまあ。なんてかっこう。幸せそうな顔しちゃって。お兄ちゃが、僕もして欲しいって羨んでるよ。」

「そんなこと思ってないよ!」

心の中をみごとに言い当てられて、かなり焦った。

3人で座卓に着いて、クリームソーダを楽しむ。

その間、蒼がムーアのことやウサギ全般のことを尋ね続ける。

たいがいは俺が答えるのだが、まれにメイが知っていることになると、得意げにメイが答える。

ただ、微妙に何か違っていて、訂正を入れないといけないのが面倒だが。

蒼は俺が答えるたびに、「へーそうなの」とか「知らなかったー」とか「それってほんとなの」とか、とても反応よく返事をしてくれる。

そして「福嶋くんって、ウサギのことなら何でも知ってるんだね。」

と感心するように言ってくれた。

「何でもは知らないよ。知ってることだけ。」

と、あの有名なセリフを返すが、蒼には伝わらない。

メイは「あれよね」って目で俺を見る。

「今日は、勉強会はなしでいいよな。」

念のため、メイに確認する。

「そうね。この後から始めても少ししかできないよね。うん、なしにしよう。」

との返事に安心する。

「勉強会って?」

蒼が尋ねる。

「うん、俺があまりに数学がダメダメだから、メイが部活がない日はうちに寄っていっしょに宿題とかしながら教えてくれるんだ。」

と答えると、羨ましそうに

「美樹ちゃん、数学がすごくできるもんね。いいなー、教えてくれる人がいて。私も数学苦手で。もうちょっとできたらいいのになって思うよ。」

それを聞いたメイがまた「はい!」と勢いよく手を挙げる。

「メイさん。」また俺が指名する。

「それだったら蒼ちゃんも部活がない日はここに勉強会に来たらいいんだよ。っていうか、みんなで一緒にここに帰ったらいいんだよ。ねっ、いいでしょ。ムーアにも毎日会えるし、まさに一石二鳥じゃない!」

前の時より、さらに激しいドヤ顔。

「でも、毎日は・・・。」

蒼が気を遣っているのがわかる。

「遠慮してるんだったら、そんなの全然いらないよ。うちは、こういう家だから。それに、土日は休みだよ。」

だから、いつから・・・。

まぁ、ただいまと言って帰ってくるんだから、自分の家なんだろうな。

遠慮がちに、だが嬉しさを隠しきれず

「いいの、本当に?」

と俺に聞く蒼。

「いいよ。明日からやろう。」

またもやメイが答える。

「うん。」

本当に嬉しそうな蒼。

じゃ、今日はこれでお開きだな。

メイが、いつものように押入れを開けて一番上の棚からコロコロローラーを取り、スカートをコロコロと始める。

「どうしても、ムーアの毛が付くのよね。」

確かに紺色の制服のスカートにはムーアの白い毛は目立つ。

一通り取り終えたら

「おじさん、お願い。」

と、ローラーを俺に渡して背中を向ける。

俺は、いつものようにメイのスカートの後ろ半分にローラーを掛ける。

蒼が小さく「えっ」と言ったのを聞き逃さなかった。

掛け終わったら

「蒼ちゃんも。」

と、メイがローラーを手渡す。

「う、うん。」と、戸惑いながら受け取る蒼。

そして、蒼がスカートの前にローラーを掛け終わると

「じゃ、おじさん、後ろ掛けてあげてよ。」

と言う。

「えっ!」と今度は大きな声。

「ちょっと待って。・・・メイちゃんが掛けて。」

と言う蒼の顔が赤い。

それを見て初めて、鈍い俺も何に蒼があわてているのかがわかった。

メイはあからさまに、何で?と言う顔をしながらローラーを受け取る。

そうだよな。

ローラーとは言え、お尻はな・・・。

なら、その前の俺とメイの光景って、異常に見えただろうな。

俺たちにとっては、小学生のころからの普通のことなんだけど。

今日はいろいろあった蒼が

「ありがとう。じゃあ、明日ね。」

と明日につながる希望の微笑みをくれて帰っていった。


かくして、勉強会に蒼が加わるという、めちゃくちゃにすごい収穫が得られた。

これはひとえにメイとムーアのおかげだ。

あいつの強引さも役に立つことがあるんだな。

それにしても、何てことだ。

こんなこと、本当にあっていいのか?

蒼と平日ほぼ毎日、放課後一緒だなんて。

嬉しすぎる。

このままずーっとこの幸せが続いて欲しい。

そして、やがて蒼が「ただいまー」ってうちに帰ってくる日が来ないかな。

俺は「お帰り」の準備はとうにできている。

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