2章【training】
お主は人間じゃ、獣人でも竜族でもない、だからこそ純粋じゃ。侍女長のトッポはそう言った。
全ての種族の原点が『人間』であり、だからこそ根源たる人間はどの種族よりも順応性が高いのだという。
つまりは、やろうと思えば基本的にできないことはない、と言いたいらしい。全くにもって無茶苦茶な理論だ。
「ほれカグヤ、腰がひけとるぞ。そんなんではギリアスにも勝てぬ」
黒の鬼神に俺が勝てる時は来世にもないと思うが。
あれから一週間、カグヤとショコラティアはガルロッテ公国の誇る最強侍女長トッポの元で修行を続けていた。この世界で生きる術を身につけるために。
「まずはショコラティアと打ち合いができるくらいにはならんとの」
「それも来世にさえない未来だ……」
「ブツブツ言うでない、たわけ。ほれ、あと二十頭も倒せば休憩じゃぞ」
トッポの作り出すリザードマンを倒し続けた一週間である。腕も足も震えて臆するようなことはなくなった。
おそらく実戦、とはいえ模擬戦だが、それによって立ち回りを身体で覚えてきたのだろう。
同時に二十頭のリザードマンが出現しても、今なら上手くやれる気がする。
「ラストォォォッ!」
最後の一刀は敵リザードマンの首を天高く舞わせた。
休憩といっても五分もすればまた模擬戦である。つまり休む間などほとんどない。
実際に戦えばこうなるということを伝えたいのだろうが、体力のない学生ニートには厳しいルーティンだ。
「帰宅部きってのエースのこの俺に……なんたる試練だこれは」
息切れが激しいが、最初に比べれば随分殺生に慣れたものだ。一週間で人の根本は変わるらしい。
「カグヤ、次は私とだって」
「へ?…………え!?」
ショコラティアさん、僕のステータスであなたとまともにやりあえるわけがないのは目に見えてるのですが。
「カグヤ、時間じゃ。これが特訓の締めとなるからに、全力でゆくがよい」
トッポの言う『ゆく』ってつまり『逝く』的な?死にに行けと?特攻文化はここにもあるのか。
いやがおうにもやるしかない状況に、カグヤは仕方なくホール中央に足を運ぶ。
「お主がショコラティアに勝てんことなど分かっておる。じゃから、三分。三分生き残るがよい」
「三分!?殺す気か!鬼!悪魔!」
「わしは鬼でも悪魔でもないわ、お主と同じ人間じゃよ。さぁ、最終試練といくかの」
そう言うとトッポは立ち上がり、今まで正座させられていたニャットをたたき起こす。
「ふにゃっ!?」
なにせ一週間寝る間も正座だったのだ。二日目には白目を向いて魂が抜けていた。
「何ニャ!?ギャッ!トッポ様!?」
「やかましいぞ、ニャット。カグヤも少しは骨ができたんでのぉ、少しばかり実戦をさせることにした」
正座の呪縛から解放されたニャットは大きく伸びをしながら話を聞く。
「相手にとって不足はない、さぁゆくぞ」
「何ニャ!」
トッポが自らの杖を掲げた途端、ホール全体が大森林に包まれた。
「これも、幻覚なのか……」
これが魔法じゃなくて一体何なのか、そんな疑問はいいとして、目の前のショコラティアは既に剣の柄を引き抜く手前だった。
「よろしくお願いします、カグヤ」
「まぁ、こっちは全力でいかないと三分も耐えられそうにないし。よろしく頼むよ、チョコ」
それぞれに剣を構え、互いの距離を確認する。
「それではゆくぞ……………始めッ!」
声とともに動いたのはショコラティア。たった一歩で二十メートルそこらあった距離を自分の間合いに持っていく。
相変わらずの早さに驚きながらもカグヤの手はしっかりと剣を握っていた。
「おらッ!」
振り下ろす斬撃はショコラティアの見事な剣さばきに一手でかわされる。その上、ショコラティアはその勢いのまま回転して真横に一閃を振るう。
それを食らうまいとするカグヤの手は、剣の刃を下にしてそれを受け止める。
しかしながら、しばらく剣撃を受けていてあることに気づく。
「(なんだか、剣の動きが、チョコの動きがよく見える)」
それを外から見ていたニャットは目をこれでもかと言うくらい見開いていた。
「トッポ様、カグヤに何をしたんですかニャ……?」
「なに、不思議でもあるまい。一週間、剣を叩き込んだ結果が出てるだけじゃ」
「それにしては、あの剣撃は……早すぎるニャ」
ニャットの見る二人の戦いは超高速戦闘以外の何物でもなかった。
一撃がぶつかり合ったと思えば、次の瞬間には二手三手と剣が振るわれる。ほとんど見えてもいないのだ。
「死の恐怖を目の当たりにした人間はその恐怖の瞬間、百分の一、いや、千分の一秒を認識することがある。ただ平凡な社会で生きるものにはなしえぬ所業じゃ」
「トッポ様、あいつにどんな呪いをかけたのですかニャ?」
「呪いねぇ………そんな大層なものじゃない。少しだけ力を貸してやっただけじゃ」
緊迫の攻防は続く、一体何分経ったのか、それすらも分からないくらいに意識は次の行動に集中していた。
「(くそっ、一発も入らない………消耗戦となるとこっちの分が悪いか)」
カグヤは大きく剣を薙ぎ払い、ショコラティアが半歩引いたその瞬間に木々の間を走り抜ける。
「カグヤ、逃げるの?」
普通の声色のままにチョコは木々を薙ぎ倒して接近を試みる。正直、おっかない。
「これが戦略的撤退だ!それにトッポ!あと何秒だ!」
声が若干裏返りそうになるも真上に向かって叫んでみる。
「あと二十秒じゃぞー、さぁショコラティア、負けは許さんぞー」
「それは余計だ!鬼侍女長!」
トッポの言葉に火がついたのかショコラティアの剣撃が見る見るうちに近づいてくる。逃げてももってあと数秒。
「これじゃダメかッ!」
二人の剣が火花を散らして再び相見える。
その一撃は先ほどまでと比べて重く早い、まさに剣士の鏡のような一撃。
次は右か、左か……、そう考えている内にも素早い突きが喉元をかすめる。
「………ッ!」
勝敗は実質、ここで決した。一撃を食らった負傷者は大抵の場合、それが不穏分子となって負けるか危機にさらされるのがアニメ的常識だ。
「ここまでか……!」
しかし、その時だった。
「そこまでッ!」
トッポの一声は森の幻影を吹き飛ばし、ホールを元の空間へと戻した。
それと同時に俺の脇腹手前で止まったチョコのレイピアは彼女の鞘へと戻される。
「終わった…………」
あえて『終わったのか……?』などと言わなかったのはこの後のフラグを立たせないためだ。
その場にへたり込むカグヤの前にチョコは手を差しのべる。
「お疲れ様、カグヤ。凄かったよ、ガルロッテ剣術をこうもあっさりと攻略するなんて」
「あれがガルロッテ剣術なのか。っていうか、攻略もなにも、あと一秒あったらやられてたよ俺」
「それでもよく頑張ったと思う」
「『白の剣聖』様にそこまで言われるなら誉れだな。ありがたく頂戴するよ」
カグヤは彼女の手を取り、その場で立ち上がる。
そしてその横から杖をつきながら高笑いをするトッポと、お付きのようなニャットが階段を下ってくる。
「見事見事、お主は大したもんじゃ。さすが一年も修行を積んだだけのことはあるのぉ」
「いやーそれほどでも。ってかトッポ、一年じゃなくて一週間だろ?」
「何をぬかすかこのたわけが。一週間でそのような強さが身につくわけがあるまいて」
「へ?」
そこでトッポはカグヤのはてな顔の原因を解明するべく説明を始めた。
「つまりじゃ、わしが修行の前に展開しておいた結界は外の時間と中の時間の動きを少し変えたのじゃ。外はそのままに、中は時間を凝縮する。それによって外では一週間が経過したが、ここでは一年の修行を積んだことになるわけじゃ」
「どこかで似たような設定を見たんだが……それにしては、短い一年じゃないか?」
カグヤの中では確かに一週間ほどの記憶しか存在しない。そのパラドックスはどう説明されるのか。トッポはそれでも楽しそうに説明を続ける。
「それはわしの記憶操作じゃ」
さらっと恐ろしいことを申し上げたこのロリババア。
「全体ではちゃんと一年分修行を積ませた。その内の数日だけの記憶を残し、他は消したのじゃ。そうでもせんと、お主は、この修行についてこれんかったじゃろう」
「それじゃあ、なんで俺は戦えるんだ?記憶がないなら、戦い方も覚えていないだろ」
「何を隠そう一年仕込んだのじゃ、そんなものお主の身体が覚えている以外に何があるのじゃ?」
末恐ろしいわこの幼女、もう末かもしれないけど。とにかくなんでもアリじゃねぇか。
「まぁ、一年そこらじゃ大した成果は出ぬと思っておったが、動きこそ奇怪じゃが、少しばかり素養があるようじゃのぉ」
「まぁ、バトルもののアニメ結構好きなんで」
「あにめ、とな?よう分からぬが、とりあえず良しとしよう」
ここでは俺の世界の常識はやはり機能しないようだ。チョコレートの件にしてもそうだったし。
「じゃあ、早速出発しよう、カグヤ」
「こんなボロボロな俺を見てそれかよ。慈悲をくれ慈悲を」
「トッポからそれは不要だと聞いている」
「あのロリ悪魔………」
「聞こえとるぞ、小童」
おっと、声に出てたか。こいつは失敬、極悪非道のロリババア様。
「仕方ない、行くとするかぁ」
俺はひとまず置きっぱなしの制服のブレザーとリュックを持つ。
「それにしても、お主の身なりは正装か?」
トッポが今さらながらに訝しげな顔をしてくる。
「えっと、まぁそんなところかな。俺の世界の学校の服装だよ」
「がっこう?」
次に疑問形の言葉を飛ばしてきたのは隣にいたチョコだった。
「学校だよ。勉強したりとかする」
「勉強………それは国の施設なの?」
「え?……まぁ、国だったり個人だったりの運営する施設、かな」
「カグヤは、読み書きできるの?」
「へ?」
あまりにも当然の質問に変な声が出た。
それでもチョコとトッポの顔は真剣そのものでふざけるような余地を与えてくれない。
「えっと、俺の国ではその、学校がたくさんあってだな。子供の頃からそこで勉強して、世界っていうか、とにかく色んなことを勉強するんだよ。もちろん読み書きも」
その時の二人の表情ときたら、一周回って面白いくらいに驚愕していた。
おそらくこの世界ではまともな教育機関は愚か、学問さえまともに発達していないのだろう。それが二人の顔から見て取れた。
ニャットに関しては、話すらまともに理解できていなさそうだが、それはどうでもいい。
「なるほどのぉ、では、このリオアヒルムが平和になったその時には『学校』なるものを民衆の学び舎としてわしが作るとするかの」
高笑いをしながら旅立つ俺達を見送るトッポ。
「リオアヒルムって?」
「この世界のこと」
「………そういえばこの世界に来たとき、そんな言葉が呪文にあったな」
トッポの言葉は、平和を夢見た理想なのかもしれない。
しかし、俺達の旅の最後の目的はきっと、そんな世界を作ることにあるんだと、知らぬ内に感じていた。
久々の廊下。たった一週間、されど俺達にとっては一年間、ここを通っていないことになる。
ある種の懐かしさを漂わせる赤絨毯は未だに戦禍の跡を刻んだままである。
そんな長々とした廊下を歩きながらショコラティアはカグヤに話しかける。
「この世界ではね、読み書きができる人のほとんどは王族や貴族、その他の上流階級の人だけなの」
「なるほどなぁ。……じゃあ、ニャットはどうなんだ?」
後ろを振り向くとなぜか俺を睨む猫の姿があった。
「気安く名前を呼ぶんじゃないニャ」
「じゃあ、猫。お前はどうなんだよ」
「ニャットはできないニャ。ただのお付きっていう立場ニャし」
素直なのはいいが、その尻尾はうなだれている様子。どうやら自信喪失って感じだ。
「ニャットは忙しくても少しは勉強したの。だけど慣れない文字が難しいみたいで」
「そりゃまぁ、小さい頃からコツコツやってるのと一夜漬けは比較にならないからな。経験則から」
「やっぱり学校は必要だと思う。多くの国民が理解できれば、それだけ国が良くなるはずだから」
「そうだな。このいかにも頭悪そうなクソ猫でも分かるように説明できる先生でもいればこの国は安泰だよ」
後ろで頭をかきむしりながら毛を逆立てているニャットはこちらにつっかかっては来なかった。
きっと本当に頭が悪いのと、自分でそれが分かっているのとで頭がパンク寸前なのだろう。
「この国の未来のために、この戦いをなんとしても終わらせなければならない」
城の出口が見えてくる。
そこから差し込む光は明るく、まだ登ったばかりの太陽が大地を照らしているようだ。
「行こう、カグヤ、ニャット」
「もちろん、私めは姫様にどこまでも付いていきますニャ」
「おう。……それじゃあ、世界救いますか」