― 02 ―
「お待ちください」
オレの昔語りを止めたのは、慌てたように金色の巻き毛を揺らす少年だ。
彼はサイモン・グレンデル。かつて武門で鳴らしたグレンデル家の後継で、ランサの忠誠を一身に浴びる幼い主人だ。気の毒に。
オレとランサが知己だと知って、サロンに招いたのは彼だった。不服そうにしながらも、忠犬ランサは主に逆らいはしなかった。
で、午後のお茶などをいただきながら昔話をせがまれて今に至る。
サイモン少年は当年十二。こちらに向けた空色の目で、信じられないとありあり語った。
「あなたは、女の方なのですか?」
「そうですよ」
「……しかし、王立軍学校は男子しか入校を許されぬはずでは」
言葉選んだなあ、今。
オレの見た目は、父親似だと聞いている。くせのある茶色の髪は好き放題にはね、藍色の目は威圧的に見えるらしい。
おまけに、この格好だ。雨を吸い日に焼けて、くたびれた革のマント。帯刀した長剣は使い込み、鍛冶師に何度か打ち直させた。
ティーポット片手に控えたランサが、いたわしげな表情ですかさず主人を慰める。
「ぼっちゃま、お間違えになるのも当然でございます。これは昔から、一瞬たりとも女に見えた試しがないのです。王立軍学校に籍を置いていた事実ではなく、容姿と素行が男そのものだと申してやれば宜しいのです」
「おいおい、よせよランサ。正真正銘男の身で、先輩や教師の閨に誘われまくったお前が言ったらさすがに返す言葉がねーよ」
言葉がないと言いながら、にやにや笑って返したわけだが。始めたのはあっちだ。オレは悪くない。
金色混じりの緑の目を凶悪にすがめ、ランサは忌々しいと言わんばかりにこちらをにらんだ。
この男の整い過ぎた容姿は、悪魔的な迫力がある。誰かが昔、そう評した。真に悪魔的なのは中身だと知るオレとしては、外見を恐ろしいと思ったことはなかったが。
品よく装飾された長椅子にちょこんと腰かけ、気弱げな、そして優しい顔を曇らせてサイモンが「けれど」と口を開く。
「軍学校は大変なところだと聞きました。まして女のかたでは、ご苦労なさったのでは」
感心する。気づかうようなこんな言葉を、よくさらりと言えるものだ。旧友の頭を踏み付けんばかりに、客の立場を堪能するオレへ。
軍学校はその名の通り、軍事教育を目的とする。一応、一般教養も学びはするが。
泥のように疲れ切るまで体を追い込む実践的な訓練や、学年と校内役職の序列が家柄よりも優先されるのは特殊な世界だ。
この序列に関しては、戦場で上官命令に絶対服従であるのと似ている。と言うか、それを学生の内に叩き込むための規律だろう。
周囲も自分も子供だったし、軍学校は厳しかった。何もないわけではなかったが――。
「あの頃……どうしても果たしたい目的がありました。そのために、苦労するかどうかは重要なことでは」
「目的?」
首をかしげて、空色の目がオレに問う。
反射的に疑った。この少年は本当に、鬼殺しの直系か?
グレンデル家は貴族だが、蛮勇さえよしとする筋金入りの武人の家系だ。以前はリシェイド最強と謳われて、付いた二つ名が鬼殺し。
サイモンに、これほど似合わない言葉があるだろうか。いや、ない。と、美しく忠実な従僕でさえ即答して首を横に振るはずだ。
貴族を間近にするのが初めてとは言わないが、自ら輝くようなこの少年にどうでもいい身内の事情を聞かせるのはどうかと思う。
答えに困り、手の中のカップに視線を逃がす。空だ。それを認識するのとほとんど同時に男の手がそえられて、よい香りのする湯気と共に褐色の液体が注がれた。ランサだ。
いつの間にか、つま先が触れそうなほど近くにいる。よく磨かれたその革靴で、普通に歩けばかかとが高く鳴るはずなのに。
そう言えば、と学生の頃を思い出す。
影のように空気のように、主のそばへ仕えるのだと無音で歩く練習をしていた。寄宿舎の狭い部屋をぐるぐる歩き回るのは笑えたが、結果はきっちり出したらしい。
何でも器用にこなすくせに、力の入れ方がおかしいだろ。
奥歯で噛んでも込み上げる笑いを完全には隠せず、細かく震えるオレに向かってランサが小さく舌を鳴らした。
しかしこれは、主に対しての無礼をとがめたものだったようだ。
「エス、勿体なくもぼっちゃま自らお声を掛けておいでだ。姿勢を正してご返答申し上げろ。ついでに命も差し出すが良い」
いや、そのついではおかしいだろ。
こらえ切れずに吹き出すと、泣きそうなくらいの困った顔でサイモンがランサに体当たりした。いや、すがり付いた。
「やめてよー! 立ち入ったことを聞いたぼくがいけなかったんだから」
「何を仰います。勿体ぶる程、大した話ではございませんよ。これは自分の父を殺害せんと、近付く手段として軍学校を選んだのです」
「ランサ、お前……。人の話を大したことないとか」
反論しようと口を開いて、しかしちょっと首をひねる。
まあ、実際そうかもな。結局は殺せなかったし、大した話ではないかも知れない。
うっかり納得していると、サイモンがおどろいたようにオレを見た。その顔はもはやほとんど泣いているのに、口から出るのはやはり優しい言葉ばかりだ。
「それはどう言うことですか? なぜお父上を殺そうと? 女のかたが男といつわり、ましてや軍学校にお入りになるなんて。そこまでのお恨みでもあったのでしょうか。なにか、ぼくにできることはありますか?」
「ありません!」
反射的に叫んだ。
まさか同情されると思わず、慌ててしまった。耳を伏せる子犬のように肩を落とす少年に、もっと慌てた。
ランサが、たぎらせた憎悪をダイレクトに向けてくる。が、それよりもサイモンの瞳から涙がこぼれそうで恐かった。
何の間違いか、父はいつの間にか軍の高官になっていた。高官過ぎて命を狙うどころか、居場所さえ解らない始末だ。
それで軍学校にもぐり込んだ。同じ軍籍にあれば、情報も流れてくるだろうと。
そう事情を明かした上で、しかし、と続ける。
「一年と……そうですね、半年前になります。父が勝手に死んでしまって。ですからもう、目的の果たしようがないのです」
あどけない顔をしていても、さすがは貴族と言うところか。国内情勢には明るいらしい。これだけの説明で、サイモンには思い当たることがあったようだ。
ランサにしがみ付いて固まってしまった少年に、オレは立ち上がって礼を取る。
このサロンに通される前に、すでに名乗りは済ませていた。しかし、それは通り名のようなものだ。嘘ではないが、正しくもない。
「再び名乗ることをお許しください。自分の名は正式に、エステラ・バー・フィルメと申します。アイディーム攻略で命を落とした、ワイルダー・バーが自分の父です」
*
ワイルダー・バーは、国内外でそれなりに名の知れた軍人だった。
と言うか、仕えた相手が有名過ぎた。
ヴィンセント・L・ハーディー。またの名を、北限の獅子。長きにわたりグレンデル家のものだった、最強の名を奪った男だ。
獅子には、獅子の牙と呼ばれた二人の腹心の部下がいた。その一方が、ワイルダーだ。
春まで、まだ間のある頃だった。牙と呼ばれたその人が、死んだと知ったのは。
剣士として、軍人として。強い、と評して不足ない人物だったと聞く。だから、ある意味で、オレは信じていたのだろう。
自分が殺しに行くまで、勝手に死んだりすることはないと。
父の死に、オレは自分が空洞になってしまった気がした。どうしたらいいか解らなかった。喜ぶべきか? それともこの手で殺せなかったと、悔しがるのがいいだろうか。
軍学校には五年いたが、荷物は多くなかった。支給品のずだ袋に私物を放り込んでいると、その手を強くつかまれた。
「どうするつもりだ」
問う声が低い。
オレの身長をこの五年であっさり追い抜き、美少女よりも可憐だった外見はすっかり男そのものになった。それでも、そこらの女より美人だから困る。
つかんだ腕を離さないまま、ランサはオレにつめ寄った。
「荷物を戻せ。春には、私達は最終学年になる。卒業まで一年だ。これまでの時間を無駄にするつもりか?」
「何言ってる。もうとっくにムダだろう? あの人は死んだ。オレがここにいる理由も言いわけも、もうないんだよ」
「裏切るのか」
金色混じりの緑の目が、こちらをにらむように見下ろしていた。
「……裏切るのだな」
責めるようなこの会話が、オレが軍学校を去った日にランサと交わした最後の言葉だ。