神様のミャクドー
「神を作る為の材料は存在している」
突然現れた男の言葉に、レオナは混乱していた。レオナは自分で、自分の理論がこの二十一世紀の技術では実現不可能だという事を理解している。もしかしたらと思い、構想段階で山程関連資料を漁った。結論として、人類がこの人工知能を作り上げる事はこの先三百年は有り得ない。そのはずだ。
なのに、この男は何を根拠に実現可能だと言うのだろうか? 第一、この男はどこから現れたのか? レオナは訝しげな目で男を観察する。皺の無いスーツ、地味なネクタイ、目付きは鋭い。カジュアルな服を着れば学生達の中に混じっても違和感は無いだろう。
「失礼。約束していた、瓜生です。先生とそこの学生さんの話がドア越しに聞こえてきましてね。つい興味が沸いてしまったもので」
瓜生と名乗ったその男は田渕教授に頭を下げ、挨拶をした。
「今ざっと読ませて頂きましたが、実に素晴らしい論文でした。これは君のなんだよね?」
最後の部分はレオナに向けられた言葉だった。無言で頷く。
「この人工知能、すぐにでも製作開始できる? 大丈夫、必要なものは全てこちらで用意する。君はその頭脳だけ貸してくれれば良い」
レオナが黙っている間に、瓜生の方は続けざまに言葉を発しながら、少しずつ彼女に近づいて来る。
「そうだ! 誰か機械工学に詳しい友達とか居ない? なるべく優秀な奴が良いな。心当たりが無ければこっちで探すけど、プロジェクトチームの仲間が仲が良いのに越したことは無いからね」
返事も聞かず話し続け、とうとうレオナの両肩に手を置いた。
「報酬は心配しなくてもちゃんと……」
「あの……話が見えないんですけど」
気まずい沈黙が研究室に流れた。
「……で、どうして私が呼び出される訳?」
部屋に入るなり、桐子は不機嫌そうな顔でレオナに尋ねた。
「ごめんね。忙しかった?」
「うん、まあ。私だって卒論作ってる最中だし、暇ってわけじゃないよ」
まあ、特別忙しいって訳でもないけどさ。そう付け足し、桐子は傍にあった椅子の上に鞄を降ろした。先に置かれていたレオナの荷物を落とさないように、片手で支える。
「私も何が何だかよく分からないんだけど、あそこに居る瓜生って人が、私の知り合いで機械に詳しい人が必要なんだって」
瓜生を目で示しながら、レオナが答える。瓜生は少し離れた場所で、何か作業員達に指示を出していた。全部で十人ちょっと。見たことのある顔は少ないが、若い者が多いから皆学生か院生だと思われる。
あの後、レオナはこの広い部屋に連れてこられた。特別研究棟と呼ばれる、一般の学生は立入禁止となっている建物の地下二階、何に使うのか分からない機材がたくさん置かれた上に、迷路のように入り組んだ廊下の先にその部屋はあった。大きさは二十五メートルプールより少し大きいくらい、部屋を二つに区切るように中央に物々しい仕切りがある。
仕切りの向こう側には奇妙な物体があった。大まかな形は直方体、色は圧縮した石炭のように黒い。サイズは人間より一回り大きいくらい。初めて見た時、レオナは石棺が縦に置かれているのかと思った。表面はヤスリで丁寧に加工したように滑らかで、何も刻まれていない事から、石棺ではないと判断した。第一、ただの棺が地下の研究室でこんなに厳重に保管されているはずがない。
「あれ、何?」
桐子が尋ねる。レオナは首を横に振った。
「私にも分からない」
見ると、白衣の作業員達が黒い「それ」に電極を繋ぎ始めた。いくつも、様々な位置に取り付けられた電極を見て、レオナは人間の脳の活動を観察する実験を連想した。そこから更に、瓜生がいくつもの指示を加え、電極の数を増やしたり減らしたりしていく。
「そうだ。それで良い」
最後の電極が付け終わり、作業員の一人が手元のレバーを引いた。室内の機械のいくつかが唸り始める。
「何をしてるんだろう?」
「実験だろ。昨日から何度もやってる」
レオナが振り返ると、一人の男子学生が座っていた。作業をしている者達と違い、アウトドアに出かけそうな雰囲気のラフな服装、短い髪、目は退屈そうに半分閉じられている。
「えっと、ここの研究室の人?」
「いいや。俺は柏って者で、あれを発掘した人間の一人だ」
柏は黒い「それ」の方に向かって顎をしゃくった。
「発掘? あれってどこかに埋まってたんですか?」
「そうだぜ。ユタの山岳地帯、白亜紀の地層から出てきた」
「白亜紀?」
「ああ、要するに恐竜時代だ」
柏の言葉を理解できずにレオナが首を傾げていると、柏は頭を掻き毟りながら苦しげに言葉を発した。
「正直言って、有り得ないね。うちの教授も最初見たときそう言った。明らかに大昔に存在するような物じゃない。でも、事実出てきちまったんだ。あの謎の物体は。教授が慌てて大学の理事会に連絡したら、あっと言う間にあの瓜生って奴と黒服の連中がヘリで運んで行っちまうしさ。燃やしたり冷やしたり、電気流したり勝手に実験し始めるし」
そう言ってより一層強く頭を掻き毟る。聞いているレオナもそうしたい気分だった。
「やあやあ、君が織田桐子さん?」
瓜生が三人の傍までやって来ていた。レオナと田渕教授の会話の際に突然現れたように、彼は歩く時足音がしない。表情は指示を出している間とは打って変わって笑顔。営業スマイルという奴だ、レオナはそう考えた。
「ええ。で、どうして私が必要なの? あれに入れて埋葬でもする?」
瓜生と目を合わさず、アクリルガラスの向こうの物体を見つめながら桐子は答えた。どうやら、桐子にも「それ」は棺の類に見えていたようだ。
瓜生は桐子の質問にキョトンとした顔をした後、大きく口を開けて笑い出した。
「まさか! あれはね、棺なんかじゃ無いんですよ。むしろ、そう、どちらかと言えば卵に近い。死んだものを収めるのではなく、新しい存在の原型さ」
今度はレオナ達の方がキョトンとする番だった。
「まあ、そう、あれがどういう物なのかは今からお見せするよ。分かりやすいように、灯りを絞ろうか」
瓜生が指を鳴らす。すると、部屋の照明が暗くなった。
「今から、あれに電気を流す。見ていてごらん」
「また電気かよ! あれが一番おっかないんだよな」
柏が黒い物体から身を隠すように、デスクの下に潜り込む。ふざけている様子ではない。彼は心底ガラスの向こうの物体を恐れているようだった。
「おい、おネエさん達も隠れなくて良いのか? マジでヤバいぞ?」
「別に。そんなに怖がってるのはアンタだけよ」桐子が柏を見下ろす。「馬鹿みたい」
「ああ? 馬鹿みたいだって? 馬鹿で結構。映画なら、こういう時に油断して突っ立ってる奴は真っ先に死ぬんだ! 嵐の日に漁船の様子を見に行った奴は絶対波に呑まれるし、ホラー映画のお茶目な黒人は最初に八つ裂きにされる。お約束ってのがあるんだよ」
桐子は肩の所で両手を広げ、相手にしてられないとばかりに視線をそらした。
「俺はそんなヘマはしねえ! 臆病上等、安全第一、逃げも隠れもする奴が一番賢いのさ!」
「……よく喋る男」
実験が始まる。レオナは近くの液晶モニターに実験の経過が表示されている事に気付いた。瓜生がそれを指差した。
「あの論文を書いた君なら、今からモニターに表示される事の意味が分かるだろう。そう、よく見ておいて欲しい」
レオナは言われた通りにモニターに注目しようとしたが、奇妙な音が聞こえてきたので音源の方に目を向けた。洞窟の中に水音が木霊するような、不思議な響き。
黒い「それ」が光っていた。電流のような激しい光ではなく、蛍の点滅のような、淡い光。心臓の鼓動のように強弱を繰り返すその光に合わせて、レオナが耳にした不思議な音がするのだった。
「ほら、モニターも見て」
瓜生の声で我に返り、表示された数値を見る。
「これ……嘘!」
「君の論文で想定していた反応速度を遥かに超えているだろう?」
「つまり、瓜生さんの言ってた材料って」
「あれの事さ。私達は便宜上『アーク』と呼んでいる」
「アーク……」
アークの輝きが強まり、鼓動の速度が速くなる。まるでその直方体の物体は生きているようだった。太古の地層に埋まっていたとは思えないほどの神々しさを放ち、やがて鼓動の音は唸り声のようになっていく。
「君達にアークを使って、全知全能の完璧な知能を作ってもらいたい。理由や使い道は君達が知る必要は無いし、教えるつもりも無い。ただ、報酬だけは約束しよう」
瓜生がレオナに顔を近づける。
「論文の内容を実験で確かめられるんだ、悪い取引じゃないだろ?」
「……ええ」
人工知能の製作はその日の内に始まった。
「プログラミングは全部私がやります。他の方は桐子の指示に従って、アークを加工する作業に入ってください」
白衣の作業員達が頷き、一斉に桐子の方を見る。当の本人は気だるそうにため息を吐いた。
「二日くらい時間を頂戴。私はその間にレオナの大まかな構想に合わせて回路の設計図を作る。その間アンタ達は、あの謎の物体を切ったり削ったりする方法を考案して」
「はい!」
作業員達の内何人かが工具を手に、仕切りの反対側へ向かった。
「しかし、今日突然やって来たネエさん達の指示を、よくもまあ素直に聞くもんだな」
市販の健康食品を齧りながら、柏が呑気な声で言った。
「私がそうするように指示しておいたからね」瓜生が微笑みながら答える。「このプロジェクトは我が校の学生主導で行わなきゃならない。うちの教授があれを見つけたんだ、実験も利用も全てうちでやらせて貰うのさ」
「何でまたあれで神様を作ろうってなったんだ?」
「第一に、我々の実験の結果、あの材質が電子回路の素材として非常に優秀だったこと」
そこで瓜生は一度言葉を切り、ニヤリと笑った。
「第二に、誰だって神様に味方して欲しいでしょ?」
「……俺にはオッサンの考えはよく分かんねーよ」
「そう、こちらとしても分かって貰わなくて構わない」
レオナと桐子は大学の講義を全てサボり、それから数週間作業に没頭した。なぜか柏も常に居て、無駄口を叩きながら作業工程を見守っていた。
初めは瓜生という男の胡散臭さやアークの不気味さに不安を感じていたものの、次第にレオナは自分の理論が形になって行く事に喜びを覚え始めていた。己の頭の中にだけ展開されていた思考が、誰にでも触れられる形を得て現実に出現する。机上の空論が今手足を得て、しっかり自らの足で立ち、存在を証明しようとしている。
レオナは自らの考案した人工知能を「マキナ」と名付けた。あの日の講義で妙に印象に残っていた一節。あの時は何の興味も抱かなかったのに、今の自分は機械仕掛けの神を作り上げようとしているのだ。
「レオナ……アンタちゃんと寝てる?」
二週間を過ぎた頃、深夜まで研究室で作業をしていたレオナの顔を、桐子が覗き込んだ。
「大丈夫。毎日二時間は寝てる」
「二時間って、無茶でしょ?」
「平気だよ。うちの父さんは忙しい時これくらいやってた」
レオナは桐子と話しながらも、その両目はパソコンのディスプレイに向けられ、両手はキーボードを叩き続けている。
「レオナの父親って……」
「科学者だよ。もう居ないけど」
「病気か何かだっけ?」
「自殺。病気は母さんの方」
桐子は気まずそうに視線を落とした。
「あ、ごめん」
「気にしなくて良いよ」
沈黙。レオナは桐子の発言を、いや、桐子自体をまったく意に介していなかった。それを桐子の方も態度で悟り、差し入れに買ってきた缶コーヒーだけを無言で置いて、部屋を後にした。
「残業か? ご苦労なこった」
桐子が研究室を出て、階段を目指していると柏と出くわした。手にはビールの缶が握られている。かなり酒臭い。
「あの子に差し入れ持ってきただけ。アンタの方こそ遅くまで見学ご苦労様」
「俺は見学してるんじゃねえ。あの瓜生って野郎が、うちの教授の手柄を横取りしないよう、監視してるのさ」
「はいはい、ご苦労様ですね」
ヒラヒラと手を振って道を空けさせ、柏の横を通り過ぎる。
「あいつさ」その時、背中を向けたまま柏が言葉を発した。「あのレオナって奴、どうしてあんな夢中になって作業してるんだ?」
桐子が再び足を止める。
「大体、どうしてあんな世迷い言に乗っかってるんだよ? コンピューターで神を作る? 馬鹿げてるだろ。コンピューターって言えば、ただのデカい電卓じゃねーか。神様の仕事ってのは、掛け算割り算だけじゃないだろ?」
「今時、そんなアナログな考えの人間、アンタくらいよ」桐子が言う。「それに、多分あの子は神様を作りたくって頑張ってるんじゃない。多分、レオナは純粋に自分の理論の限界を確かめてみたいだけ」
口に出すことで、桐子自身も少し安心した気分になった。何か考え込むように黙ってしまった柏を置いて、桐子は靴の音を大きく立てながら階段を地上へと上っていった。