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― 04 ―

 愛らしい口をぽっかりと開け、サイモンはおどろきを隠そうともしていない。

「すごい。ランサにあんなことが言えるのは、きっとあなただけです」

「そうですか? あいつは昔から、この攻撃に弱いですよ。機嫌悪くして、どっか行っちゃうだけですけど」

「え? ……攻撃、ですか?」

 そのつもりだったが、サイモンには違うように見えたのだろうか。きょとんとされて、こっちまできょとんとしてしまう。すると、少年はくすくすと笑い出した。

「それは誤解があると思うな、ぼく。ランサはおとなしい人間じゃないから、攻撃されたら相手が泣いてあやまっても許さずに追いつめますよ」

 何それ。余裕で想像できる。

「ですからね、フィルメどの。なにも言わずに逃げるのは、きっと照れているんです」

 ……あ? 何だって?

 照れる? ランサが? いやいや、まさか。

 軍学校時代、何人がランサにちょっかい出して再起不能になったことか。ストレートな言葉で閨に誘われ、眉一つ動かさず相手の股間を踏みにじるような男だぞ。ははは、ないない。

 剣術指南にきた騎士から愛人に誘われた時は、本当に気の毒だったなあ。相手が。

「フィルメどの?」

「ああ、はいはい。何ですか?」

 美少年だった頃のランサを思い出し、うっかり遠い目になってしまった。ぼんやりしている間に、こちらに向けられた少年の顔は何やら自信ありげになっている。

「あの性格では絶対に認めないでしょうが、ぼくにはわかります。ランサにとって、フィルメどのは大事なひとです」

 ……うわあ。

 本当にやめて欲しい。大事な人とか、笑え過ぎて鳥肌立っちゃう。

 どう言えばオレたちのこの感じを解ってもらえるのか、悩みながら食卓のティーカップを取る。口を付けると、ぬるかった。

 珍しい、と思う。ランサがいれば、ちょっと冷めただけで入れ替えるから茶はいつでも適温だ。あいつ、ほんと戻ってこねーな。

「それで、だから……。あの、命をさし出せと言うのは、きっと本気ではないんです」

「それはないですね」

 言い切って、カップを置く。

 あいつは、サイモンのためなら自分の命も惜しまない。ならば、誰の命でもそうだろう。

「――けれど、今のサイモン様にオレが殺せるとも思ってはいないはずですが」

「お強いのですね、フィルメどのは」

「いえ、と言うより……。お許しください。今から、失礼なことを申します」

「はい?」

「サイモン様は恐らく、まだ人を殺した経験がおありでない」

 軍人相手なら、この問いは侮辱に近かった。

 武門の貴族にも同じことだ。気分を害するか、それとも警戒するのだろうか。

 予想した反応は、しかしどちらも外れた。

 少年は何ともやわらかにほほ笑んで、おもしろがるようにこちらの目を覗き込む。

「わかりますか?」

 そうだった。あの、ランサの主だ。ただの子供だなんて、そんなわけないよな。

 何度も言うが、貴族であるグレンデル家は蛮勇さえよしとする武人の家系だ。少なくとも軍事国家であるこのリシェイドで、戦場に出ず、兵を指揮しない武門はあり得ない。

 そしてしばしば、兵は怯懦な者を認めなかった。命を預ける相手には、なおさら厳しい。

 人を殺したことさえないと言うのは、だから上級軍人には特に致命的な問題と言えた。それでは、兵の心が離れてしまう。戦場で求められるのは、野蛮なまでの強さだけだ。

 ランサが人を集めたのは、このためだ。幼い主人に、殺しの経験を積ませるために。

 あのいい加減な冒険者組合を選んだのも、わざとだろう。あんな所に登録するのは、消息が途絶えても探す者のない根なし草だ。

 まあ、全部オレの想像だが。根拠はある。

「以前、ランサが嘆いていました。自分の主は優し過ぎると。目の前で殺されそうと言うだけで、自らと引きかえに取るに足らない子供の命を救うほど」

「いいえ、取るにたらないと言うことはありません。ランサはとても優秀ですから」

 にっこりと笑う。

 そう、サイモンは笑う。オレは今、彼に取って一番痛いところを突いたはずだ。しかし、腹を立てた様子もない。

 それどころか、このやわらかな笑顔は、興味津々にこちらの本音を引きずり出そうとするかのようだ。

 度胸がある。悪くない、と思う。

 これがあいつ自慢の、唯一無二の主か。

 ランサとは、五年暮らした。

 寄宿舎で、と言う意味だが。その間には色々話したし、色々聞いた。

 父と獅子の牙が同じ人物だと、いつ教えたのかはっきりしない。最初はオレも、ランサが魔術を使えると知らなかった。

 そうだな。

 あいつとの関係は、確かに友と呼ぶべきではないのかも知れない。そう呼ぶにはあまりに身勝手で、あまりに……。

 言いたくはないが、依存していた。

 始まりはあの日だった。

 やっと雪が溶け始めた山中を、血まみれのランサとオレが逃げ回っていた夜だ。


   *


 闇夜に足を滑らせて、滝に落ちてしまった。

 凍て付くほどの冷たい水に、全身が強張る。感覚のなくなった手足を必死に動かし、何とか岸に上がれたのは本当に運がよかった。

 いや、二人そろって落ちたからさ。自力で水から上がれないと、あとはそのまま沈むってパターンしかなかったんだよ。

 ガタガタ震える余裕もなく枯れ枝を集め、大きな岩の陰で必死に火をおこした。火をおこすのがうまくてよかったと、しみじみ思う。ばあちゃん、オレやったよ!

 しかし、問題はこっからだ。

 火の脇で、ランサは飽和状態まで水を吸った行軍服を迷いなく脱ぎ捨てる。おい、待て。こっちは女なの隠してんだよ。付き合いで脱いだりできねーぞ。

 目のやり場に困るわけではないが、膝を抱えて顔を背けていると肩をつかまれた。

「脱げ。凍え死ぬ」

 貴様は、なぜ、空気を読まない。

 人のことには興味ありません、みたいな顔してるくせに。なぜ今に限って優しさを見せようなどと。クソが。

 いやいや、いいから。死ぬ気かこのバカ。バカとは何だこの露出狂。みたいな軽やかな会話を交わしつつ、結局負けたのはオレの方だ。服、ひんむかれた。

「女の身で軍学校に入るなど、愚かだな」

 かなり上から目線でバカにしてるけど、お前、裸だからね。難しい顔で腕組みしてても、裸だから。

 こっちはシャツ一枚で、半笑いだ。寒いし、腹も減った。目の前には一周回ってバカ男。隠し通すはずだった性別もばれてしまって、どうでもよくなっていたんだと思う。

「何故、こんな所に?」

 女のくせに、と言う意味だろう。はぐらかせばよかったのに、この時は、物騒な理由を正直に答えてしまった。

「どうしても殺したい人間がいるからだ。お前は?」

「……私には、何に代えても守りたい方がいるからだ」

 それからオレたちは、時間をかけてお互いのことを知って行った。

 オレの母はとうに死に、最近亡くなった祖父母に育てられたこと。実は、父親には会ったことさえないこと。

 これにはランサもあきれたようだが、事実だから仕方ない。自分の中にどうして憎しみが存在するのかよく解らないが、殺そうと決めたのはほかにやるべきこともないからだ。

 こちらがぶっちゃけ過ぎたせいか、ぽつぽつとあちらの話も聞かされるようになった。

 詳しい経緯は忘れたが、ランサの先祖は故国を捨てた。魔術師の国、ハルディンマゴだ。

 これが許されたのは一族に魔術の素養がなかったためだが、その事情はランサが八つの時に一変する。あいつが、魔術師の片鱗を見せ始めたことで。

 ランサの一家は、決断を迫られた。魔術を宿した子供を故国へ戻すか、その場で殺せと。

 この世に、魔術師を輩出する国は一つしかない。諜報や暗殺に便利な人材も多くいる。あの国と金で取り引きする機会はあっても、敵に回すバカはいない。

 ああ、これは死んだな。ここで死ぬか、先祖の故国で暗殺者にでも仕立てられて犬のようにのたれ死ぬのに違いない。

 ――と、恐らく、その頃から可愛げのなかったランサは覚悟した。

 それを止めたのがサイモンだ。一家は、当時すでにグレンデル家に仕えていた。

 計算すると、その頃やっと二歳か三歳。いやムリだろと、この話になるといつも突っ込む。だがランサは怒りもせずに、決まってぼっちゃまのすばらしさをうっとりと語った。

「確かにぼっちゃまはお小さかったが、それはそれは凛々しくてらした。私を救うために使者の前に立ちはだかる姿は神々しく――」

 と、長々と聞かされて逆によく覚えてないが、サイモンがランサを救ったのは事実らしい。命をかけた、血の誓いを交わすことで。

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