俺はウンコ製造機
初投稿ですのでどうかお手柔らかに。
バナナぐらいの硬さでお願いします。
2014.7.27 少し書き直しました。
「靖男、今日という今日はもう堪忍袋の限界だ!ちゃんと働き口を見つけろ!」
ちょっと遅い朝、いつものように布団にくるまり惰眠をむさぼっていた俺は、オヤジの罵声によって目を覚ました。
まぁ、これは日常茶飯事。
いつもの事だ。
わずらわしいので頭から布団をかぶり、聞こえないフリをする。
「・・・・・・」
「アルバイトでもいいから、ちゃんと真面目に働きなさい!」
今日はどうやら、母親も同伴のようだ。
更年期にさしかかった中年女性にありがちなヒステリックな金切り声を出している。
俺も負けじとばかりに言い返す。
「うるせーなぁ。次の仕事が見つからないんだから仕方ないだろ。近所迷惑だからあまり大声出すなってば」
「そもそもお前らの世代の若者は、仕事をより好みしすぎだ。お前のような年齢のうちは、誠意を尽くして黙々と働いていれば、そのうち必ず職場の偉い人に認められて……」
社会の実情に疎い中高年男の典型的な説教話である。
馬鹿の一つ覚えのようにいつもいつも同じような内容ばかりなのだから
はいはいと適当にあしらって軽くスルーすればいいのだが、反論せずにいられないのは何故なのだろうか。
不毛な論争に発展することを分かっていながらも、ついつい言い返してしまう。
「それはオヤジが生まれた時代が良かったからそういえるだけだろ!あんたたちの生きてきた時代と違って、今の世の中ってのは社会の産業構造そのものが変化して……」
「うるさい!つべこべ言う暇があったら、とにかく仕事を探せ!お前には根性・我慢・忍耐・気合が足らん!それを人事に見抜かれているから面接でも採用されんのだ!分かったか!」
どうやら逆鱗に触れてしまったようだ。
あーあ、またやっちゃったよ。
しかし、この辺の世代の人は、全くよくもまぁ、テレビのワイドショーや週刊誌の記事の受け売りのような事を恥ずかしげもなく喋るものだと感心させられるね。
2人はその後、鬼のような表情で説教を散々まくしたて俺を叱責しまくった挙げ句、あきれたような顔をしてバタンとドアを閉め、俺の個室から出て行った。
やれやれ、やっと静かになった。
二人とも仕事へ行くのだろう、ようやくこれで一安心。
こうして、退屈なひきこもりニートである俺の一日が始まるのだ。
さて、自己紹介をしておこう。
俺の名前は平野靖男。
とても平凡な名前だが、父親いわく普通の人間になるように、との願いを込めて名付けたとのことらしい。
その願いがある程度は通じたのだろうか、大学を卒業し就職するまでは、まぁ人並みの人生を送る事が出来た。
だが、その就職先には俺の人生最大の挫折が待ち受けていた。
内定が取れ就職した会社が、世間でいうところの「ブラック企業」と言うヤツだったのだ。
なぜそんな会社に入ったのかって?
就職ナビサイトに掲載されていた企業紹介の「実力主義で若手でも高給!」「活気のある職場!」等と言った煽り文句に魅かれ、また自宅から至近の場所に本社があって通勤しやすい、というところもものぐさな自分には向いていると思い、適性などについてよく考えもせず安易に入社してしまったのが非常にマズかったのだがそれだけではない。
それ以上に、その職場にはさらに大きな問題があったのだ。
性格の合わない嫌な上司がいたのである。
そいつ自身はあまり頭が良くなさそうだが、要領よく上の人間に愛想をして出世してきたような男である。
それだけならまだ可愛いのだが、困ったことにそいつは、自分に媚びを売る部下にはやたら甘く、気に入らない部下には異様に厳しい。
極めて独善的で、自分の好き嫌いで物事を判断する人間だったのだ。
そいつに嫌われた部下としては、たまったものではない。
気に入らない部下のノルマ達成率が悪い時などは本人を呼びつけ、ねちねちと罵倒し追い込んでいくような言い方をするのである。
例によって俺は、聞くに堪えない陰湿な悪口を浴びせかけられる標的となってしまい、心身ともボロボロとなった。
ついにはその上司にブチ切れ反抗したが、それによって会社にいられなくなってしまい、結局は退職するハメになってしまった。
そんな訳で、両親の実家にパラサイトしている無職男性(28)という社会通念上極めて肩身の狭い身分に甘んじているというのが俺の現状だ。
次の職業を探すため、ハローワークにも通いつめているが、なかなか俺にあう仕事というのは見つからない。
あったとしても、面接で落とされるのが関の山だろう。
それによって俺の勤労意欲はますます減退し無気力となり、ついに俺は引きこもり同然になってしまった。
朝、目が覚めた俺は、布団からのそのそと這い出し、パジャマから普段着に着替えて適当に朝食を食った後、トイレで用を足す。
これが俺の日課だ。
トイレの便座にゆっくりと腰を下ろし、物思いにふける。
うーん……
心のトラウマとなってしまったのだろうか、トイレの便座に腰を下ろすたび、条件反射のように、上司から言われた「ある言葉」を自然と思い出してしまう。
「平野、お前は給料泥棒をはるかに通り越した『ウンコ製造機』だなァ!」
どちらかといえば要領が悪く無能な俺に対してとはいえ、人間の尊厳を踏みにじるという意味であまりにもひどい言葉ではないだろうか。
そのような言葉を俺に向かって平然と日常的に浴びせてくる前の上司は、あまりにもえげつない、卑劣な人間だ。
社会通念上許される事でもないだろう。
明白なパワハラであり、侮辱であり、もしかすると名誉棄損であるかも知れない。
だが、その一方で、客観的に考え直すと、こうも思ってしまう。
すっごく……的を射た表現だよなぁ。
だって俺、仕事してないひきこもりニートじゃん。
社会的に何の生産性もないんだよ。
わずかばかりの貯金と失業保険、それに親からのまかないを糧として、限られた人生をただ無為に過ごすだけの時間つぶし、消化試合のような日々。
次の仕事が見つかるあてもなく、何もやりたい事すらなく、萌えアニメを見たり、ラノベを読んだり、テレビゲームで遊んだり、だらだらとネットサーフィンをして淡々と日々が過ぎていく。
俺がこの世に生きている価値があるのか、生きている意味があるのか、極めて疑わしいが、世間では自殺はいけないというタテマエになっているから、死ぬわけにもいくまい。
ま、死ぬ勇気もない弱虫というのもあるけどね。
死ねないから生きているという、ただそれだけの人生。
そうであっても、生きている以上は腹が減る。
腹が減る以上は、食べなければ生きられない。
また、食べる以上は、体外へ排出する行為についても行わねばならない。
そう、今はまさにその行為の真っ最中。
ぶりぶり。
あぁ、前の職場の上司さんよ。
あんたは人間性の欠如した異常者だ。
ろくなヤツじゃねぇ。
だが、俺は気づいちまった。
例えあんたがおかしくても、あんたの言ってる事自体は何も間違いなんかじゃなかった。
それどころかむしろ、この上なく正しい真実そのものだったよ。
俺は、正真正銘のウンコ製造機だ。
あぁ、情けねぇ。
悔しくて、悲しくて、腹が立って、涙が出てきそうになる。
クソったれがぁ!!
事件が起きたのは、まさにその時であった。
トイレの天井に黒いもやのようなものが現れ、それがあっという間に濃くなり真っ黒な穴のようなものが生まれたかと思うと、そこから人間が俺の上に落ちてきた。
「ドッシーン!」
洋式便座に腰を下ろし、下を向いて気張っていた俺の背中の上に落ちてきたのだからたまらない。
俺はそいつに押しつぶされ、しりを丸出しにしたままトイレの床に叩きつけられた。
「あいたたたた…いったい何が起こったんだ?」
その男も相当痛かったのだろう、糞まみれになってトイレの床に倒れこみ、苦痛で顔をゆがめながら俺の方をを見ている。
俺は当然、腹を立て、怒鳴りつけた。
「人がゆっくりと用を足してる時に、一体なんなんだアンタは!!」
「私の服についているのは、人の糞……これは……!」
その男は、何やら驚いた表情を浮かべていた。
「何をわけのわからない事を言ってるんだ?……さては新手の変質者だな、警察に突き出してやる!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、これには事情がありまして……」
「お前の事情なんか知ったことか!……うわっ、ウンコが飛び散って俺もお前もクソまみれだ!汚い!臭い!」
「すみません、でも……」
「とにかく、このままじゃどうしようもない。隣に風呂場があるから、そこでシャワーを浴びてくれ」
「あぁ、はい、分かりました。だけど……」
「言い訳すんな。言っておくが、絶対にウンコをまき散らすな。あと、逃げようなんて思うなよ」
「すいません……」
「うわ……自分のウンコとはいえ、気持ち悪いなぁ……鼻が曲がりそうだ」
悪臭をこらえながら、汚物で汚れているその男をシャワーで半ば強引に洗い流させた後、俺も自分の体を洗った。
風呂に入って清潔になった後、俺はその男を問いただしてみる事にした。
……よくよく見てみると、その男は年齢40代ぐらいだろうか、メガネをかけた知的な顔つきの男だった。
さっき天井から落ちてきた時には高そうなスーツを着ていたのだが、それが糞まみれでとても着られる状態ではないので、俺の家にあったバスタオルを腰にまかせた状態だ。
まぁ、こんな姿なら逃走する心配はないだろう。
体つきはというと、ヒョロヒョロのもやしっ子がそのまま中年になったような姿で体力はあまりなさそうだ。
正直なところ、悪質な犯罪をするような人間には見えない。
俺は痛くて汚くて嫌な思いをして機嫌が悪かった事もあり、この男に少し威圧的に話しかけた。
「おい、あんた、何者だよ。なぜ俺の家に忍び込んだ?さっきも言った通り、本当のことを言わないと警察に通報するぞ?」
その男は怯えるように縮こまってかばんから名刺を取り出し、俺に手渡した。
「先ほどは、大変失礼いたしました。私、逃げも隠れもいたしません。ただ、話だけは聞いてください。私、こういう者でして……」
「なになに……へぇ、厚生労働省の時空雇用調整課長、田中秀才郎さんですか。」
「えぇ、一応、東大卒のキャリアです。」
「ちょっと待って……厚生労働省にそんな変わった部署があるなんて話、俺は聞いたことがないぞ」
「ご存知ないのも当然ですよ。私は未来の世界からタイムスリップして来ましたからね」
未来からタイムスリップしてきた?
そんなSFみたいな話が現実にあるものか。
俺はそいつのいう事を信じられなかった。
もしかすると、本気でアレな人間じゃなかろうか?
そう考えた俺は、そいつの妄想を聞き出して面白がってみようと思い、軽蔑と憐みの表情を浮かべつつ面白半分に問いただした。
「へぇ、未来からですかァ?いったい、いつの時代の方が、何をしにわざわざ来たんでしょうねぇ」
田中は少しむすっとした表情で話を続けた。
「人を小ばかにしたようなあなたの口調。私の言った事を信じておられませんね……まぁ、仕方ありません。あなたの時代の常識では、信じられないのが普通でしょうから……」
「まぁ、信じてないけどね」
俺は返事をした。
「私の目的を率直に申しましょう。私は西暦2299年から今の時代、つまり西暦2013年に、労働力を確保するためにやってきたのです」
「へぇ、こりゃまたどうして?」
ニートの俺としては少々気になる話題だったので、つい質問をしてしまった。
「簡潔に言うと、未来の世界では文明が進歩しすぎたせいで国民が怠けてしまい、真面目に働かなくなってしまったんです。このことが2299年の日本社会を揺るがす大問題となっているんです。この、豊かさゆえの怠惰な人口の増加という難しい課題に対処すべく、我々厚生労働官僚が、考えうるあらゆる方法を検討した結果、新発明されたタイムマシンを活用する事で対処を行う可能性を見出しましてね」
割と面白い話だったので、俺はつい聞き入ってしまった。
もしかして、この田中って男は本当に未来から来たのか?
いやまさか、そんな事があるはずは……
気になった俺はさらに続けて質問をした。
「タイムマシンを使って、いったい何をするんですか?」
「要はですね、タイムマシンを使って『過去の時代の失業者に2199年に出稼ぎに来て働いてもらう』んですよ。一般的に言って、豊かな人間よりも、貧しい時代・地域に生きている人間の方が勤労に対する意欲は高いものですからね。過去の時代の方々に勤労の機会を提供し収入を得てもらい、我々未来の人間としても労働力不足という社会問題を解決する。双方にとってメリットのあるシステムなのです」
「先進国の人間が移民をこき使ってるのと同様に、未来の人間が昔の人間をコキ使おうとしているってだけの話じゃないの?」
「簡単に言えばそうなんですがね」
田中は苦笑いしながら答えた。
おそらく図星だったのだろう。
だがしかし、このアイデアはあながち間違っているとは言えない気がしたし、むしろなかなかいいアイデアだと俺も思った。
というのも、西暦2013年の今の世の中でも心あたりのある現象だからだ。
俺の父親は高度成長期の始まる前、1950年頃に生まれた、いわゆる団塊の世代だが、酒を飲むと、自分たちが子供のころ日本がどれだけ貧乏だったのか、自分たちの世代が豊かになるためにどれだけ必死で働いたのか、口を酸っぱくして語りたがる。
猛烈に働く、企業戦士という名前が似合う、勤勉そのものの男だ。
それに、自分たちが生きている今の世の中を見渡してみると、コンビニとか牛丼チェーン店なんかでも日本人店員より、発展途上国であるベトナム人や中国人の、出稼ぎでやってきたアルバイトのほうが真面目に働いている事が多い気がする。
田中は続けて語った。
「それでですね、私が西暦2013年に来た理由なんですが、この時代というのは経済のグローバル化やパソコン・携帯電話の普及によるIT化といった急激な産業構造の変化が原因で、歴史上稀にみる失業率、特に若年者のそれが急激に悪化した時期なんですよ」
「確かに。俺が中学とか高校の同窓会に出席しても、ニートしてる奴って結構多いもんなぁ」
他人事のように語ってしまったが、そういえば俺も正真正銘の立派なニートなんだった。
別に立派ではないが。
まぁ、それはいいとして……。
田中は言葉を続けた。
「それでですね、私ども未来の日本国厚生労働官僚は、この時代の失業者の方々に何とかして職に就いていただく、という方向で政策を考えているのですよ」
♪プルルルル、プルルルル
突然、携帯電話の着信音がした。
田中のカバンの中で鳴っているようだ。
「あっ、ちょっと電話、失礼しますね。……もしもし、部長ですかお疲れ様です。はぁ、無事に成立しましたか。それは良かった。はい、私は今2013年ですけど?やるんですね。分かりました」
「どうしたんですか」
「ええ、先ほど私がお話しした政策を実施するための法案『超時空雇用促進法』が2299年の通常国会で成立したんですよ。上司から、さっそくモデル事業の対象者として出稼ぎに来る人間を選んで連れて来るように、との指示があったんです」
「ふむ」
「ここで会ったのも何かのご縁です。お願いがあるのですが。もしよろしければ、この時代で失業し求職中のご友人か誰かを紹介してもらうなんて事はできませんでしょうか?」
「あなたは、何を考えているんですか」
「その方に超時空出稼ぎ労働者の第1号になってもらおうと思っています。賃金については、この時代の基準でいえば間違いなく高額ですし、あなたには紹介料も支給いたしますよ」
「いや、恥ずかしながら、実を言うと……紹介するも何も、俺自身がニートなんだよ……」
俺はうつむき、ぼそぼそと小さな声で答えた。
「そうなんですか、それはお気の毒に。別に恥じる事ではございませんよ。あなたは今の時代の価値観が刷り込まれ洗脳されているから、恥ずかしいと感じている。それだけの話なんです」
「……いったいどういう事だ?」
「あなた方の時代の日本では、働くことは尊い事であり、義務であり人間の存在意義である、という伝統的な価値観がありますね。その価値観に基づいた教育をされ、その結果として労働=美徳という考え方が疑いようもないほど正しいものとなっています。だから、失業している事が恥ずかしい事だと感じてしまうんです」
「……そういうもんなのか」
俺はつい、相槌を打った。
田中は熱弁を続ける。
「あなた生きている時代の価値観、つまり労働=美徳・義務・人間の存在意義、という考え方は、美しく、ノスタルジックであり、また理想主義的な価値観だと私も思いますよ。だがしかし、あなたの生きている世界の現状はどうでしょうか。皆がそのような素晴らしい価値観を持っているにもかかわらず、企業というのは効率性を追求し、人件費を削減するために高額な機械やコンピュータを導入し、あるいは簡単に切り捨て可能な派遣労働者や低賃金で働いてくれる外国人労働者ばかり雇用したがっているじゃありませんか。働く人間をいじめ、足元を見ることしか考えていない。おかしいと思いませんかね。あなた方の世代は時代の変わり目にありがちな、価値観と社会的状況が矛盾したとても特異な時代を生きているのですよ。だから私は実に気の毒だと思ったんです。だから私たちはですね、過去の時代の人間に未来の世界で相応の対価を得られる仕事について欲しいと心から願ってこの政策を推進しているのですよ」
「言ってることはすごく正しいような気がするなぁ。本当かどうかわからないけど、話に乗ってみるとしようか」
「ええ、それで待遇なんですがね……西暦2299年の最低賃金が……円ですから……それに、支度金が現代の貨幣価値で500万円……」
田中が教えてくれた金額は最低賃金であったにもかかわらず、西暦2013年とは比べ物にならないほどケタ外れに高額なもので、支度金も大変な金額だった。
このままいけば年収ゼロ円が確実視されているニートの俺に、迷いはなかった。
「そんなに払ってくれるんだったら、俺喜んで未来へ働きに行くよ!」
「あなたが来てくださるんですね、嬉しいですよ」
「もちろんだよ!」
「合意成立という事でよろしいですね!さっそく、上司に連絡しないと……」
田中が嬉しそうな顔で上司に連絡を始めた。
このような経緯で、俺は超時空出稼ぎ労働者の第1号となった。
身支度を整えた俺は田中に連れられ、タイムマシンで西暦2299年の未来へと旅立つ事となった。
田中の、汚物まみれになったスーツのクリーニングも完了して準備は万端。
「あぁ、時空交通さん?ちょっとタイムタクシーの配車お願いします。今、日本標準時2013年3月10日午前9時18分、GPS座標35.681382の139.766084付近にいるので。ええ、急ぎで」
田中は先ほどの携帯電話を使い、タイムタクシーの送迎依頼をした。
程なく、俺の家のリビングに自動車のような形をした乗り物が突然、でんと現れた。
「来ましたよ。さぁ行きましょう。それがタイムタクシーですからどうぞお乗りください」
乗車を促された俺は田中とともにタイムタクシーに乗り込み、2299年へとタイムスリップした。
俺たち二人は、2299年の日本、東京に到着した。
意外かもしれないが、2299年の東京の第一印象は、俺がいた2013年とあまり変わらなかった。
建物、自動車、町を行き交う人々の服装等はさすがに洗練されているものの、俺のいた2013年と根本的に異なるものはパッと見たところも見当たらなかった。
ただし、街を歩く人間の数は驚くほど少ない。
「あなたの滞在する部屋にご案内しますのでついてきてください」
そういって田中は歩き出したので、ついていくことにした。
「2299年の日本はどのように見えますか」
「そうですねぇ、町並みはずいぶん変わってしまったなぁ、と思いますが、目新しいものは特に……」
「そう見えるでしょうね。2299年の日本というのは、皆が怠惰になって勤労意欲がなくなってしまった時代ですから、思ったほど進歩はしてないんです」
俺は田中と雑談を交わしながら街を歩いた。
「つきましたよ、ここです」
田中が言った。
到着したのは都内にある最高級ホテルであった。
「あなたのために特別に用意させていただきました。あなたにはここで過ごしていただきますからチェックインをしてください」
広々としたロビーには天井から豪華絢爛なシャンデリアがつるされ、重厚感あふれる調度品が並んでいた。そのロビーの壁面にあるガラス張りの特大の窓からは、美しい日本庭園を眺めることができた。
余りの豪華さゆえ、逆に心配になった俺は田中に尋ねた。
「変なこと聞きますけど、宿泊費は僕が負担する、とかそんな話だったりはしないでしょうね……」
「まさか!我々の方で全額負担いたしますからどうぞご心配なく。ボーイさんが案内してくれるそうですから、さっそくお部屋に行きましょう」
俺が案内された部屋は、高層ビルのホテル最上階、最高級スイートルームだった。
窓からは2299年の東京の素晴らしい景色が一望できる。
設備についても超一流で、寝室とリビングが一続きになった広々とした部屋は快適そのもの。
それ以外にも応接間やキッチン、リラクゼーションルームまである。
清潔なバスルームにはジャグジーまで備えられている。
また、トイレはバスルームと別になっているため、ゆっくりと用が足せる。
「あなたにはしばらくの間、この部屋で過ごしていただきます。どうかおくつろぎ下さい」
「こんな贅沢な部屋、初めてだ!本当に自由に使っていいのですか?」
「もちろんですとも」
田中は室内の机の上に置いてあった冊子を手に取り、俺に見せた。
「下の階にレストランのフロアがありますので、ご自由に利用なさって下さい。この部屋のルームナンバーでつけにして下されば結構ですから。店まで行くのが面倒ならば、ルームサービスも利用出来ますよ。和食、洋食、中華……世界中のありとあらゆる食材・メニューをを取り揃えています。もちろん、お代は頂きません」
俺は腹が減っていたので早速、注文することにした。
オーダーは、フランス料理のフルコース。
こんな贅沢なもの食べるのは、生まれて初めてだ。
しばらくすると、前菜が運ばれてきた。
うむむ、旨い。
「お気に召していただけましたか」
田中が俺に尋ねる。
「もちろんだとも。こんな旨いもん、食ったことないよ!」
「そうですか、それは良かった。それでは、気ままにお過ごしください」
田中はそういって一礼し、部屋から出ていった。
俺は、注文した料理を食べ続けた。
こうして俺はホテルで3日間過ごした。
最初の頃は美味いものを食べてベッドでゴロゴロしたり、ホテル内のプールやフィットネスジムで体を動かすだけで十分満足だったが、やがてそれにも飽きてきた。
そこで俺は、4日目の昼にふぐ懐石を食べた後ホテルの外へ出かけ、散歩することにしたのだ。
ホテルの窓から景色を見ていた時から気になっていたのだが、2299年の東京は妙に人通りが少なく、街を歩く人間もあまりいない。
2013年の東京の日中の人混みに比べると、快適と言えば快適なのだが、少し雰囲気が寂しい気もする。
こうして俺はホテルの周辺を散策したのだが、めしを食った後に動き回った俺はトイレに行きたくなった。
だがしかし、困ったことにどこにもトイレが見当たらないのだ。
公園を歩いても公衆便所はなく、雑居ビルにも設置されていない。
さらに驚くべきことに、街角のコンビニエンスストアに入っても、トイレは設置されていないのだ。
俺の知っている限りでは、トイレは俺の泊まっている部屋にしかない。
俺は、ウンコが漏れそうな極限の状況を必死で我慢しつつ、ホテルの自室に猛ダッシュで向かった。
ホテルのエントランスをくぐるや否や、まっしぐらでエレベーターに飛び乗った俺は自分の部屋のトイレに飛び込み、洋式便座に腰を掛けたその瞬間、俺は猛烈な勢いで排便をした。
「間一髪、間に合った……」
公衆の面前でウンコを漏らす、という最悪の事態はなんとか回避された。
ふぅ、これで一安心だ。
すっきりした俺は尻を拭って水を流し、いい気分でトイレを出た。
♪ピンポーン
ホテルの部屋の呼び鈴が鳴ったのは、まさにその時だった。
俺はインターホンを取った。
「はい、どなた様ですか」
「私です、田中ですよ」
「田中課長ですか、すぐ出ます」
俺は田中を室内へ招き入れ、応接間へと案内した。
田中は満面の笑みで話しかけてきた。
「いやぁ、お仕事たいへんにご苦労様です、おかげさまで……」
「いえ、僕はまだ何も仕事なんかしてないんですがね、早く紹介してくれませんか」
「いえいえ、あなたはすでに、素晴らしいものを次から次へと生み出しているじゃありませんか」
「だから、俺が何をしたっていうんだよ?何もしてないんだよ!変な人だなぁ……」
田中とは話がかみ合わない。
俺は何もしていないのに、田中は仕事をし、素晴らしいものを次から次へと生み出しているという。
田中は、俺の部屋にあるトイレを指さして言った。
「あなたは毎日、あそこに行ってらっしゃいますよね?」
「そりゃ、あんたに美味いものたらふく食っていいって言われてんだからそうなるだろ。俺だって人間なんだから、ウンコが出るのは当たり前じゃないか?何か文句でもあるのかよ?」
「いえいえ、ですから……それが労働なんです」
俺は聞き返した。
「あなたの言っている言葉の訳が分からない……ひょっとして俺の頭がおかしくなったのか?」
「そういえば、貴方はご存じありませんでしたね。説明いたしましょう……実は、22世紀では人間は食物を通じて栄養を得るという事をしないんです」
「へぇ、いったいどうして?」
「21世紀までの人間にとって、日常的に食事をするのは至極当たり前の行為でしょう。しかし、22世紀では、食べ物を消化し排泄するというのは、人体、特に内臓に負担をかける大変に不健康な行為だと考えられておりましてね。だって……考えても見て下さいよ。口から摂取した様々な食べ物を、黄土色の、強烈な臭いを放つ物体に体内で変換する作業を行っているわけですからね。これは客観的に考えれば、体に負担をかけるという意味で恐ろしく大変な重労働ではありませんか!?」
「まぁ、確かに。言われてみればそうでないとは言えないが、しかし……」
俺は田中の説明を聞き続けるしかなかった。
「そんな訳ですから、22世紀の人間はほとんどの人間は基本的に食事を摂りません。その代わりに、最新の科学技術によって開発された栄養サプリメントによって生きていくためのエネルギーを得ているんです。そうする事で内臓疾患などの病気の発症率が劇的に低下し、寿命も飛躍的に伸びたんですよ。食事をしないわけですから、もちろん排泄もしないんです」
「本当かよ……!!」
驚いた俺はつい、叫んでしまった。
田中は話を続ける。
「ただ、人間の排泄物には様々な有機物等のいろいろなものが含まれていますからね、エネルギー源や研究用等の用途としてすごく希少価値があるんです。あなた方の時代で言えば、純金やプラチナに匹敵する希少物質として市場取引されています」
要するに、22世紀では俺のウンコは激レアなマテリアルで、とても価値があるモノらしい。
にわかには信じがたい話である。
「平野さん……あなたは自らの身を削って希少な排泄物を大量に生産され、この社会に大変な社会貢献をされたのですよ。心から感謝します」
単にウンコをしただけで感謝されるというという状況が受け入れられずにいる俺を尻目に、田中は電話を始めた。
「もしもし田中です。例のモデル事業の件ですが、大成功です!早速、表彰の手配を。プレスリリースの用意も忘れないように」
確認しておこう。
俺は単に、ホテルにこもって美味い物をただひたすら貪るように食って、便所にこもってブリブリとウンコをひり出していた。
ただそれだけなのである。
だがしかし、この時代では大変な労働であり、我が身を犠牲にして希少価値のあるものを生み出す非常に尊い行為であったらしい。
困惑している俺は何が何だかわからぬまま、表彰式への出席のため、首相官邸に連れていかれることになった。
首相官邸の前でマスコミのテレビカメラの砲列が敷かれている中、俺は内閣総理大臣表彰を受けるため、黒塗りの乗用車に乗せられ首相官邸に入っていった。
カメラの前でアナウンサーが大声で喋っている。
「あっ、あれです。あの車に乗っている方が、わが身を犠牲とした排泄を行うため、21世紀からやってきた人です!」
「わが身を削るがごとく脱糞し、日本社会に社会貢献する彼の自己犠牲の精神は全国民に称えられるにふさわしいでしょう!」
マスコミは次々に美辞麗句で俺の事をヨイショしているようだが、まったく嬉しくない。
当たり前の話だ。
繰り返すが、だって俺は3日間、美味いもの食ってウンコして遊んで寝てただけなのである。
赤じゅうたんの敷かれた壮麗な首相官邸では、時の内閣総理大臣や高級官僚が出席しており、しばらくすると俺を表彰する儀式が始まった。
「表彰状 あなたは身を犠牲にした排泄行為により社会に多大な貢献をされました。よってその功績に感謝し表彰いたします。 内閣総理大臣」
時の内閣総理大臣が文面を読み上げ渡された表彰状を、俺は困惑しながら受け取るしかなかった。
式典が終わると、テレビカメラや新聞メディアの取材攻勢が俺を待っていた。
「このたびの尊い排泄行為により大変な名誉を受けられた訳ですが、ご感想を……」
「排便により莫大な富を生み出され、今の日本に大変な貢献をされたわけですが、今のお気持ちは……?」
自分でも訳が分からぬまま表彰され国民的英雄に祭り上げられた現実が受け止められず、イライラした俺は、マスコミ連中が日本中に生中継しているカメラを前にして、22世紀の日本人への正直な自分の気持ちを怒鳴り散らすように喋りまくってやった。
「頼むから俺の事は放っておいてくれ!単に糞をしただけという、あまりにもくだらない理由で表彰され、困ってるんだよ。だいたい何だ、今の時代の愚か者どもは。人間のくせにウンコすらしないのかよ。お前らは全員クソ以下の人間だ。ろくでなしどもが。そもそも22世紀の日本人というのはあまりにも怠け者で……」
(終)
うーん、汚いなぁ。