1章【connect】
「あなたは逃げて、この城もそう長くは持たないから」
少女は白い髪を揺らしながら、その赤い瞳で俺を見つめる。
最後の戦いに挑む彼女と生き残った七色の王達、彼らの向かう先には紛れもなく『死』しかなかった。
だがその目には、世界の王たる彼女の覚悟と信念が宿っているように感じられる。
腰の右側に差し込まれた細い剣を引き抜き、強大な敵を睨みつけると、彼女は一瞬、柔らかな表情でこちらに振り向き一言。
「チョコレート、美味しかった……じゃあね」
それだけ言い残すと全ての王は血に染まった戦場へと飛び出していった。
きっと誰もこんな結末を望んではいなかっただろう。私でさえも。
この運命に抗うための力、新たな『黙示録』の担い手を探さねばなるまい。
全ての絶望を打ち払うだけの力を。
ーー世の中に面白いものなどない。
こう思うようになったのは俺、竹井カグヤが中学二年の頃だった。
小学校の頃から、俺は誰に流されるわけでもなくライトノベルやアニメにハマっていた。いわゆるマイブームってやつだ。
どこまでも広がっていく様々な異世界、強大なモンスター、炎や水を操る魔法使い、美少女なお姫様。そこには俺の夢の全てがあるように見えた。
しかし皮肉なことに、そこで気づいてしまったのだ。フィクションは、虚構はどこまでいこうと虚構なのだと。
この世に異世界なんて存在しない。魔法なんてありやしない、と。
それに変わる無限の宇宙やら、高度な科学文明なんかがこの退屈な世界を構成し続けている。
それらの現実をまとめると、初めに述べた通り、この世に面白いものなどないと思えるのだ。
先ほどは中二のマイブームなどと語っておいたが、その表現は少し違う。
ブームというのは一時の流行であって長期化したらそれは趣味といえる。
何が言いたいかって?つまり高校三年の今でも俺はアニメもラノベも見る、俗に言うオタクってやつだ。
「竹井、いい加減まともに授業を受けたらどうかね?」
「へ?」
言い忘れていたが今は授業中である。数学担当の先生からの注意勧告は毎回続いてはいるものの、俺はことごとく受け流していた。
「へ?じゃないだろ。もう三年なんだから受験生としての心構えをだな……」
「先生、そこの問題の答え間違ってますよ。X=3が正解です」
「なっ……!」
指摘を受けた教師は、すかさずかけていたメガネを片手で直しながら正答の書かれた教師用教科書を確認する。
あいにく俺は頭がいい。別段、特別な勉強をしたわけでも、塾に通っていたわけでもない。
昔から本が好きで(主にライトノベルだが)、学校の図書室で自らが持参した本を読むため休み時間のほとんどをそれに費やした。
その文章の中に英語やら難しい計算式やらがあったおかげで、図書室の英語辞典や問題集なんかを使っているうちに覚えていたのだ。
先生には申し訳ないがその内容は中学のころに学習済みなんですわ。ホント、周囲の生徒諸君も悪いな、そんなゴミでも見るような目を向けるなよ。
教室後方でため息をつくと隣の席の可憐な少女が話しかけてくる。
「竹井君、少しは自重してあげなさい。先生にも立場ってものがあるのだから」
この少女は天乃織姫、高校からの学友ってとこだろうか。
長く艶のある黒髪ロング、整った顔立ち……まではいいのだが、時に畏怖の念を覚えるレベルの目力&つり目であるためか周囲の人間からは一線を置かれている。
俺からすれば、俺の趣味を理解し、退屈しのぎに話まで聞いてくれる、ハイスペック少女としか捉えられないのだが。
「そういえば、君から借りていた小説読んだわ。実に興味深いストーリーだった」
そういって天乃は一冊の本を手渡す。
「おぉ、Magiaもう読み終わったのか。興味深いなんて感想飛ばしてくるやつ見たことねぇよ」
「現に目の前にいる高校生がそれに値するでしょう?」
「おっしゃる通りだな」
小声ながらに談笑をしているうちに、授業終了のチャイムがなっていた。
放課後の図書室が俺と天乃の、完全下校時刻までの暇つぶしスポットとなっている。
健全な高校生ならまず図書室には足を踏み入れない、という自論は、それを裏づけるかのようにしんとした室内を見渡せば正しいとわかる。
「さっきのMagiaのことだけど、完結編があるって話を聞いたのだけれど、どうなのかしら?」
この少女はいわゆる"ぼっち"であるため誰かから話を聞くという表現は間違っている、という俺の考えは割愛せねばなるまい。
そもそも俺以外のオタク属性持ちを見た覚えがない。なんて健全な進学校なこって。
「ネットでの噂では、作者死亡説とか言われてるがあれは違うな。おそらくあれが完成品だと感じたんだろ」
こんな具合に小説を天乃に貸しては翌日の放課後にこうしてマニアなトークを交わすのである。
しかしながら、リアルと二次元の違いを主流とした俺の話を聞いてくれる天乃は優しいと思う。今さらだが……。
「それよりも天乃よ、俺はライトノベル史における伝説を見つけることに成功したぞ」
「いきなり大げさね、今度はどんな本なの?」
こんな具合に話させてくれるとは、相変わらずだ。
「いや、今回のは本じゃないんだ。携帯小説ってやつだよ、知ってるか?」
百聞は一見にしかず、俺は自分のスマホを天乃に見せてやった。
「一時期話題になったから、携帯小説くらい知ってるけど、どれ……タイトル未明?」
「そう、不思議なことに小説のタイトルがないんだ。しかもこれを読むためにはいくつかの質問を回答しないとならないセキュリティ付きときた」
「つまり、竹井君はそれを解いたら、たまたまその名作を見つけたと?」
「そういうことだ。まぁ少し読んでみろよ」
そう言って俺はスマホを天乃に手渡した。
内容としては異世界ファンタジーの、言ってしまえばよくある話。
ある国の王女が旅をし、仲間を集めて、強大な悪と戦う。いわば王道ってやつだ。
スマホを指でスクロールしながら天乃はすぐに疑問を見つけた。
「この小説、登場人物の名前が見当たらないわね」
「そう、そこが今までにない不思議なポイントなんだ」
「……ふぅ、ざっと読んだわ」
早っ!本にすれば全部で百ページ近くにはなるハズなんですが、ふぅ、じゃねぇし。どゆこと?
「そ、それで、どう思った?」
「どうもなにも、このストーリー、世界観の解説ばかりで内容が全くないし。小説と呼ぶには少しばかり退屈にも思えるわ」
「やはりそうか。一応参考までに意見を聞きたかったんだ、俺の理解能力を超えた作品だとしたら、どうしようかと思って」
「それでも、まるで本物を見てきたような描写だったわ。その点は評価すべきかしら」
俺は天乃からスマホを受け取ると、そこから少し操作する。
「実はな、本題はここからなんだ」
「どういうことかしら?」
「この小説を読む前に質問を解いたって言っただろ?」
「ええ、それがどうかしたの?」
「その質問の回答が終わった時、画面が移り変わってな、その時の画面をスクショしたんだ……コレを見てくれ」
俺は再び天乃にスマホの画面を見せる。
そしてその画面に映った文章を天乃は、丁寧な口調で読み上げ始める。
「ご回答ありがとうございました。急な申し出なのですが、わけあってこの小説を書くことができなくなりました。このセキュリティを解除したあなたにこの作品を終わらせて欲しいのです。下記に管理者権限コードと、転移のための方法は記してあります。どうかよろしくお願い致します。彼女の涙はもう見たくないのです。作者ことギルフォードより……なにこれ?」
長々と文面を読み終えた天乃は表情を一切変えずに俺に問い詰める。
「いや、それがわかれば苦労はないんだが。その管理者権限コードってやつは試してみたが本物だった」
「よく悪徳サイトとも考えずに試したわね」
何も言い返せないです、天乃さん。
「小説家育成プログラムとかかしら?それにしては凝った設定してるけど。………ところで『転移のための方法』ってなんの事?」
「それが本題。『復唱せよ』って言葉の後に呪文みたいな文章がズラーッと書かれててさ。……その、なんだ……よかったら、一緒にやらないか?この呪文」
呆れられたのかハァとため息をつかれる。ほんと、ごめんなさい、自分が中二病なのは重々承知なんです。
「別に、竹井君がそうしたいならいいけど」
「本当か!」
思わず熱が入り天乃の両肩を掴み詰め寄る。
「ひゃっ!………べ、別に構わにゃ…ないわよ、減るものでもないし、ね」
「おぉ、サンキュ天乃!こういうことってやってみたくなるよな、管理者コードのこともあるし、きっとなにかあるんだよ!」
珍しくモジモジとする天乃を気にすることなく、テンション高めカグヤのはさっそく『転移のための方法』が記されたページを表示する。
「それじゃあ、始めよう」
その時だった。
ーーキーンコーンカーンコーン……
完全下校時刻を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「今日は無理そうね、また明日にでもやりましょう」
そそくさと自分のバッグを方に背負い、天乃は椅子から立ち上がると一人で教室をあとにした。
「くっそ、これからだっていうのに。………やっぱり気になるよな」
俺はさらに静まった図書室で一人、念のため書き残しておいた呪文のメモを、天乃に渡しそびれたラノベ本に挟み、本棚に隠した。
そして、改めて呪文らしき文章を読み始める。
「我、己が真価を顕現せんと欲す者。時の狭間を駆け、七つの色彩に選ばれし魂を導かん。我、今こそ誇り高き王の元へ馳せ参じる。彼の地、『リオアヒルム』へと誘いたまえ。転生の時は来た!」
決まった。今の俺、すごくカッコいい。
一言一句、丁寧に呪文を読み上げたハズだったのだが………変化なし。
なぜ正面にかざした手を下ろさないかって?今の俺はこの上ない羞恥心と絶望感に満ちてるからに決まってんだろ!
なんだよ『時は来た』って!全力で叫んじまったよ!
後先考えずにやった結果がまさかの自爆か?やばい、ちょっと面白い。
「……何も、起こらないんですか?」
誰もいない静かな図書室でその空間に訪ねてみる。もちろん返答はなかった、と思った。
「ん?」
この時になって俺は気づいたんだ、室内があまりにも静かすぎることに。
さっきまで聞こえていたはずの生徒の声はまだしも、設置されていた時計の秒針を刻む音、窓の外から流れ込む風の音すら耳に入ってこない。
「妙だな……」
もう一度辺りを見回してみると、一匹の蝶が飛んでいることに気づいた。
「止まってる……」
ただ空中で羽ばたくことをせず、その蝶は標本のようにたたずんでいる。
その時になって改めて感じた、『呪文は成功した』という事実を。
そしてそれは、止まった蝶の元へと歩き出そうとした瞬間に起こった。
ーーブォン!
「なんだ!」
踏み出した自分の足を中心に、青白い光で描かれた魔法陣のようなものが床に出現したのだ。
それは瞬く間に輝きを増し、有無を言わさず俺を取り込んでいった。
「うぉあああああああッ!」
あまりの光に目を瞑り、両腕で顔をおさえた。
そして俺の視界は、そのまま意識とともに深い暗闇に暗転した。
声が聞こえる。
それは耳元で囁くようなとても小さな声、というか鳴き声である。
俺は目を覚ますと同時に寝ていた上半身を起こした。
「なにが起こった…んだ?」
もはやそこは、図書室の空気すら感じさせない大自然の中にある森であった。
ここにきて、先ほどの鳴き声の主が鳥であったことに気づく。
「森?なんでこんなところに……てか学校じゃない」
根本的なところが大きくぶれてしまっていた。
学校じゃないというか、木の本棚が本物の木になったというか。とにかく自然で満ちあふれすぎている。
案の定、俺の寝ていた近くには帰るか躊躇った時に背負ったバッグが落ちていた。
中身をあさってみるもラノベや漫画、それにチョコレートなどのお菓子類しか入っていない。我ながら学校に何をしに来ているのやら、わかったもんじゃない。
「夢じゃないとしたら、本当に転移したんだな……」
ついに俺は二次元への片道切符を手に入れたらしい。
あわよくばここで一生を終えたい、そう思えるほど幻想的な森だが、現状を確認せねばなるまい。
そうして俺はただの森と思われた山を下っていく。
その道中には見たことがない植物が多々存在したが今はそれどころではない。
主人公がすべき行動は全て、ライトノベルと呼ばれる教科書を読み込んだ俺の頭に叩き込んである。
俺の脳はかなり二次元に近いものでできている、したがって、草原ステージからのスタートであったとすれば、おそらくはファンタジーものであると判断できたのだ。
単純に考えればここからそう遠くないところでイベントが発生するハズなのだ。
そしてその予想は意外な方向からやってきた。
「「オォォォォォォォォォ!!!!」」
地響きにも近い轟音とともに、歩いてきた道の方から大勢の人影が駆けてきたのだ。
いくらなんでもこれはハードモードの予感。
もちろん自分のなすべきことは重々承知である。
「逃げるに決まってんだろォォォオ!」
これが世に言う『逆全力坂』である。今にも山の傾斜に足をとられて転がりそうだがそんなことは気にしていられそうにない。
後先考える暇すらなく、俺は道なき山道を走り抜ける。
一向に後ろからの追撃は止むことなく、一目散にこちら目がけて走ってくる。
俺は彼氏彼女の関係に興味こそあまりないが、さすがにそっちの気はないです、こんなモテ方、心から望んでないです。
「なんでこうなるんだァァァァ!!」
先の見えない状況だったが、その一瞬、図書室で転移した時のような青白い光が見えた。
「アレだァァァァァァァァ!」
それを目がけて全身全霊全力疾走。この後のことなんか構うものか!俺は今を生きているんでな!
後ろのガチホモ軍隊との距離が近づいてきて、俺は一層強くなっていく光に飛び込むようにジャンプした。
が、そこには。
「「「え?」」」
二人の少女の先客と異口同音、完全に不意の事態だったが俺は無事に光とともに本日二回目の転移をした。