深紅 −SHINKU−
『私の渇いた愛を潤すのは・・・
貴方の裏切りと真っ赤なシャツ・・・』
深紅のカーテン。深紅のカーペット。やはり、深紅を貴重にした調度品に壁紙。むせ返るような薔薇の香り。
その中に、深紅の衣装を身に纏った一人の少女が座っていた。手には大きな赤い服を着た人 形を抱え、虚空の空をただ見つめている。
その少女の虚ろな瞳から、一粒の涙が・・・零れ落ちた。
私は、何をしているのだろう?
その少女は、貴族の一人娘だった。少女には、両親に決められた一人の婚約者がいた。彼とは年が少し離れていたが、とても仲が良く、これといった問題などなかった。
だが・・・運命は、刻々と少女と彼に襲いかかろうとしていた。
『貴方は、運命を信じますか?』
少女は彼に問いかけた。彼は言った。
「運命がなければ君に出会うことなど、出来なかっただろうね」
少女は頬を紅潮させ微笑した。そんな甘い一日。
幸せな日常を切り裂くのは“運命”という名の悲劇 ―
夜空を見上げる恋人達。ありふれた風景。艶やかな女の囁き。
「お月様よりも君のほうが綺麗だよ」
それは甘い男の囁き。そんな気まぐれな一時を永遠だと信じた。不確かな言葉を運命だと信じた。繰り返される恋。満たされぬ愛。
真っ赤に映えるドレス。少女は一人、窓際で外を眺めていた。室内では、人々が晩餐会という名で集り、様々な駆け引きを繰り広げている。
幼い少女は、そっと溜め息をつく。
早く彼が迎えにこないかしら・・・
そんな・・そんな些細な期待さえ、裏切る光景を少女は見てしまった。
暗闇のテラスで寄り添う二つの影。それは、艶やか夜のよくある風景、恋の駆け引き。
夜空の雲が引き、月光に映し出されたのは・・・
ああ。あのヒトは誰だろう?
見間違えることがあるだろうか、それとも私は幻覚を見ているのだろうか。
そこにいるのは彼女の婚約者だった。横には、彼より年上の美しい女性。その女性の腰に回された彼の優しい手。女性の絡められたしなやかな足。親しげな光景。月が輝きを増し、照らし出すのは二人の長い影。それが二つから一つに重なり合う。
柱の影に隠れる少女。錯乱する。重い鉛が・・・どす黒い炎が、少女の全身を焦がす。全身の血の気が引いた少女は、立っている事さえままならず、壁に倒れ掛かる。倒れる花瓶。広がる赤い薔薇。花瓶から零れた水が、赤い絨毯を深い色に染め上げた。
唯、一つの真実。それは・・・・?
運命の歯車は、急速に音を立てて回り出した。逃げ出すように少女は、部屋を飛び出していた。彼は、気付いていなかった。知る由もなかった。少女の純真を汚した代償を・・・
彼は、翌日少女の屋敷に現れた。少女は次の日、そ知らぬ顔でやってきた彼を穏やかな微笑で迎え入れた。彼は片手に真っ赤な薔薇の花束を持ち、白いタキシードを纏っていた。少女は、昨日と同じデザインの深紅のドレス。違う点といえば、所々に赤黒い模様が転々とついているということだけだろうか。胸に咲いた真っ赤な薔薇のコサージュは、静かに彼を見つめていた。
それは、誰に渡すのかしら?
少女は微笑みながら、その真っ赤な薔薇を指しながら楽しそうに言った。
「もちろん、君へのプレゼントさ」
彼は、少女に真っ赤な薔薇の花束を渡した。少女は、「ありがとう」と言って彼から花束を受け取り、それを侍女に渡すと部屋に飾るようにと指示した。
ぼーん、ぼーん。午後二時を指す振り子時計の重厚な響き。少女は、静かに彼を自分の部屋に招きいれた。
彼は驚いた。
深紅のカーテンに深紅のカーペット。やはり、深紅を貴重にした調度品に壁紙。すべて、深紅で彩られた世界。昨日までは、確かに赤を貴重とした部屋だったが、ここまでではなかったはずだ。
「どうしたの?」
とまどいながらも彼は問うた。
誰も知らない。誰もわからない。運命の歯車がコトンッコトンッと回る。ゆっくりとそれは静かに。
彼女は小首を可愛らしく傾げながら言った。
貴方は、私が深い赤色のモノが好きなこと、貴方は知っているでしょう?
彼は頷くしか出来なかった。彼は少女に違和感を感じたが、きっと気のせいだろうと思い直し、席に着くと用意してあったお茶に手を掛けた。
それからしばらくは、楽しげな談笑が続いた。しかし、少女の表情は彼を部屋に招きいれたところから変わらない。少女の張り付いたようなその微笑に、彼は全く気付かない。
「今日は、薔薇の香水を使っているんだね?」
何気ない一言。
夏の突風が激しく窓ガラスを揺らす。限界を超えて回り続けた歯車は、静かに壊れゆく。もう止められないと、囁くように・・・
少女はぱぁっと紅の頬を綻ばせて言った。真っ赤なルージュに飾られた、小さな唇が言葉を紡ぐ。それは、嬉しそうに。
そうよ “お母様”から頂いたの 素敵な香りでしょ?
「ああ。素敵だよ」
にこやかに笑う彼。深紅の車輪は、もう止められない。彼は赤い薔薇の運命に逆らうことは出来ない。
昨日の 彼女モ 付けてイタデショウ?
彼の表情が凍りついた。少女が知らないはずの真実。少女の瞳は、狂気に満ちていた。にっこりと微笑う少女。戦慄が彼を襲った。なぜ、それを知っているのか。なぜ少女は・・・なぜ・・・
教エテ下サイますカ? アノ彼女ハ 誰ですカ?
「彼女は・・・彼女は・・・」
声が震えた。それは、少女が知ってはならない真実。彼女は・・なのだから。
少女の手に握られたナイフ。壮絶な笑顔。
彼の顔が恐怖に引き攣る。焦りながらも必死に、一言一言注意を払いながら少女を説得する彼。でも、もう遅い。
彼の説得も虚しく、少女は笑顔を称えたまま、流れるような動作で、彼の胸にそれを力の限り突き立てた。
滴り流れる赤い・・・赤い・・・
彼が言葉にならない悲鳴を上げる。抵抗する彼。血に濡れた短剣。倒れるイスの音。赤いカーペット。染まる深紅。流れる赤い雫。胸を押さえる彼。とうとう彼は力なく崩れ落ちた。白いタキシードが次第に深紅へと染まっていく。
それでも彼は這いずりながら命の限り、少女から逃げようともがいていた。その光景を少女は、くすくすと笑う。それは楽しそうに、嬉しそうに、艶やかに。
少女はぶつぶつと口元で、何かを呟きながら彼の背にもう二度、三度とナイフを突き立てる。彼の鮮血でナイフが滑った。しかし、滑った短剣で自分の手を傷つけながらも、少女は・・・何度も何度も・・・繰り返す。彼が動かなくなるまで、永遠に。
血の気の引いた彼の顔。力なく痙攣する彼の身体。
やがて彼は、息絶えた。
少女は彼を仰向けに抱き寄せた。青白く、恐怖に染まった顔。見開いた瞳。彼の頭を血塗れた小さな手で、優しく撫でながら少女は呟いた。
答エテ下サイ・・・
永遠トハ 何デスカ?
答エテ下サイ・・・
運命トハ 何デスカ?
答エテ下サイ
少女の声は、もう聞こえない。その答えを彼はもう―――ない。
次第に彼の白い衣装は、赤から濃い紅色へと全体を染め上げられていく。少女は、虚空を眺めた。
そこには・・・・?
女は物言わぬ
可愛いだけのお人形じゃないわ
愛しい 貴方 わかって?
貴方の ちっぽけな自尊心を
満たす為の 道具じゃないわ
愛した 貴方 わかって?
『貴方は、必然たる運命を
本当に信じることが出来ますか?』