― 05 ―
剣豪としても高名な父を殺すため、誰より強くならなくてはならないオレ。
身を挺して自分を救った主のため、誰より優秀な人間にならなくてはならないランサ。
覚悟を決めているつもりでも、オレの中には真っ暗で大きな不安があった。ランサはランサで、自分を潰しそうなほどのプレッシャーを抱えていた。
あの頃、お互いにまだ子供だった。
一人では、ダメになっていたかも知れない。だが、オレたちには互いがいた。
いつしか二人で、一緒に、重荷に耐えているような気になっていた。
……ああ、と思う。
吐息のように。ああ、そうか。と。
だからオレは、本当に。本当の意味で、ランサを裏切っていたんだと。
一人で勝手に降りたオレを、あいつが許すわけがないよな。
「ぼっちゃま」
ダイニングに、ランサが戻る。それに、オレとサイモンは交わしていた会話をぴたりと切った。あからさまに不自然だ。
怪しむように片眉を上げた男に、オレたちは努めて何もないふりをする。
「遅かったね、ランサ」
「申し訳ありません、ぼっちゃま。――来客でございます」
来客。
この言葉は、この城で暗い意味を持つ。そうに違いないのだと、サイモンのさっと青ざめた表情が語る。
最初に会った時のように、彼は今、ただ気弱げな子供のようだ。
オレは不思議でならなかった。度胸があると。サイモンは確かにランサの主だと。そう納得させられたのは、ついさっきだ。
まあ、確かに。自分が初めて人を殺した時を考えれば、間違いなく気分は最悪だ。
寒さのせいだけでなく手足が震え、胸が騒いだ。涙をこぼさないように、必死で気を張っていた。殺さなければ殺されて、自分の身を守ったことを後悔はしていないのに。
今、気付いた。軍学校をやめ、何人か手にかける内にそんな気持ちは忘れていたと。
サイモンも、そうなるだろうか。いずれ慣れるとなだめすかして、そして忘れさせるのがいいだろうか。
磨き上げられた石の床。装飾を凝らした柱や壁。高い天井には相変わらず、光と影の模様が幻想的に揺れている。
この城で、オレが最初に引きずり込まれたエントランスホールだ。今はランサに、なぜお前がここにいる? みたいな目で見られながら客を迎える側にいる。
オレたちの前には、一人の男。
剣ばかりがやたらと立派で、格好が小汚いから間違いない。組合から派遣された、自称冒険者だ。だまされてるとも知らず、バカだなー。まあ、オレも同じだけど。
サイモンは不安げに、気弱げに、そして優しい顔で客の前に進んだ。両手に抱えた巨大な剣は、グレンデル家の宝剣だそうだ。
これが、少々やっかいな存在だった。鬼殺しと呼ばれる名家の象徴として、後継はその剣の使い手であることを求められるからだ。
剣にはいくつか種類がある。刺し貫くもの。鋭く切るもの。鈍器のように叩き潰すもの。
宝剣は、明らかに鈍器の類だ。大きく、重い。自在に扱うために必要なのは、とにかく筋力。小柄な少年であるサイモンに、全く向いていない武器だった。
ランサも、それはよく解っているはずだ。
それでもわざわざあの剣で、殺しを覚えさせようとしている。なぜだ? 家風はともかく、あれほど大切にしていた主だ。血なまぐさいことからは遠ざけそうなものなのに。
血の誓い。
ふと、そのことが頭をよぎった。
サイモンがランサを救うため、ハルディンマゴの使者と交わした契約だ。ランサが故国を裏切ればサイモンがその手で殺すか、ハルディンマゴの差し向けた死客によって自らも共に死ぬ。そう言う、中々の内容だった。
「お前さあ、いつか自分が殺されるためにぼっちゃまを強くしようとか思ってんの?」
あきれ半分にぽろりと聞くと、隣にいる男はおどろきを隠しもせずにオレを見た。
いや、凄いびっくりしてるけどさ。解るだろ、普通に。お前の考えそうなことくらいは。
こいつも、バカだなあ。
息を飲んだ形で口を開け、固まるランサを置いてエントランスの中央へ足を向ける。客と相対するサイモンの所へ、だ。
余裕なのか、相手はまだ剣を抜いてもいない。そいつに背中を見せる形で、二人の間に割って入る。巨大な剣を引きずるように抱えた少年に、オレは片膝をついて頭を垂れた。
「先ほどの申し出、お受けいたします」
戸惑いか、サイモンは空色の目を泳がせる。
「い……今ですか?」
「ええ、今です。何一つお教えしないまま死なれては、困ってしまいますからね」
「エス!」
無礼をとがめるランサの声を合図にして、オレはベルトに吊るした剣を払う。
戦い慣れているらしい。背後の男も、同じタイミングで鞘から刀身を抜いていた。薄い刃先がかすかに触れて、金属同士のこすれる音が不快に空気を震わせる。
オレの剣は、基本的に鋭く切る種類のものだ。やわらかな腹や首なら突くこともできるが、腱や血管を切り裂いて動きを止めたり血を失わせる戦い方を個人的には好む。
それには体力的な問題があった。これでも、一応女だ。筋力ではどうしても男に劣る。激しく剣で打ち合うことも力任せの戦い方も、先天的に不得手だった。
これは、サイモンも同じはずだ。まだまだ成長するだろうが、少なくとも、今の時点では。だからオレの戦いを見せることで、少しは参考になるだろう。と、思っていたのだが。
パリパリと、小さく爆ぜるような音が耳に届く。ご存じの通り、魔法で空間が引き裂かれる音だ。見れば、対戦相手の背後にぽっかりと空間の裂け目が出現している。
「なんだよ、ランサ」
舌打ちしながら相手をその中へ蹴り込んで、振り返るとサイモンとランサが一塊になっていた。真っ青になった少年の肩を美しい従僕が抱き寄せて、かばうかのようだ。
それで、解った。森で見た屍の意味が。
あれらを殺したのはランサだ。いや、サイモンにはムリだから、当然そのはずだ。しかし、恐らく。こいつは、殺しの瞬間を見せてはいない。
こんなことをさせているのに?
金色混じりの緑の目が、怒りと混乱にぐるぐる揺れてオレをにらむ。
「何のつもりだ!」
「ランサ、お前……せめぎ合ってんなあ」
血の誓いがある。いつか自分は、この幼い主に殺されなくてはならない。いや、どうせ命を落とすならそうやって死にたい。
そんなことを考えてでもいるのだろう。このバカは。けれどその実、サイモンの手を血で汚す覚悟はできていない。
きっと、そうだ。
「……バーカ。剣術指南に決まってるだろ。まずは、手本を見せるとこからだろ?」
「剣術指南? お前が? ぼっちゃまに?」
「ランサ!」
「はい、ぼっちゃま」
主に呼ばれた瞬間に、ぱっと表情を改める。人によってここまで態度変えれるとか、こいつほんと性格悪いな。
サイモンは自分を守る腕を引っ張り、泣きそうな顔でオレをかばう。
「ぼくがお願いしたんだ。フィルメどのに、剣を教えてくださいって」
先ほどの、ダイニングでの話だ。
ランサが席を外した間に、サイモンはオレに言った。剣の師匠になって欲しい、と。
自分を信じる従僕のために、強くならなくてはならない。この少年もまた重荷に耐えているのだと、オレはやっと思い当たった。
さっき膝を折って伝えたのが、その返事だったわけだが。まあ、ランサは不服だろうな。
「反対です! ぼっちゃまのお傍近くにこの様な者を置くなどと、とんでもない事でございます! お考え直し下さい!」
「おいおい、その言いようはないんじゃねえの。仮にもぼっちゃまの指南役だぜ? 使用人ふぜいが口出ししたらまずいだろ」
汚れた靴でこれでもかと蹴ってやりながら、にやにやと笑って指摘する。と、蹴られたランサはぎらりと目を光らせて矛先をこちらへ向け変えた。
「お受けするお前もお前だ、図々しい! その様な大役、お前に務まる筈がないだろう!」
「何でだよ。結構オレ、剣使えるぜ?」
「あの宝剣もか?」
「ああ、あれ? あれはムリ。でもさ、オレに使えなかったらぼっちゃまにもムリだろ?」
「それを指南するのが役目だろう」
完全にイライラしてるランサを見上げ、そのまま見つめる。じーっと見ながら、隙を突いてほっぺたを強めに引っ張った。
「バーカ。要は、グレンデル家の後継が弱いとか、誰にも思わせなきゃいいんだろ?」
ランサの顔をむにむに伸ばして遊んでいると、明らかに機嫌が悪くなっておもしろい。
「それまで、オレがいてやるよ。ぼっちゃまが強くなって、宝剣を使えるようになるまで。オレが代わりに戦うし、いざとなったらお前のことも殺してやる。それでいいだろ?」
よくはない。と、ランサはあとから文句を言った。が、即座に言い返せなかった時点で勝負は決まりだ。オレは圧倒的勝利を以って、この城の住人となる権利を勝ち取った。
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