オレは案山子だけど旅に出ようと思う
オレは案山子だ。少なくとも数十年は生きている。案山子が生きているって変じゃないかって?オレもそう思う。だがある日、気がつくと意識を持っていた。動けないオレのところにたまに来る、透明でよくわからないものに尋ねたところ、オレのような物のことを付喪神と言うんだそうだ。
だが付喪神になって意識を得たとしてもやることは変わらない。オレは一日24時間、来る日も来る日も畑を守り続けた。案山子だから眠ることもない、休む必要もない。冬などは死ぬほど退屈だったが、やがて来る春を思いつつ、じっと立ち続けた。
畑の持ち主達はオレをとても大事にしてくれた。大風で倒れればすぐに元に戻し、どこかが壊れれば綺麗に修理してくれた。それに応えてオレは畑にやって来る鳥や獣を排除した。オレが威嚇すると大概のやつは驚いて去って行くのだ。きっとそれが付喪神としてのオレの能力なんだろう。じっと立ち尽くしたままの仕事に少々うんざりしながらも、おれは案山子としての仕事を黙々とこなした。
だが害獣や鳥どもを撃退しているうちにこんな気持が芽生えた。やつらは自由に動けてずるい。生き物としての格は明らかにオレのほうが上なんだから、オレもやつらみたいに動けたっていいはずだ。
その気持は年々強くなる一方だった。
ある時大きなカラスが畑にやってきた。オレがひと睨みすると畑を荒らすのは諦めたようだったが、カアとオレを小馬鹿にするようなひと鳴きをすると山のほうへと飛んで行ってしまった。オレの体は怒りでぶるぶると震えた。
あの山だ。あの遠くに見える山に登って山の向こうの景色を見てみたい。何があるのかを知りたい。
その日の夜、オレは計画を実行に移した。24時間畑を監視する必要から、オレの目は夜でも問題なく見える。自分でもこの雑な作りの顔のどこが目かはよくはわからないが、とにかく夜目がきくんだ。
慎重に体を地面から引き抜く。倒れてしまって作物を傷つけては案山子としての矜持に関わる。今から案山子としての職務を放棄しようというのに今更な話だが。
棒を畑から引き抜き、ゆっくりと体のバランスを取る。大丈夫だ。立てる。
周りを見回す。山はあちらの方角だ。
オレの足は1本しかない。歩くのには不向きだ。だがやりようはある。鳥がやるようにぴょんぴょん飛べばいいのだ。羽がないから空には飛べないが、少しジャンプするくらいならできる。
1歩、また1歩。ジャンプしつつ進んでいく。
ようやく畑から出た。後ろを振り返る。点々と穴が開いている。急がねばなるまい。追手がかかれば後を追うのは容易だろう。夜のうちにできるだけ距離を稼がねば。
すまぬ、畑。すまぬ、畑の持ち主。今からやることは案山子にあるまじき行動だと思う。もはやオレのことを案山子とは呼んではもらえないかもしれない。だがオレは旅に出る。あの山の向こうを絶対に見るのだ。
数十年見守り続けた畑に別れを告げると、後はひたすら道を進んだ。
夜が開けると街道沿いにある林にじっと身を潜めた。藪からそっと街道を監視する。あいつは追手じゃないだろうか?それともあいつか?今ここで捕まるわけには絶対にいかない。
だがオレが隠れているのには誰も気が付かないようだ。まだまだ油断はできないが少しホッとした。
数日間、昼は隠れ、夜に進んだ。
2度、旅人と遭遇したが、ただの案山子の振りをしてやり過ごした。やつらはなんでこんなところに案山子が?と疑問に思ったようだがそれ以上の追求はなかった。
ようやく山の麓にたどり着いた。長い旅で足は少し削れて来たがここからが本番だ。この険しい山を登らねばならない。
登山は困難を極めた。途中で道はなくなっており、道無き道を進む。何度か転げ落ちたりもした。だがオレは絶対に諦めなかった。もうちょっと。もうちょっとであの山頂にたどり着く。
もはや昼でも関係なかった。このようなところまでやって来る旅人はいないらしい。追手も上手くまいたのだろう。日が落ちて、夜が更けてもひたすら山を登り続けた。
岩山を登り、オレはついに山頂にたどり着いた。周りを見回す。まだ暗く向こうの景色は見えないが、ここより高いところはもう見えない。
オレは疲れた体を休め、じっと夜明けを待った。
そして夜が明ける。向こうの景色が照らし出される。美しい、感動的な光景だった。これがオレの探し求めてきたものだ。
しばらく景色を眺め、ふと後ろを振り返る。そこには同じような景色が広がっていた。あそこに小さく見えるのがオレが居た集落だろうか?
もう一度、山の向こうの景色を眺める。
オレが今まで居た場所と同じような景色だった。そうか。山の向こうもオレの居た場所も似たようなものなんだな。
そう思うと急に畑が恋しくなった。心配になってきた。
帰ろう。見たいものは見た。もうこれで十分だ。畑に戻ってただの案山子に戻るんだ。
畑の人は怒っているだろうか。きっと怒っているだろう。戻ったら土下座でも何でもして許してもらおう。長い付き合いだ。きっと許してくれるさ。それよりもオレがいなくて畑は無事なんだろうか。とても心配だ。
下りは上りより困難な道のりだった。何度も何度も転げ落ちた。オレが案山子でなかったら死んでいただろう。体はぼろぼろ、足もずいぶん削れてしまった。
ようやく山を下り切り、畑へと急いだ。山を登り下りしたことで移動速度は格段に上がっている。行きの半分くらいの時間で故郷の集落が見えてきた。
もうすぐ。もうすぐオレの畑だ。
オレの畑だ!だがオレが元いた場所に何かいる。
他の案山子?オレは呆然とそれを見て立ち尽くした。赤いはんてんを着た少し小柄な案山子だった。
これは……嫁?
オレの嫁キターーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
オレはすぐさま嫁の横に体を挿した。
嫁は作られたばかりなのだろう。まだ真新しい。それにオレのように意思は持っていない。だがとても嬉しかった。山の向こうを見たのと同じくらいの感動だった。きっとこの子もそのうち付喪神になって、立派なオレの嫁になってくれるだろう。
朝になると畑の持ち主がやってきた。オレを見て驚いたようだが、しばらくオレを見ると引っこ抜いて丁寧に修理し、同じ場所に戻してくれた。どうやらオレが旅に出たのを許してくれたらしい。
だが続けてオレの嫁を引っこ抜いた。そして同じ畑の離れた場所に挿し直す。
オレはちょっとがっかりしたが、同じ畑だ。いつでも姿は見れる。
こうして案山子の壮大な旅は終わりを告げ、案山子はそのあとはずっと畑と嫁を見守り続けた。
その後、嫁が無事付喪神となったかどうかは定かではない。