畑仕事と
こんにちは、リオネッサです。魔界は今日も平和です。
たとえ氷柱が前触れなく飛びでてきたり、木が数本まとめて空を飛んだりしてもこれが日常なので、平和です。平和なんです。
今日のわたしはなんと外壁の外にいます。でも、なんの危険もありません。きちんと護衛のひとといっしょです。わたしよりも背が高くてひょろりとしたホルガーさんです。
いつもならバルタザールさんの授業を受けている時間だけれど、実習という名のお手伝いで外壁の外へとつれ出され、ゼーノも引っぱりだされてます。
わたしより三つ年上のゼーノだけれど、勘と本能だけで生きてきたので「人界人なのに知性がまるでない!」と大笑いしたバルタザールさんが授業を受けさせていて、当然、この実習にも強制参加させられているのだ。ゼーノは本を開いて即寝るので、今日も風当たりならぬ氷当たりが激しいと思われる。
ゼーノとバルタザールさんは森を切り開いて、わたしとホルガーさんが平地になったところを耕す係に任命されました。
「リオネッサ様。畑はこれでいいのでしょうか」
わたしといっしょに畑を耕していたホルガーさんから声がかかった。
「はーい。ええと、だいじょぶ、かな……?」
バルタザールさんがひもを張って囲った範囲内だし、だいじょぶなはず。
ちょっとでこぼこしすぎてる気もするけど、植えるのは魔界の植物だし、だいじょぶだよね…?
「いちおう、バルタザールさんに確認してみましょう。植える魔界植物によって違うかもしれませんし」
「そうですか。すみません。こういう事は初めてでして」
「初めてでこれなら上出来ですよ! これならどんどんうまくなります、…ってホルガ―さんはほんとなら護衛するのが本業なのに畑仕事なんかしてもらっちゃって…むしろあやまるのはこっちです」
「いえいえ。私共は望んでやっておりますので。リオネッサ様が謝る事はございません。
私などは人界に興味がありましたからとても楽しいですよ」
ホルガ―さんの耳もとまで裂けている口が顔とともに小さくなっていき、わたしよりずっと長い爪と指がぐぐっと短くなっていく。身体もひとまわりほど小さくなって、つられたように手足も縮んでいった。最後に取りだしたメガネをかけてしまえばどこから見ても人界人だ。
「人界の書物を参考にしました。…少々窮屈ですが、どうでしょう?」
「人界人にしか見えませんよ!
でも、いくら護衛のためだからって、きゅうくつならむりしなくてもいいんですよ? 魔王さまたちにはわたしから言っておきますから」
「いえ。けっこう楽しいのでお気遣いなく。人界へお供する時の練習も必要ですし」
「なら、いいんですけど。……ありがとうございます」
ホルガ―さんは何の事でしょう? と首をかしげるだけだ。
ゼーノが押しかけてきてからのわたしは、認めたくはないけれど気がゆるんでいた。魔王城での生活はわたし自身も気付かないうちにストレスをためていたようなのだ。
たぶん、それに気づいた魔王さまたちが見た目だけでも人界人を、ってホルガ―さんを護衛にしてくれたのだと思う。心配かけちゃってるなあ。
土だらけになった手をぬぐいながらホルガ―さんは困ったように笑う。
「リオネッサ様が気になさる事は本当に何もないんですよ。
人界の国に行くのですから、擬態に慣れておかなければいけません。私達の姿は彼らにとって異形でしかないというのはよく理解しております。私達も彼らの造形には少しばかり疑問を抱いてしまいますし」
お相子ですよ、とホルガ―さんはお茶を淹れ始める。
うーん。わたしとしては姿形より文化や常識の違いが気になるんだけどなあ。特に食文化。
どがあんと聞こえた大きな音で我に返る。森の上にはキラキラと光が反射していた。
バスケットからおやつを取りだしてテーブルに置いた。
「バルタザールさんたちを呼んできますね」
「いえ、私が行きますので申しわけありませんがおやつの準備をお願いします、王妃様」
ぼぼぼっと顔を赤くさせて固まったわたしにひらひら手をふりながらホルガ―さんはぴょんぴょんと駆けていってしまった。
ホルガ―さんが駆けていった方向には光を反射する氷の粒がまだ舞っていた。…かと思いきやまた氷山ができて、また砕けて、と景色が忙しく変わっていく。
魔界植物の研究をするために畑を作ってるんじゃなかったっけ? あの二人、どこまで畑を広げるつもりなんだろう。ただのケンカになってないよね?
ホルガ―さんの話では、バルタザールさんとゼーノの喧嘩はマルガさん以上の力の持ち主じゃないと止められないらしい。
もしあの二人がケンカをしていたら、マルガさんの足元にも及ばないと肩をすくめていたホルガ―さんは止められないだろうから、戻ってくるのはもう少しあとになるかもしれない。お茶が冷めないうちに戻ってこれるといいなあ。
おやつの用意もすんでしまったのでお先にお茶をいただいていると、今までで一番大きな音がした。地響きまでする。
こわごわ森のほうを見てみると噴水のような煙があかっていた。噴水というには大きすぎるけど、いったいなにがあったんだろう。こころなしか吹きつけてきた風も冷たい。
…ゼーノのやつ、いったいなにやってバルタザールさんを怒らせたんだろう。研究に関すること以外はだいたい笑ってすませちゃうひとなのに。
まあ、ゼーノのことだから死にはしないだろうけど。………死なないよね?
たぶん、明日の座学はゼーノだけ宿題が倍になるんだろうな。
なんてことをつらつら考えながらお茶を飲み終えてしまったわたしはおやつのクッキーに手をだそうかどうか迷っていた。
お茶はなくなってもバルタザールさんの魔術でお湯を出してもらえるし、出がらしでもわたしはぜんぜん平気だけど、おやつはそうもいかない。
美食に飢えていた魔界人であるバルタザールさんやホルガ―さんはもちろん食べたいだろうし、食い意地のはっているゼーノはぜったい食べる。ここでわたしだけぬけがけするのはいかがなものか。
むーんと腕組みしながら考えているとひるるる…………とかすかな音が聞こえてきた。なにかものが落ちているような音が。
「……なんだろう」
ちょっぴり嫌な予感がしつつもわたしは顔をあげて空を見た。見ないフリしてもあるものはあるからね。
いつもどおりのくもり空が広がっている。
「気のせいだったのかな?」
ふーやれやれ、と安心して視線をもとに戻したとたん、それはやってきた。もふ、ともまふ、ともいえる妙な音をさせてわたしの膝に。
うっすらと青みがかった丸いものがいつの間にかわたしの膝の上にあった。
「………なにこれ」