その四
「さて、まずはその服ですね。そんな厚着してたら、動き難いですから。
私と同じ、サン・タクロス社の制服を着て貰います」
早速、ナツミは準備を始める。
何となく新人を教育している気分になり、少しくすぐったい。
先輩には、本当に色々と教えられた。
実践的な練習にも付き合って貰ったし、
マニュアルに無い、現場に居るから判る事を、たくさん聞かせてくれた。
今、ここでは、自分が『先輩』だ。
実戦経験こそ皆無だが、この日の為に一生懸命勉強した。
それを、この二人に急いで教えなければ。
「服って言われても……なぁ……」
赤松は、ナツミの制服を見ながら言った。
赤い円錐型の帽子は、頭に乗っているだけで、耳が隠れていない。
手袋はしているが、そもそも服がノースリーブだ。
服自体は、ふわふわな毛布の様で暖かそうなワンピースだが、
スカートがやや短く、赤いニーソックスとの間の絶対領域は、素肌を完全に露出している。
一言で言えば、この季節には寒そうな制服だ。
こんな服装で冬の夜に放り出されたら、堪ったものではない。
「でも、可愛い……漫画で使おうかな……」
小雪は、すっかり見入っていた。
自分がこれを着る時の事は、殆ど頭に入っていない様だ。
「心配なさらなくても大丈夫です。
サン・タクロス社の技術により、軽量と防寒の両立を実現した特別製ですから。
無駄な部分を可愛くカットしたデザインと、冷え性対策万全な靴と手袋が、
女性社員にはもちろん、男性社員にも好評なんですよ♪」
そう言いながら、ナツミは白い袋から二人分の制服を取り出した。
そして、それを二人に渡す。
「はい、こっちが男性用、こっちが女性用です」
「……で、どこで着替えれば良いんだ?」
赤松が、率直な質問をぶつけた。
ここは、冬の屋外だ。着替えるには余りにも寒い。
それ以前に、男女が同じ場所で着替えるのは不味いだろう。
「あ、そうですよね。すみませんでした」
ナツミもようやく気付いたらしく、再び袋の中に手を入れた。
その時、強い寒風が吹き付け、赤松と小雪は目も開けられなくなる。
次に目を開けた時には、二人の眼前に、電話ボックス程の大きさの簡易更衣室が聳えていた。
「ここで着替えて下さい。一つしか無いので、交代でお願いしますね」
「……どっから出した?」
当然の疑問を、赤松はナツミに投げかける。
「はぇ? この袋ですけど……」
当のナツミは、頭に『?』を浮かべた。
「いや、普通に考えておかしいだろ。その袋がこれに入るくらいだぞ」
「何を言うですか! この袋はサン・タクロス社の技術の結晶です!
この袋は四次元バッグと言いまして、四次元空間と」
「やっぱ良い……聞きたくなくなった……」
「じゃ、私は荷物の準備をしておきますね。着替えた服は、この袋に入れておいて下さい」
ナツミは、荷物を積んでいる橇へと向かった。
どちらが先に着替えるかで少し迷ったが、
「御目汚しは、先に済ませる方が良いだろ?」
赤松が先に更衣室に入った。
それ程掛からずに、更衣室の扉が開く。
「男の制服が個性乏しいのは、どこも一緒だな……」
自嘲気味に呟きながら、赤松は更衣室から出てきた。
赤と白の長ズボンに長袖。
オーソドックスなサンタルックである。
「次は私だね……サイズ大丈夫かな……?」
小雪が、少しドキドキしながら更衣室に入る。
ちゃんとドアを閉めた事を確認すると、着替えを足元に置いた。
まずは、マフラーや手袋、イヤーマフラーを外す。
「白鳥さーん、聞こえるー?」
「えっ!? う、うんっ!」
ドアの向こうから、突然赤松の声が聞こえ、小雪は動転した声で応えた。
「ごめんごめん。驚かせたか?」
「ううん、気にしないで。……何か用?」
平静を取り戻すと、小雪は応対しながら厚着を一枚ずつ脱いでいく。
今日はとても冷えるので、かなり着込んできてしまったのだ。
「今のうちに、何でナツミを手伝おうと思ったのか、聞いておこうと思ってな」
「……子供達の夢を守りたいから。
一緒にクリスマスを過ごす人が居る幸せな子供には、最後まで幸せであって欲しいから。
言ったでしょ? 『帰っても誰も居ない』って。
私の家は、毎年そうだから。今までずっと、そうだったから」
赤松の問いに、小雪は自嘲気味に答える。
上着を一通り脱ぎ終えたところで、ひとまずそれらを畳んだ。
重ねて積み上げ、その上にマフラーや手袋やイヤーマフラーを置く。
「……子供の頃は、皆がスゴく羨ましかった。
親と一緒にケーキ作ったり、友達同士でパーティーしたり……
そんな話を聞くと、皆がスゴく羨ましかった。
そう言うのが、私にとっては『フィクションの世界の話』だったから。
親からプレゼントこそ貰ってたけど……私が欲しかったのは、もっと違う物だった。
……解ってたんだよ? 親が多忙なのは理解してたつもりだし、
漫画オタクのネクラには、到底手が届かない幸せだって事も……ちゃんと……。
そんな私も、今では『子供と大人の間』って呼ばれる世代。
だから……大人になって、子供の気持ちが解らなくなる前に、
子供にとっての『本当の幸せ』を守ってあげたいなぁ……って。
もし、心待ちにしていたプレゼントが、無事に届かなかったら……。
期待や信頼を粉々にされるのが、子供にとって一番不幸な事でしょ?」
少し沈んだ声で、淡々と小雪は言った。
やり場の無い虚無感に襲われて、気が付けば、脱いだ服を縋る様に抱きしめていた。
多分、自分は、これからも独りで生きていくのだろう。
これまでずっと、そうだったのだから。
自分には、今更誰かに寄り掛かる勇気など無いのだから。
だから、せめて、幸せになるべき人には、幸せになって貰いたい。
自分以外の、なるべく多くの人に、笑っていて欲しい。
他の全員が笑ってさえいれば、自分一人くらい、大した問題ではない。
「確かにな。子供じゃなくても、そうかも知れない」
赤松がドア越しに同意し、更に続ける。
「でも……まだ、幸せには手が届くんじゃないのか?
諦めるには、ちょっと早いんじゃないか?
自分の事ネクラとか言ってるけど、俺とは結構普通に話せてるぞ?」
「それは、赤松君が、私の趣味を理解出来る人だから……」
「理解して貰えなかった事は……あるのか?」
「えっ……?」
赤松の一言が、小雪の胸に響き渡った。
言われてみれば、自分では何もした事が無い。
漫画に耽り始めた頃から、少しずつ人を遠ざけて、今に至る。
遠退いていったのではなく、遠ざけていったのだ。
「多分、オタクって言うのは、自分でも知らないうちに人を遠ざけてしまうんだろうな。
俺もそんな時期があったから、よく解る。
でも、人間として出来ていれば、オタクなんて差ほど関係ないんだよな。
……それでも毛嫌いする奴が居るから、困ってる訳だけど。
オープンになれとまでは言わないけど……独りで生きるには、人生は長いと思うぞ」
「……うん」
ドアの向こうの赤松に、どうにか聞こえるくらいの声で、小雪は頷いた。
「ま、少なくとも俺は理解出来ているつもりだし……
もう少し『自分』を主張しても、失う物は無いんじゃないか?」
「そうだね……」
赤松の言葉の一つ一つが、心に染み渡って、温かい気持ちになれる。
手を引いて走り出してくれる様な、後ろから押してくれる様な、そんな優しさが感じられた。
――初めての『友達』が、赤松君で良かった……。
そんな事を思いながら、ワンピースになっているサンタ服を着て、赤いニーソックスを穿いた。
「さて、まずはナツミの手伝いを、気が変わる前に終わらせないとな。
クリスマスに独り身だった者同士、それなりに頑張ってみるか」
「うん!」
今度は、ハッキリと聞こえる声だった。
服を畳み、帽子を被り、手袋を填め、鏡で一通り確認してから、小雪はドアを開ける。
「ど、どうかな?」
「うん。結構良い感じじゃないか?」
「そ、そう?」
赤松の言葉に、何故か身体の奧が熱くなる感覚を覚えた。
この服の、防寒効果が効き始めているのだろうか。
小雪は、その場で一回転し、捲れそうになったスカートを手で押さえる。
「ナツミちゃんは、元々可愛いから似合うけど、私はちょっと……」
「謙遜するなって。自分に自信持たないと、『自分』は主張出来ないぞ」
「……そうだね。ありがと、赤松君」
赤松の言葉に、小雪は微笑みで応え、赤松も笑顔で返す。
「準備出来ましたかー!?」
ナツミの声が、橇の方から聞こえた。