― 03 ―
父を殺すことだけ考えていたのに、当の本人がもういない。
いつかのために磨いた剣も、戦いの知識も全てムダ。けれども、ほかにできることもない。結果、いい加減な組合に登録し、その日暮らしの小銭を稼ぐ生活だ。
獣から家畜を守る番をしたり、金持ちの子供を護衛したり。小競り合いは毎日だったが、これはこれで悪くない。……かな。とか、思ってたら、これだよ。
まさかこんな所で、やる気まんまんのランサに再会するとは思ってなかった。何をムダにたぎらせているのか。オレの無気力を分けてやりたい。
目的を失った人間は、ただ朽ちるのを待つかのようだ。
オレを見ろ。説得力があるだろう?
だから、「何もない」と。
空色の幼い瞳に見つめられ、これからのことを問われたらできる返事はそれだけだ。
しかし自嘲を含んだその答えに、サイモンは顔を輝かせた。胸の前で両手を合わせ、長椅子に腰かけたまま弾むようにはしゃぐ。
「本当ですか? よかった! なら、ぜひこの城に滞在してください。いいでしょう? お話もうかがいたいし、きっとランサもよろこびます。ね、ランサ」
「そうですね、ぼっちゃま。良いお考えです」
にっこりと笑って、主の提案に同意する。一点の曇りもない笑顔だが、ランサが素直とか、正直ない。
これ以上なくうさん臭い男の笑みに、疑惑の視線をありったけ注いだ。
が、ふと思い当たる。いや、そうだ。ランサには、オレを帰さない理由がある。
……だが、サイモンはどうだ?
ワイルダー・バーの娘だと名乗る日がくるとは思わなかったし、これから先も名乗るつもりはない。何よりオレが、この事実に納得していない。
しかしこの身の上を知って、この少年が敵意を持ったとしても仕方がないとは覚悟していた。グレンデル家は、オレの父が仕えた北限の獅子に栄光を奪われた家だから。
だがオレに予定がないと知るや喜んで、自ら滞在を乞いさえする。これはどう言うことなのか、戸惑った。
「ぼっちゃまは、この城にお一人でいらっしゃるからな。お世話係も私だけで、お寂しいのだろう。単純に喜んでおられる。例え、お暇を潰される相手がお前の様な者でもな」
余計な一言も忘れず付け足し、ランサは手際よく寝台を整える。
調度類は上等だが、最低限の物しかない簡素な部屋だ。一人用の寝台に、机と椅子。作り付けのクローゼットとは別に、丈夫そうなチェストが壁際に配されていた。
その、胸の高さにある天板に、ブロンズ像が飾られている。人の腕ほどのそれは、城門に描かれていたのと同じく隻腕のオーガを模した物だ。
あー、これこれ。ものすんごい見覚えあるわ。学生の頃、軍学校の寄宿舎で。
当時、こいつと同室だった経験から言う。間違いない。ここは完全にランサの部屋だ。
滞在が決まって客室に案内されたはずが、なぜオレはこんな所に。
その辺りを質そうと口を開くが、声にするまでもなく疑問は伝わったようだった。問うより先に返事がある。
「直ぐ居なくなる者に部屋を準備する程、暇ではなくてな」
ああ、そうですか。と言うのも悔しいので、開いた口はそのまま閉じることにした。
しかし、言葉を濁すとはらしくない。すぐ「死んで」いなくなると、はっきり言えよ。
殺すために、嘘の依頼までして人を集めたんだ。生きて帰すつもりなんかないだろう。森で見た、冒険者たちの屍のように。
城に住み付いた不法占拠者なんていないし、当然追い出す相手もいない。組合から回された仕事は、全て嘘だ。恐らく、ランサの。
グレンデル家の凋落は、ここ数年の話だ。
北限の獅子が二十一の若さで将軍となり、それは決定的なものになった。あの頃はランサが凶悪と言うしかない空気を出していたから、よく覚えている。
*
あれは二回生の頃だから、オレたちは十四歳だった。
オレとランサが寄宿舎で同じ部屋に放り込まれたのは、面倒な生徒をまとめてしまおうと言うことだったのだと思う。
自分の寝台に寝転んで兵法大全などと言う本を読んでいると、ノックもなく扉が乱暴に開いた。ランサだ。ここはあいつの部屋でもあるから、それには大しておどろかない。おどろいたのは、その凶悪化した表情に、だ。
性格こそ悪いが、普段は人に好意しか持たせない顔を繕っている。なのに、この時はちょっと邪魔な所に立っているだけで殺されるんじゃないかと疑ったほどだ。
まだ幼さの残る姿に殺気さえにじませて、ランサは部屋の中をうろうろと歩き回る。足音を消すのも忘れているから、よほど動揺しているのだろう。
寄宿舎の部屋はどれも同じだ。二つの寝台と、それらの足元に物入れの木箱。あとは机と小さめのクローゼットが各自に与えられる。
ランサが足を止め、苛立ったように木箱のふたを開けた。そこから大事そうに手に取ったのは、人の腕ほどの布包みだ。慎重に布をほどき、出てきたのは例のオーガ像。
ぴっかぴかに磨かれた隻腕のオーガを寝台に置き、床にひざまずいて祈りを捧げる様は見ていて胸が締め付けられた。やべえとこ見ちゃった、みたいな意味で。
祈るために固く組んだ手が解かれ、ほっと息と力が抜けたのはしばらく経ってからだった。そして疲れた様子で、寝台に腰かける。
ああ、座ったのはこっちの寝台な。オレ、いるけど。普通に座った。とりあえず、逆らわないでおく。よくあるし、何か恐いし。
本を開いた格好で、ランサの横顔と言うか背中をうかがう。と、あちらに置いた像を見つめてぼそりと呟く声が聞こえた。
「いつか、北限の獅子を殺す」
いきなり猛毒吐いたな、おい。
あとから聞いたが、北限の獅子が将軍になったとランサはこの日に知ったらしい。それ以前から兆候はあったが、この件でグレンデル家の凋落は決定的なものになった。
だから、獅子を殺す。
あきれるほど短絡的で、嫌いじゃなかったんだなあ。
だからつい、安請け合いした。
「へえ、そりゃいいね。そうだ。獅子の牙なら、オレが一人殺してやるよ」
*
そうか、あれだったのか。
気付くのと同時に、目が覚めた。
視界に広がる見覚えのない天井に、自分がどこにいるのかを思い出す。あと、オレの体に回ってる腕とかな。
グレンデル家の城だ。結局、客室ではなくランサの所に泊まるはめになった。
しかしあいつの寝台はどう見ても一人用で、狭かった。けどオレら、自分がかわいいからさ。寝床ゆずったりとかするわけがない。
省スペース化を図ってか、オレを抱き締めるように眠る男をとりあえずしばいて体を起こした。
獅子の牙を殺してやると、そんな約束をしていたことさえ忘れていた。
偉そうに、まるで手伝ってやるとでも言うように。獅子の牙であるワイルダー・バーを、自分の父親を。殺すと決めたのは約束よりずっと前で、そしてオレの目的だったのに。
「よくお休みになれましたか?」
と、オレを気づかう人間はこの城にサイモンしかいない。朝食の席で、巨大な食卓越しにまぶしい笑顔が向けられている。
寝るのは寝れた。隣に図体でかいのがいたせいか、都合の悪いことを思い出したが。
「ええ、まあ」
「それは何より。では、今日こそぼっちゃまの御為に命を差し出す準備は良いな?」
「ランサ! お友達でしょう? そんなことを言ってはだめ!」
するっと口を挟んだ従僕は愛らしい主人に叱られて、心外そうに片眉を上げる。
「いいえ、ぼっちゃま。私に友はありません。仮にあったとして、ぼっちゃまの糧として差し出す事に何の躊躇いがありましょう」
言い切った。普通に言い切ったな、こいつ。
そこはためらえ、と言っても聞きゃあしないのは解ってる。そこでオレは、ちょっと傷付いた顔を作って嘆いてみることにした。
「えー。冗談きついぜ、ランサ。オレがどんだけ心の中でお前のこと旧友って呼んでると思ってんだよ」
「……旧友?」
おお。言ってる途中からにらまれた。すげえ嫌そうだ。
まあな、確かに。
約束は忘れる。学校までもあっさりやめる。これで友達とか言われても、納得できないのは解るぜ。
裏切られたって思う気持ちも。
ただ、それで死んでやるつもりはないけどな。
「何だよ、拗ねたのか? かっわいいな」
完全にからかう目的で笑いかけると、ランサは忌々しげに顔を歪めてふいっとダイニングを出て行ってしまった。よっしゃ、勝った。あのバカに背中を向けさせてやったぜ。