その五
「予備の橇を用意しましたので、二手に分かれましょう。
荷物の配分は3:2です。……もちろん、私が『3』です」
人気の無い広場に、同じ橇が二台並んでいる。
そのどちらもがトナカイに繋がっていて、主人の命令をじっと待っていた。
「本物を間近で見るのって、初めてだね……」
小雪は、トナカイに興味津々の眼差しを向ける。
――これが本当に、空を飛ぶのだろうか。
そんな期待と不安の混じった眼差しだった。
当のトナカイは、全く意に介さない様だ。
「漫画の参考に……」
自分の探求心を合理化しつつ、小雪はトナカイに接近し、
赤松やナツミが気付く前に、その身体に触れた。
「ひゃっ!?」
小雪が声を上げて、赤松とナツミは彼女の方を向く。
「どうしたんだ、白鳥さん?」
「こ……このコ、冷たい……!」
小雪は真っ青になって、震える声で言った。
当のトナカイは、やはり身動き一つしない。
試しに赤松も触れてみるが、
「……冷たい」
確かに冷たかった。
「あぁ、このコは、トナカイであって、トナカイではないんです」
だが、主人であるナツミは、涼しい顔で言う。
ナツミの言葉に、二人は怪訝な表情を浮かべた。
「このコは、トナカイに似せた機械なんですよ」
「えぇ!? でも、これ……」
小雪は驚愕の声を上げ、信じられないと言った眼差しを、
トナカイ――の様な物体――に向ける。
素人目には、どこからどう見ても普通のトナカイだ。
これが機械だなんて、とても信じられない。
だが、体温は明らかに、哺乳類のそれではなかった。
「無理も無いです。私も、最初はスゴく驚きましたから。
話によると、本物のトナカイを飼育するのは色々と負担が掛かるので、
今では完全に機械化されたそうですよ。
とは言っても、外見や動き方は、本物と殆ど変わりませんけどね」
「何か……夢を壊された気分だな」
身動きしないトナカイに、赤松が呟く。
『赤鼻のトナカイ』を筆頭としたクリスマスソングも台無しだ。
そう思えば、自然とそんな言葉が出てきてしまう。
「仕方無いですよ。
私達の仕事は『夢を見せる事』であって、夢を見る事ではありませんから」
そんな赤松に、ナツミは微笑みながら言った。
「では、残りの詳しい事は、四次元バッグの中のマニュアルを読んで下さい。
トナカイはオートで目的地まで行ってくれますし、命令すれば聞いてくれます。
何かあったら、無線で私に連絡して下さい。周波数は弄らないで下さいね」
急いで残りの説明を済ませると、ナツミは橇に乗り込んだ。
ナツミの号令で、トナカイがゆっくりと動き出す。
「健闘を祈りますです〜!」
ナツミは、橇から身を乗り出して手を振った。
トナカイが空中を走り、橇も後を追って浮かび上がる。
そしてそのまま、冬の夜空へと消えていった。
「いよいよだね……緊張するよ……」
橇を見送った後、小雪が少し不安げに言う。
こんな体験は初めてなのだから、当然だろう。
「取り敢えず、やるだけやってみるか。さっさと行こうぜ」
赤松は橇に乗り込み、小雪を促した。
橇は、一人で乗るには十分なのだが、
二人で乗るには少々狭く、二人は密着せざるを得ない。
「ちょっと……狭いね……」
服の保温が良い為か、小雪の頬が少し紅く染まる。
「ま……仕様が無いだろ」
赤松も、少し落ち着かない様だ。
そんな二人を乗せて、橇はトナカイに引っ張られていった。
「た……高い……」
空を行く橇の上から街を見下ろし、小雪は声を震わせた。
その顔は血の気が無く、真っ青になっている。
「下は、あんまり見ない方が良いな」
赤松は、やはり今更なアドバイスをした。
身体の内側から迫り来る様な恐怖に耐えられず、小雪は赤松に抱き付く。
周囲が目に入らないように、顔を彼の服に埋めた。
「お、おい……」
赤松は拒もうとしたが、小雪の身体が小さく震えている事に気付く。
「ま……良いか」
「……ありがと」
赤松の気遣いに、小雪は小さく礼を言う。
顔が紅潮する感覚を覚えたが、幸い顔は見えない。
「さて、マニュアル読んでおくか……」
赤松は、後ろの白い袋からマニュアルを取り出し、読み始めた。
ワープロで書かれた文字と、手書きの文字が入り交じっていて、
持ち主が如何に熱心に勉強していたかが良く解る。
暫くの間、橇の上は沈黙した。
赤松は文字で埋められたマニュアルを読み、小雪は赤松に抱き付いたままだった。
「……何なら、今から降りても良いんだぞ?」
暫くの後、沈黙が赤松の言葉で破られる。
ずっと抱き付いたままなので、流石に心配になってきたのだ。
移動の基本が空飛ぶ橇なのに、これでは話にならない。
怖い思いをし続けるのも、酷な話だろう。
「私が言いだしたから……大丈夫だから……」
小雪は、小さな声で決意表明をした。
赤松は溜め息を吐いて、
「下じゃなくて、上を見たらどうだ?
『落ちそう』じゃなくて、『飛んでいる』って思えば良いんじゃないか?」
諭す様に言った。
「上……」
赤松に言われるまま、小雪は空を見上げる。
黒一色に染められた空に、真っ白な月が輝いていた。
月光が夜を照らす様な、夜闇が月を飲み込む様な、不思議な光景だった。
「ちょっとは……大丈夫になるかも」




