1章【encounter】
眩い光に全身を包まれ、疲れからか一度気を失いかけたがなんとか立ち直った。
しかしながら現状を理解できないのは俺のせいだとは思わない。なぜなら、わけのわからない転移とやらに翻弄され続け、やっと落ち着いたと思えば目の前には果てしない海があるのだ。
その波に打ち上げられるように俺と少女二人は陸地に上がったのだが、ホントにわけがわからない。
なんですかね、私にも理解できないんですわ。とりあえず、敵意むき出しのこの二人にどう事情を説明すればいいものか。
しかし脳内真っ白な俺を見て片方の少女が先に仕掛けてきた。
「お前、何者ニャ!」
『ニャ』って言いました?この人。
おそらく舌を噛んだとかそういう話ではなく、ごく自然に語尾に収まりましたけど?
「何者って……ん?耳?」
よく見ると話しかけてきた黒髪ショートの少女の頭には、ベレー帽のような帽子を挟むようにピンとネコ耳らしき大きな物体がはえている。
「ネコ耳が趣味って、どうなんだ?」
「趣味じゃないニャ!これは自前ニャ!紛れもないリアルネコ耳ニャ!」
激昴する自称リアルネコ耳少女をどうあしらおうか考えている時だった。
「ニャット、彼だけじゃない」
後ろにいたニャットと呼ばれた少女よりも少し背の高い、少女が呟く。
赤いマントと、それに付いたフードを深く被っていて顔はよく見えないが、その目線は俺を見るものではなかった。
すかさず俺も後ろの海を見た。いや、見ちまった。
その場の光景に俺の顔は一瞬で青ざめたことだろう。
それもまあ仕方がない。なにせそこには残念なことに、先ほどまでお世話になったガチホモ軍隊がざっと五十人ほどいたのだから。
しかしながら、これまたよく見るとその集団は人間ではなく、さながら鎧をまとったトカゲのようだった。いわゆる『リザードマン』ってやつか、なるほどなるほど。……俺、早くも詰んだわ。
挟み撃ちとかそういうレベルの人数じゃねぇだろこれ、なんだよ五十人+αをどうやって相手にしろっていうんだ!
あれこれ考えているとガチホモリザードマン達は、幅の広いカットラス、つまり湾曲した剣を引き抜き、その矛先を彼女に向けていた。
「アイツだ!あの女を殺せ!」
どうやら言葉も達者なようで……ってそんな場合じゃねぇ!物騒極まりないわ!
この状況下でとるべき主人公の行動は一つ。
作戦名『動かざること山の如し』作戦しかない。
覚悟を決めた、というより足が思うように動かない俺はその場に座り込んだまま状況を見守る。
確信はないがどちらにせよ、今の私は無力かつ超絶ヘタレなもので。
「ニャット、下がってて」
「いいえ姫様!私めも助太刀致しますニャ!」
「いい、大丈夫」
そう言うとマントの少女は右腰に備えられた剣の柄を握り、ゆっくりと引き抜いた。
それは1メートル以上の刀身の細いレイピアだった。
しかもただのレイピアではないようで、白い光を放っており、まるでそこに光の粒子が浮遊しているようにも感じられる。
「いくぞ」
その静かな声とともに双方、一斉に走り出した。
ちょうど中心に挟まれている俺はここにきて『選択ミスったか?』などと考えていた。
しかし赤マントの少女の早さは相手の比ではなかった。
ホントに一瞬だ、その一瞬で俺の真横を通り過ぎ、敵の先鋒の正面に入る。
「なっ!?」
戦闘開始わずか2秒足らずで相手に隙を与えず突きをくらわす。
そこから少女は、目も離せないような早さでリザードマンを討伐していく。
1頭、2頭……もはやその動きは『舞』であった。完成された芸術のように、しなやかでありながら強靭な剣先を振るい、敵勢力を薙ぎ払う。
ほんの10秒足らずでおよそ半分のリザードマンを無力化したと思えば、一度後方にジャンプし相手と距離をとった。
「数は多いが質はそれほどではないな」
赤マント少女はレイピアをブンと振り下ろすと敵の様子を窺う。
「なんだあの早さ、聞いてねぇぞ!」
「一瞬で半分はやられたぞ!勝てるわけがねぇ!」
対するリザードマン軍団も少女の早さを恐れるあまり統率を失いつつあるようだ。それを裏付けるように乱れた声が向こうから聞こえてくる。しかし、
「恐れるな!相手は子供で数は1人、我らが優勢!進めッ!」
統制をとるリーダー格のリザードマンが後方より出現した。
混乱する部隊はその声に応えるように、再び隊列を組み直してこちらに襲いかかってくる。
『こちら』、つまり俺とネコ耳少女の方にも。
「嘘だろ!?俺ここでゲームオーバーじゃねぇか!」
赤マント少女を食い止める部隊を横切って目の前まで接近してきたリザードマンは予想以上にデカかった。身長2メートル超えてますね、種族の違いってやつかな?
こんな時でも冗談が出てくる俺の脳内は壊れてしまったのだろうか?
「とったァァァァッ!」
「んなわけないニャ!」
座り込んだままの俺の頭上を飛び越えて、ネコ耳少女がリザードマンの頭部を真横から蹴り飛ばす。
吹き飛ばされたリザードマンは遠くにあった森の木に叩きつけられ、動きを止めた。
「……助けてくれるのか?」
ネコ耳少女のあまりの動きにカグヤは尋ねる。
「勘違いするニャよ!お前みたいなヘタレに脅威はないと判断しただけニャ!」
「それはそれは……」
何も言い返せません。足はガクガクで、マジで立てそうにもないです。
そんな中、気づけば赤マント少女の方もあらかた終わったようで残るはリザードマンの大将のみとなっていた。
「クソッ、女子供にやられやがって情けねぇ!」
リーダー格のリザードマンは自らのカットラスを引き抜き、赤マント少女に襲いかかった。
巨大な体から繰り出される剣撃を華麗にかわし、レイピアの突きを撃ち込むも、少女の攻撃はリザードマンの左腕に付けられた円形のシールドによって防がれる。
一進一退の攻防というやつだろうか、俺の目には両者互角といったように見える。
「おいネコ耳、助けた方がいいんじゃないか?」
「誰がネコ耳ニャ!……でも大丈夫、あのお方は絶対に負けないニャ」
淡々とした口調で語るネコ耳少女の目は、彼女への絶対的な信頼を表しているようだった。
それを聞いて改めて向き直ると、不意を突かれたのか少女の剣を盾で弾き、カットラスを大きく振りかぶるリザードマンの姿があった。
「危ないッ!」
思わず声が出てしまった、しかし、
「勝ちを確信した、あなたの負けね」
少女はボソッと呟くと、神速の動きでリザードマンの後ろに回り込み連撃を繰り出したのだ。
「グギャアァァァァァ!」
断末魔のような叫びをあげながら、少女の勢いある突きにリザードマンは前方に吹き飛ばされた。
そして巨体は転がるとそのまま動きを止めた。
「あの早さは、一体……」
「姫様ァァァ!」
カグヤの言葉を遮るようにネコ耳少女は赤マント少女に向かって飛び出していった。
「お怪我はありませんか!御身にもしもの事があったら、このニャットめは侍女長に殺される前に自害する覚悟でしたニャ!」
「私なら大丈夫……それより」
こっち向いた。あれ、脅威再び?
赤マント少女はこちらに歩いてきたと思えば、おもむろに手を差しのべる。
「あなた、怪我はない?」
「へっ?……あ、はい」
女の子の手をとって立ち上がるなんて、そんなカッコ悪いことできるわけねぇよな、これでも男なんだぜ俺?
意思とは別に少女の手を掴み、震える足を抑えながら立ち上がる。ほんと情けないったらありゃしない。
「姫様のお手を掴むとは何たる外道!恥を知れ恥を!」
「ニャット、この人は違うよ。いくら男でもこんな非力そうな追っ手を出すほど革命軍は馬鹿じゃない」
お二方、これ以上僕の傷をえぐりだそうとするの止めてもらえませんかね?
「すみません、助かりました。あ、俺は竹井カグヤっていいます」
早々に自己紹介する俺のコミュ力は伊達じゃない。
それに今は何より情報がなさ過ぎる。たしかネコ耳はこの人のことを『姫様』とか呼んでたような。
「タケイ……カグヤ?珍しい名前ニャ、偽名じゃニャいニャろうニャ?」
ニャーニャーうるせぇ、そんなこと言ったらさっきのリザードマン先輩みたいに吹っ飛ばされかねないので自重しますけどね。
「ニャット、さすがに初対面の相手に失礼だと思う。革命軍の追っ手じゃないにしても…」
「あ、あの、さっきの奴らって何なんですか?追っ手とか革命軍とか、状況がさっぱりで……てかここどこですか?」
聞きたいことは山ほどある。それをそのままダムが決壊したように聞いてしまったのは紳士的じゃないな、我ながら。
「ここは太陽系第三惑星、通称『地球』ニャ」
「え、地球なんですかここ?」
「地球を知ってるのかニャ?学があるのかないのかわかんない奴ニャ」
勉強はできるタイプですが、さすがに腹立つな。
「あなた、どこから来たの?あなた達が転移魔法に干渉したから、座標がずれて海に落ちたわけだけど」
「その説はすみませんでした。俺はこの地球の日本ってとこから来たんですけど」
「ここは日本よ?」
ここが日本?ビルの影なんて一つも見えないんですが、後ろには海で目の前には大森林、プライベートビーチなんて日本に存在したりするの?
ひとまず俺は少女達にここに至るまでの経緯を話した。
「つまりたまたま読んだ文章が転移呪文で、リザードマンに追われてるうちに同じ光が見えたから飛び込んでみた、と?」
「おっしゃる通りです」
「それでここはあなたの知っている日本の姿をしていないってことね」
「端的に言うとそういう事です」
知っているはずの場所なのになんだか落ち着かなくて愕然としてしまう。
「お前、さっきから姫様に無礼が過ぎるニャ、跪くのが当然の行動だと思わないのかニャ?」
ネコ耳がイライラした面持ちでこちらを睨みつけてくる。
「そういえば、さっきから姫様姫様って、君は一体……」
「あぁ、君はこの世界のことを知らないのだったな。名乗るのが遅れた」
そう言うと赤マント少女はフードをとり、隠れていた白銀の長い髪をあらわにした。
「私はガルロッテ公国第一皇女、ショコラティア・ビタニア・リリメイジ・ガルロッテ。この子はニャット、私の従者」
「ニャットニャ、名前は1回で覚えるニャよ?」
無理難題をおっしゃるクソ猫だ。
「えっと、ショコラティア…びたに……ごめんわかんないや」
「気安く名前で呼んでるんじゃニャいニャ!」
「しょうがないだろ!どんだけ長い名前なんだよ、アニメとか漫画とかでしか聞いたことねぇぞ」
「あにめ?まんが?何を言ってるニャ、このへっぴり腰」
「誰がへっぴり腰だ!大体こんなことになるなんて思ってもみなかったんだよ!」
ニャットの発言にいちいちイラついても仕方がない。現状、さっきのリザードマンみたいな生物がいる世界に転移してしまったようだし、身を守る手立てのない俺はこいつらには逆らえないということだ。
そういえばスマホとかバッグの中身とか無事だろうか。海に水没させた場合って保険とか効くのかな?
改めて見ると全身びっしょりと海水に濡れたままである。
カグヤは念のためポケットの中からスマホを取り出して電源ボタンを押す。
何事もなくパッと光るホーム画面を見て、その安否を確認し一息。
「よかった、無事みたいだな」
「何ニャそれ?」
物珍しそうにスマホを見つめるニャットとショコラティア。しかしそれを見た途端、ショコラティアは激しく動揺した。
「そ、それはもしかして、黙示録!」
「え、黙示録?」
何その中二全開のネーミング?さすがの俺にもその発想はなかった、いや違う違う、これスマホだから、現代が誇る科学の結晶体だから。
「ニャ?姫様、ご存知ですかニャ?」
どうやらニャットも知らないらしい。我が同士よ、この姫様そういう性格なんですかね?
「知っている、本で読んだことがある、形は少し異なるけど。世界の創造から全てを記すとされている伝説の書物」
「書物、ですかニャ?この薄い板が……」
じっくりと観察されるのは大いに結構なんですけどその誤解は早く解かないと後々『黒歴史』とか言われて後世に語り継がれますよ?俺みたいに。
「タケイ、それをどこで手に入れた?」
「俺のことはカグヤでいいよ」
「ならばカグヤ、それをどこで?」
「どこで、と言われても……」
誰でも持ってるというか、携帯ショップ行けば買えるというか。
なんと説明すべきか考えるカグヤを気にもせず、ショコラティアは淡々とした口調で話し出す。
「きっとわけがあるのだろう、君の手にそれが自然と導かれたというからには。………もしかして君、『ギルフォード』という名前に心当たりはないか?」
「え、直接見たことはないけど、ここに俺を転移させたのがギルフォードって人だったような」
思えばスマホの画面上の文面にはそんな名前が書いてあった。何者なのかはわからんが。
しかしショコラティアはそれを聞くと、やはりな、 と納得したように口元に片手を当てて考えるそぶりを見せた。
「ギルフォードというのは黙示録を作ったとされる人物。『黙示録の担い手』を選択し、それを傍観する神、なんて言われたりもする」
「神、ですか?」
なんだか話を聞くにつれて面倒事に巻き込まれたような感じしかしない。
「カグヤ、これは提案だが、私達と行動をともにする気はないか?」
急な申し出ではあるが、この状況から脱するためには一人でなんとかなるとは到底思えなかった。それを聞いて俺は自然と首を縦に振る。
ショコラティアは頷き歓迎してくれるようだが、もちろん従者のニャットは不満げな様子。しかし腕を組んだままで、反論をしようとはしなかった。
姫様の決定には逆らえないのだろうか?
「ところでカグヤ、そのバッグの中は無事か?」
「あ、完全に忘れてた」
すかさず中を確認してみると、なぜか一滴たりとも浸水した様子はない。運が良かったとしか言えないな。
ガサガサと中身をあさってみるが、やはり無傷。お菓子もラノベ本も高品質。
そして俺は、思い出したようにそこから板のチョコレートを取り出す。これは常温だとあんまり保存きかないからな。
他の二人は不思議な形状の長方形に興味津々といったところ。もちろんこんなものがこの世界に存在しないからだろう。
俺は紙のラベルをはがして銀紙の中からダークブラウンのチョコレートを出し、綺麗に3等分すると二人に手渡した。
「これは、そうだな……チョコレートって言って、俺の世界のお菓子。信頼の証、にしてはショボいけどよかったらどうぞ」
「チョコ……レート?」
警戒する二人に俺は自分の分のチョコレートをかじって食べてみせる。
カカオの風味と、柔らかく甘い香りが口の中に広がっていく。
俺の食べる様子を見てか、ショコラティアはおそるおそるチョコレートを口へ運んだ。
「はむっ……」
なんとも現実では聞くこともない『はむっ』なんて食べる音を平然と出してくれましたこのお姫様。そこに痺れて失神しそうです私。
その上、チョコレートを口に含んだ瞬間、ショコラティアの目は見開き、固く結ばれていた口元はゆっくりと笑みへと形を変えた。
「甘い……おいしい」
こちらを見て微笑むさまはさながら女神のように温かく、赤い瞳は優しく光に反射して宝石のようにも見えた。
これが俺、竹井カグヤとショコラティアの出会いであり、残酷な運命に抗う者達の戦いの始まりでだった。