3章【assailant】
あまり考えていなかったが、シルフィシスの街は戦時下ではあるもののなかなかに栄えている。
ディアナの街、ルヒトもそれなりだったが、ここはさながらお祭り騒ぎだ。賑やかすぎるというか。
隣を歩くメイド服のようなドレスを華麗に着こなす女性はそんな街でもどこか浮いている。
目線がキリッとし過ぎて綺麗なんだがどこか怖い印象だ。
「カグヤ君、どうかしましたか?そんなに私のことを見られて………発情しました?」
「なんで自分の美貌を棒に振るようなこと言うんだよ!?……違くて、この街は随分賑わってるなぁって」
「それと私を見ていたことと何の関係が?」
「えっと……マアヤさん、なんか敵意振りまいてません?通りすがる人全員に殺意混じりの目を向けてるような……」
「これは私の基本スペックよ。何も問題なんてないわ。ほら見なさい、人がよろこんで中央の道を開けてくれるでしょう?」
「あー、つっこむだけ無駄だわこれ。なんか誰かさんに似てるな……」
「女の方?」
「ああ」
「その女性、きっと私に似て美しいでしょ……」
「お黙りなさい」
案外笑いがわかる人なのか、マアヤはどこか楽しげに話をしてくれる。
顔の変化が乏しいのがたまにキズだが、俺的に無口キャラと二人でデートってよりかは断然マシだ。
今回、俺とマアヤはリシュリューの遣いで市場に来ていた。
買うものは日用品から食料まで。俺たちの旅路に必要なものを買っていくように頼まれ、金まで渡された。リシュリュー、マジイケメン。
マアヤはリシュリューの眷属というだけあって堂々と歩を進めるものだからとても頼もしい。
そしてこんな時間を過ごしているうちに思うことがある。
俺のいない現実世界はどうなっているのか、と。
不安になることも多いはずなんだが、この世界に来てやることの方が多すぎたため今まであまり考えなかったけど。
「カグヤ君、早く歩きなさい。時間はあなたの鈍足のように遅くはないのよ」
「余計なお世話だ」
シルフィシスの街は規模こそ広いが繁華街である城の前以外は賑わいに欠けていた。
もちろんここにも無法地帯のような場所があり、そこにギャングのような組織も蔓延っているという。
マアヤに聞いたことだが、彼女も実際に行ったことはあまりないらしい。
ついでにリシュリューは図書館から滅多に出ることがないとか。
その繁華街のはずれ、店の隣に畑を持つ八百屋で最後の買い物を済ませる、はずだったんだが。
「店番がいないって、よくあることなんですか?」
店に入ってみたものの客どころか店の人間も見当たらなかった。バイトが店長の目を盗んでサボってるとか?
「いいえ、そんなことはないわ。この店はリシュリュー様が昔から贔屓になさっているから、潰れることなんてまずないのだけれど」
再び店内を見回してみるがやはり人っ子一人いない。
「すみませーん!誰かいませんかー!」
しんとする店内に俺の声だけが響く。どうも奥で寝てるとかそういうわけではなさそうだ。
「奥の畑にもいないようですね」
いつの間にか裏手に回っていたマアヤが戻ってきたようだ。
しかしながら、店の床にはトマトのような野菜が落ちて潰れている。つまり汚い。
「見なさい、カグヤ君。この潰れた野菜、跡を見たところ上から踏み潰された形跡があるわ」
さながら刑事ドラマのようなセリフを吐く彼女は地面を観察し始めた。
それにしてもその足跡は小さい。サイズにしたら二十センチあるかないかくらいの子供用のものだろうか。それともリザードマンのような亜人か?
「マアヤさん、このリオアヒルムには人間以外にどんな種族がいるんですか?」
「え?何よ、いきなり」
「いや、そういえばこの世界のこと、あんまり知らないでここまで来たなぁっと思って」
一度こちらをチラッと見たが彼女はまた床に目線を落とし、捜査を続ける。しかし、その口は俺の質問に答えてくれるようだった。
「リオアヒルムに現存する種族は確認されているだけでも五十を超えると言われているわ」
「五十以上も…………」
「ええ。まず、世界の中核となるのは人間族。七色の王の全てが人間であることがその証明ね。それ以外に大きな種族は、戦闘に特化したリザードマン、ゴブリンなどの亜人種。大陸西に住まう巨人族。天界に住まうという竜族とそれを崇めるエルフ。そして…………その全ての敵と位置づけられる魔族」
七色の王が全て人間ってことすら聴いてなかったんですけど。それでもまあ、なんとなく分かってはいたが。
「巨人族とか魔族とか、なんでもアリじゃねぇか。それだと人間って不利なんじゃ……」
「いいえ、その分のアドバンテージとして聖人ギルフォードはドライアーツの能力を最大限に引き出せる生物のカタチに人間を選んだわけ」
要するに、人間はそのままだと他の種族に太刀打ちできないけど、その分、強い武器を与えたってわけか。
ギルフォードとやらのスポーツマンシップへ対する地味な熱意を感じるが、そんなことはどうだっていい。
しかし、店番がいないとなると、実質行き詰まってるということだ。
「金だけ置いて帰ります?」
「いいえ、リシュリュー様からよろしく言っておくように承っているから、それはできないわね」
相当にリシュリューはこの店をご贔屓なさってるらしい。
ここに来るまでにいくつもの店に寄ったが、そのようにかしこまった話はしていなかった。
この店の店主に何かあるのか?
「ここにいても仕方がないわね、ひとまず……」
ーーバタンッ……
店の裏手だろうか、なにか音がした気がする。
マアヤもそれに気がついたのだろう、すぐさま店から出て再び裏の畑へと向かった。
そして、俺もそのあとに続いて走っていくとあまり広くはないが農作物がしっかりと手入れされている畑が見えた。
そこにいたのは先ほどの物音の正体であろう、その畑に倒れる人影だった。
「エレナさん!」
そう叫ぶとマアヤはその小さな、本当に小さな人に駆け寄った。
「亜人種、なのか」
店の中にあった足跡はやはり店の店主だったのか。
エレナと呼ばれたドワーフを彷彿させる少女は服が土まみれだ。そして状況を見る限り、ただ転んだというわけではないらしい。
背丈の高いつるを伸ばす植物の影から出てきたゴブリンがその決定的な証拠だった。
「あなたたち、彼女の畑で何をしているのかしら……」
その数、五体。大きいものからひょろっとした小さいものまでサイズは様々。
「エレナとかいうチビを殺せって命令なんだよ、そこをどきなお嬢ちゃん。今なら見逃してやらなくもねぇぜ?」
こちらには気づいていない。隙を見て後ろに回り込むか。いつでも対応できるように。
俺はひとまずゆっくりと、ゴブリンに気づかれないように畑の端を歩く。しかし、その必要もなかったようで、
「くたばるといいわ、この醜い肉塊が」
切れ長の目で敵を一瞥すると、手をかざすマアヤ。ドライアーツではない、しかしそれに近い何かを感じる。
淡い輝きの中から、彼女の手に収まるように出現したのは紫色の鞭。
その両端を勢いよく引っ張るようにしてゴブリンたちを威嚇する。
「テメェ、リシュリューの眷属か」
「名乗る義理はないわ。おとなしくひれ伏しなさい」
汚い声をあげながら襲いかかるゴブリンにマアヤは店主を小脇に抱えて一度距離をとる。
それを見た俺もドライアーツを顕現し、植物の間をくぐり抜けて真後ろから奇襲をかける。
マアヤも理解しているのだろう、俺との連携は予告なしにピタリとハマる。………と思っていた。
「ガッ!?」
突然、自分の体が止まった。いや、止められたのだ。気づきもしなかった、それは地中から伸びる巨大なゴブリンの手によって。
「カグヤ君ッ!?」
マアヤは店主を畑の外におろすと目の前のゴブリンたちを一掃し始める。
しかし、それどころではない。地中から出てきたゴブリンの体長はおおよそ三メートルぐらいある。この巨大ゴブリンの握力がその大きさ通り尋常ではない。
肩から膝の辺りまでを片手で鷲掴みにされてしまっている。
メキメキという骨か内蔵か、嫌な音が体の中から響いてくる。デカイとかそういうレベルじゃねぇぞこれ。
「ゴブリンの……ドライアーツ……?」
マアヤが何か言っている。正直気を抜けば一瞬で意識がふっとびそうだ。
「これがゴディバルト帝国の最新技術によって造られたキラーゴブリンだ!」
高々と笑う小さいゴブリンたちが器用に鞭の攻撃をかわしていく。
右へ左へ、隙のない攻撃に耐え切れず少しずつ数を減らしていくものの、このキラーゴブリンとかいう化け物への打開策が思いつかない。
「その武器、いつまでも振ってていいのか、眷属?あの小僧の体が握り潰されちまうぜ?」
「…………ッ!」
ゴブリンの言葉にマアヤは動きを止め、そのドライアーツを収めた。
「グギャ、グギャギャギャ!」
その勝ち誇った笑いを浮かべるゴブリンは彼女を地に這いつくばらせ、そのポニーテールの結われた頭をグリグリと足で踏みつける。
「ゴブリン族は、ドライアーツの適合性が極端に低いハズなのに、なぜ……」
マアヤの目はまだ死んでいない。何かに期待しているかのように。
彼女を見て分がこちらにあると踏んだ巨大ゴブリンは若干だが手の力を緩める。しかしながら呼吸ができるようになっただけで抜け出せそうにはない。
「体を改造することなんざ、ゴディバルトにとっちゃ簡単な話なんだとよ」
まるで他人事のように話すお喋りゴブリン。おそらくだが下っ端で雇われた低階級の兵士と見受けられる。
しかしまあ、この巨大ゴブリンはただデカイだけではないらしい。
先ほどからドライアーツを発動させようと力を込めているのにまるで起動する気配がない。まるでその力を失ったかのような錯覚まで覚えてしまうほどに。
「ドライアーツの、無力化……?」
「その通りだ人間。グゲゲ………キラーゴブリンのドライアーツの能力、それは自身の強化に、触れた相手のドライアーツを無力化する。ドライアーツの使えない人間に何ができるのかってんだ!グゲゲ、グギャギャギャ!」
ガラガラとした声で嘲笑うゴブリンたち。なんとかこの状況を打破しなければ、しかしドライアーツが使えないうえ、腰にある剣すら引き抜くことができない。
これはマズいか、そう思った時だった。
「ガルロッテ流剣術奥義…………」
どこからともなく聞こえてきた声に覚えがあった。そして、
「ウヅキッ!!」
続いて聞こえてきた声に呼応するようにキラーゴブリンの腕から力が抜けた。
「グギァァアアァァアァァァア!」
知性を感じさせないその悲鳴と共に俺の足は久々の地に着いた。
腕が切断されたのだ、ゴブリンの。それも両断というより切り刻まれたといった感じに。まるで大樹の年輪のように骨や血管が見える。
素早く後方に逃げるキラーゴブリン。そして、俺の横に降り立った人物。
「カグヤ、無事?」
サラッと無表情で救出してくれたのはガルロッテ公国の皇女、ショコラティアだった。
「チョコ!?どうして……」
俺の言葉に耳を傾けつつ、彼女と俺を中心にキラーゴブリンとモブゴブリンたちが取り囲んでいるこの状況、チョコならしのげるのか、俺にもわからなかった。
しかし、『白の剣聖』と呼ばれる彼女はそんな確率の不条理をも覆してくれる、そんな予感がしていた。
「そこのゴブリン、その足をどけなさい。さもなくば、この刃の斬れ味をその身で味わうことになる」
チョコは剣の切っ先をモブゴブリンたちに向ける。しかし、俺の気のせいだろうか、殺気が薄い。まるでタイミングを掴もうとしているような。
対するモブゴブリンは改めて小脇に差した鈍器やら剣を取り出して徹底抗戦の意思を示した。
「グギャギャ、この間合いであれば白の剣聖とてその刃は届かねぇだろ、グギャギャギャ!」
ゴブリンはその剣をマアヤの首元に突き立ててこちらに陽動をかける。
しかし、しかしだ、まだチョコは冷静なままでいる。
そしてチョコの作戦を知る時はすぐにやってきた。
「アーカーシャブックッ!」
鈍い音と共に剣を持っていたゴブリンは倒れた。
モブゴブリンの後方、というより上空から現れたのは、『紫の詩人』リシュリューだった。
なんか『アーカーシャブック』とか叫んでたけど、その攻撃は堅そうな本の背表紙による物理ダメージだった。
期待をどこまでも裏切る男、リシュリューの一撃はゴブリン一匹の頭蓋を変形させ、マアヤの窮地を救った。
「大丈夫かい、マアヤ君?」
「まったく、使えないわね、私の主は……」
彼はマアヤを抱きかかえるとその場から後ろにある店の屋根の上まで大きく飛び退いた。
「ショコラティア君、あとは君の領分だ。任せてもいいかい?」
「問題ない…………ッ!」
チョコの後方から迫る影は、先ほど腕を切り落とされたハズのキラーゴブリンだった。
そのダイナミックな一撃をかわし、その姿を見るが、
「腕が、再生している……?」
切り落とされた肉片はそこらじゅうに散らばったまま、だがゴブリンの腕はまるで元からあったもののようにしなやかな動きを見せる。
「グギャギャギャ!キラーゴブリンは不死身の肉体を持つ!貴様らがいくら切ろうが再生を繰り返す!グギャギャギャ!」
再生能力とかマジチート、俺が欲しいわ。この世界生きていくには何回死んでも死にきれねぇよ。
「やれ、キラーゴブリンッ!」
「グガァアアァァァアァアア!!」
右へ左へとフェイントをかける、その巨体からは想像できないレベルの速さで。
「チョコ!気をつけろ!」
さながらドリブルしながら敵をかわすバスケット選手のようだ。しかも超一流。
その動きから放たれる猛攻に防戦一方のチョコ。
少し離れた場所から見ていてもわかる。再生能力相手だとこの世界の特異能力では分が悪い。
素早い動きに合わせて回避を続けるチョコをただ呆然と見ていた時だった。
ヴーー…………ヴーー…………
その小さな振動を感じるのはスラックスのポケットの中。おもむろに取り出した俺はその存在を思い出すことになった。
「黙示録………………このままだとダメってことか」
スマートフォンの画面に映し出されたこの先の未来を予言する文章、そこにはチョコの死が書き記されていた。
魔女の家でエルキアと戦ったときと同じ現象が起っている。
「ドライアーツに頼るしか…………いや、何とかなるんじゃないか?無限の再生能力、生物である以上、その中心核が存在する。もしくは、その再生は無限でなく限界がある、この二択かッ!」
アニメや漫画から吸収したそれに関する対策はいくつもあった。そして俺の直感、本当に直感だ。ゴブリンがドライアーツを持つことにマアヤは驚愕していた。おそらくだがゴブリンのドライアーツ適性はかなり低いということだ。
つまり、そこにエラーが生じるのはもはや必然。
「チョコッ!そいつを切り刻めッ!」
「……!」
俺の言葉が届いたのだろう、チョコは瞬間的にこちらに目を向け、その目でうなづいてみせた。
「我が願いに応えよ、『ブランシェール』」
目を閉じ、何かを唱えるチョコはそんな中でもキラーゴブリンの連撃を丁寧にかわしている。
足の軸を右へ左へと変えて一撃の風圧に身を任せるように。
そして彼女が目を開いた刹那、後ろに五メートルほど飛び退き、左手に持つ剣を目の前に掲げた。
右手をその刃に添えるように突き出し、そこから刃に沿って右手を柄の方に滑らせる。
左手に持っていた剣が空中で半周回転し、その柄を掴んだ。
「逆手持ち?」
俺の呟きにも反応せず、チョコは再び目を瞑り、大きく深呼吸する。
「グギギィィァアァァァァア!!」
その落ち着き払った彼女を見て激昂したキラーゴブリンは両手を地面に叩きつけ、上空へと飛び上がり、チョコに攻撃をしかけに行った。
「チョコ!」
「真我流逆手剣術、奥義………」
キラーゴブリンの太腕がまさに振り下ろされる瞬間、空間が歪むような、そんな感覚に陥る。
自分自身でも何が起っているのか分からなかった。
「カガリビ」
言葉を放った後、その場にいた者の目に映るチョコは一瞬だが、体が異空間に吸い込まれるようにねじ曲がって見えたのだ。
気づいた時にはチョコはキラーゴブリンの後ろに立ち、ブンと音を立てて剣を振った。
場が静寂に包まれる中、対するキラーゴブリンはピクリとも動かない。
「これは、マアヤ君にお願いされても敵にしたくない相手だね」
リシュリューの声が遠くから聞こえてきたと同時にキラーゴブリンの体は砂のように風に吹かれ、最後には消えてなくなった。
「グギィイ!?」
あまりの出来事に困惑する残りのモブゴブリンたちは奇声を上げながら、興奮しているのかその場で跳ねたり武器を地面に叩きつけたりしている。
畑のちょうど中央にいるチョコは静かに息を吐き、
「高を括る相手が悪かったね。大人しく消えなさい」
と、ゴブリンに言い放った。
横からだが彼女の目が見える。
次はないと言わんばかりの、正真正銘の殺気だ。
ゴブリンたちはその目に恐れをなし、わらわらと畑の中から退散していく。
やっと戦いに幕がおりた、と思っていた。
「我が眷属たち、お待ちかねの出番ですよ。さあ皆さん、彼らを殺しなさい」
声が聞こえた方向、店の屋根上、リシュリューがゴブリンを指して命じた。彼の眷属に。
紫色のローブを着た十人ほどの集団が残存する五体のゴブリンを囲み、その首を刎ね、胸を突き刺した。
断末魔が響く間もなく、ゴブリンたちはその場に血を流し絶命した。
「よくやりました、我が眷属たち」
アーカーシャブックを脇に抱えてゆったりとした拍手を送るリシュリュー。彼を見て驚いたのは俺だけではなかった。
「何故だ、リシュリュー……」