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机上のクーロン

「神様って信じる?」

「信じないよ」

「何で?」

「見たこと無いからね」


「じゃあ、酸素ってあると思う?」

「あるに決まってるだろ」

「見たことあるの?」

「え?」

「酸素を見たこと、あるんでしょ?」

「…………」

 発掘作業は難航していた。発掘隊のメンバーは全員意欲的に作業を続けているが、少しずつ口数が減ってきている。一週間前まで、大きな収穫はないものの化石が数日に一度は見つかっていた頃は、作業に集中するように注意しなくてはならないほど、学生たちは賑やかだったというのに。

 アメリカ・ユタ州の山岳地帯。樹木は少なく、灰色の岩に囲まれたテントの中で大沢はため息をついた。日本の大学で教授を務め、古生物学を研究している彼がここに居るのは化石の発掘調査の為だ。主なターゲットは恐竜に代表される白亜紀以前の生物。約一月前、自分の研究室の学生や院生を連れてこの場所にキャンプを設営した。二週間前からは地元の大学生も合流し、発掘隊は現在そこそこの大所帯になっている。

 にも関わらず、ここ一週間何の収穫も無い。地層を掘れども恐竜はおろか、一つも化石が出てこない。もちろん、発掘調査が次から次へと新発見の連続だとは大沢本人も考えていない。今回の調査の数倍の時間と人員を割いても、一切収穫がないことだってよくある話だ。むしろ、最初の内は爪や歯など、断片的な化石が見つかっただけ幸運だとすら思う。大沢の中では大学の夏休みを利用した今回の調査は十分な成果を得られていた。

 しかし、彼が満足しただけでは不十分なのだ。大学の金で調査に来ている以上、大学側に出資以上の成果があったことを示さなくてはならない。成果の提示を求められて、布にくるんだ爪と歯をテーブルに並べ、金を出すしか能の無い連中に向かって学術的な意義を語る。それを考えるだけで大沢は憂鬱になった。大学という場所は無駄が多い。学問の中心に居る人間に限って、資産からは遠い場所に居なくてはならない。特に、大沢のような遥か太古を研究する人間は資産の中心に居る人間に理解されにくかった。恐竜の食生活や狩の様子が分かったところで、彼らの懐に金が入るわけではない。長い研究者人生の中でいやと言うほど思い知らされた。

 今回の調査はある種の賭けだった。世間は新発見に飢えている。革命を起こせる者だけが一流であり、できない者は三流以下。ならば、この地で新発見を成し遂げてみせる。そう大沢は決意して臨んだのだが、結果はこの有様だ。有名な発掘地でキャンプを張れば成果が出るという考えが安直だったのかもしれない。計画中の自分自身を責める言葉が頭の中で渦を巻く。

 テントの中に外のざわめきが聞こえてきたのはその時だった。最初は英語、次第に日本語も混じってきて、大きく広くなっていく。

「教授! 大沢教授!」

 学生の一人がテントの中に駆け込んで来た。作業の最中だったのだろう。両手の軍手は乾いた土で汚れている。

「大変です! すぐ来てください!」

「どうした? 今忙しい」

 何をしていた訳でもないが、不機嫌だったので大沢はそう答えた。

「とにかく来て、見てください! 地層からよく分からない物が出て来たんですよ!」

「よく分からない物?」

 興奮した口調の学生の後に付いてテントを出る。斜め上からの太陽光線が眩しい。大沢は丸めてポケットに突っ込んでいた帽子を取り出し、最近白髪の増えてきた頭に乗せた。

「よく分からないって、化石じゃないのか?」

「どうでしょう? 少なくとも、僕の見た限りでは生き物の骨のようには見えませんでした」

「じゃあ岩や何らかの鉱物か?」

「鉱物……そうですね、そう言われて見ればそう見えなくも……」

「どうにもハッキリしないな」

「そうなんです。僕達では判断が付かなくて……とにかく教授に見てもらおうと」

 話しながら二人はキャンプ近くの崖に向かっていた。断層が露になっているその崖は発掘作業の初期段階で白亜紀の恐竜の爪を掘り出した場所だ。周囲には騒ぎを聞き付けた発掘隊の学生達が次々に集まって来ていて、歩いて向かう二人は途中何度か追い抜かれた。人だかりの中心にある「何か」を見た彼らは皆困惑の表情を浮かべている。

「すまない、退いてくれ。そうだ、見せておくれ」

 大沢が声を掛け、集まった学生達を少しずつ左右に引かせる。その内に断層が彼の目の前に広がる。そして、その断層に半分埋まるようにして「それ」はあった。

「何だ、これは?」

 大沢の口から自然と言葉が漏れた。そして、二度三度と同じ言葉を繰り返す。太古の地層から頭を出した「それ」は化石と言うには余りに無機的で、鉱物と呼ぶには余りに人工的だった。一瞬、学生の誰かが悪戯で埋め込んだのではないかと思った程だ。しかし、悪戯で用意したにしては「それ」は大きい。地中から出ているのは一部だが、全体では人間の体より一回りくらい上の大きさがあると思われる。似非学者や探検家が自分で埋めた化石を発掘して新発見と偽る事例はいくつもあるが、それらとは違うと大沢の学者としての直感が囁いていた。

 集まった学生の視線が大沢に集まる。彼ら全ての視線の総和よりも真剣な眼差しを「それ」に向ける大沢。やがて彼は呟いた。

「有り得ない」






「本当、有り得ないんだけど!」

 葵レオナは雑な手付きで鞄からノートを取り出しながら言い放った。丁度同じタイミングで担当講師が大教室の後ろにある扉から入って来て、無意味に靴音を鳴らしながら教壇へ向かう。

「どうしたの?」

 サラリと流すように、レオナの横に座った学生が尋ねた。その口調はレオナの怒りの原因を共有しようと言うよりも、やる気の無いコンビニバイトがドアの開く音に対して反射的に発する挨拶に近い。

「もうね、聞いてよキリ!」

「聞いてるよ、ちゃんと」

 キリと呼ばれた女学生――織田桐子はこれまた聞き流すようにしながら返事をした。視線は教室正面の黒板に向いている。無愛想だが、これが彼女なりの相談事を聞く態度だという事を、レオナはよく知っていた。

「さっき、卒論出して来たの。そしたら、田渕教授何て言ったと思う?」

「発想や理論は素晴らしいが現実的でない、とか?」

「……キリ、もしかして盗み聞きしてた?」

 図星を突かれて固まるレオナ。

「別に。ただ、レオナの研究内容とあの先生の性格を考えたらそうなるかな、ってだけ」そして、少し心外だという表情を見せる。「大体、機械工学の私が情報工学の教授と学生の話を立ち聞きしてる訳無いでしょ」

「だよね。まあ、教授が言ったのはキリとほとんど同じ事。自信あったんだけどなあ」

 両腕を手狭な机の上で伸ばし、閉じたノートの上に顎を乗せるレオナ。既に講義は始まっているが、彼女にノートを取ろうとする気配は無い。キリの方は手を動かしてはいても、罫線の上に展開されていくのは板書ではなく無数の図面と数値。

 無気力を全身で表現しながら座るレオナを、横目で桐子が見る。

「受け取って貰えなかったの?」

「受け取っても良いけど、評価は期待するな、だって。これって受け取らないのと同じだよね」

「さあ?」答える桐子の視線は既に黒板に戻っている。それでも彼女の手は講義と関係の無い図面を描き続けていた。「アンタがそれで良いなら、良いんじゃない?」

「良くないよ!」上半身を起こしながらレオナが言う。「私は真剣に、大学生活の全ての集大成として、これを書き上げたの! 低評価を付けられるくらいなら、提出なんてしないよ」

「なら、修正すれば良いと思う。確か卒論の受け取りって今日からでしょ? 締め切りはクリスマスだし、いくらでも時間はあるじゃん」

「そうする。ありがと」

 完全に機嫌は治らないままだったが、レオナは筆記用具を取り出して板書を写し始めた。生真面目さ故に彼女が周りと衝突し、今のように桐子に愚痴を言いに来ることは以前からよくある。ほとんどの場合、言いに来た段階でレオナは自分がどうすべきかは把握している。だから、一見冷たく聞こえる扱いで桐子が誘導し、レオナが答えを口にする一連のやり取りは二人の間ではお約束のような物だった。

 レオナと桐子の二人は大学でお互いを知り合った。女子の少ない理工学部において貴重な同性の友人で、入学当初からよく一緒に行動している。学科はそれぞれ情報工学、機械工学と別だが、今受けているような、様々な学科が履修できる講義はよく重なる。この舞台芸術の講義は内容こそ二人には興味の無い雑学だが、テスト内容が毎年同じ、いわゆる楽単という理由で二人揃って履修していた。

 レオナの愚痴も聞き終わったし、どうせ講義内容に耳は傾けていないのだから、研究室にでも行こう。そう考えた時、桐子はレオナの手がクリアファイルを差し出しているのに気付いた。

「これ、そんなに机上の空論だと思う?」

 差し出されたファイルは挟まれた冊子によって変形してしまっている。それだけ冊子が分厚いのだ。ホチキス留めされた表紙には葵 玲於奈(レオナ)の名前と卒論のタイトル。受け取り、適当に冊子を開く。

「前に途中のを見せてもらった時も言ったと思うけどさ」パラパラと短い爪でページをめくる桐子。「やっぱ、プログラムの応答速度の設定が現実的じゃないよ。こんな速さと正確さで信号を伝達できる素材なんて無い、って事くらいは機械屋の私でも分かる」

 冊子の前の方のページを指差しながら言う。レオナが卒論で扱った分野は桐子の専門とはまったく畑が違ったが、田渕教授の反応には同意せざる負えない。

「あと、付け加えるならさ。確かにアンタの作った理論に基づけば、革新的なレベルの人工知能が作れると思う。それこそ、人間を超えるようなね。だけど、現状世間に出回ってるレベルの賢さで十分なんだ。これだから機械は、って文句が出るくらいが、実際一番使い勝手が良いと思うんだよ」

 話し終え、桐子は横目でレオナの顔を見る。悔しそうではあったが、桐子の言った事は全部自分でも分かって納得しているようだった。

「実用的でなくても、学術的な価値はあると思うんだ」

「それは私も思うよ。でも、田渕教授は違う。あの先生は実験屋さんだから、試して確かめられない事は評価したくないんでしょ」

 レオナは大きくため息を吐き、またあの無気力体勢に戻った。桐子はページを更にめくり文章を追う。彼女の知らない専門用語が使われるようになったので、桐子はそっと論文をファイルに挟み直し、レオナの鞄に戻した。

 講師がマイクを片手に解説をしながら、黒板に何か横文字を書いている。「Deus ex machina」アルファベットだという事はレオナにも理解できたが、読み方や意味は分からない。別に分からなくても困る事は無いだろうとも思った。

「デウス・エクス・マキナと読みます」講師はアルファベットの上に片仮名を振った。「直訳すれば、機械仕掛けの神。ギリシャ演劇で物語を無理やり収拾する為に用いられた演出で……以上の理由からしばしば批判を……しかし、また……」

 受け取りが始まったら一番乗りで提出してやろうと思い、深夜まで推敲を続けていた為、レオナは昨日余り寝ていない。講義内容に耳を傾けた途端に睡魔に襲われ、講師の声は途切れ途切れになった。






「教授! 田渕教授!」

 廊下で見慣れた白髪の後姿を発見し、レオナは声を掛けながら走って近付いた。ベストのボタンと肩に掛けた鞄が揺れる。

 教授の方は一度振り返るとレオナに悟られないようにため息をして、彼女が追い付けるようにゆっくりと歩く。教授と並んだレオナは鞄から先程のファイルを取り出した。

「あの、やっぱり提出は見送って修正する事にします」

「そうか。それが良い。私としても君みたいな熱心な学生の卒論に悪い評価は付けたくないからな」

「そこでなんですが、修正すべき点をもっと具体的に教えて頂きたくて。自覚している部分もいくつかあるのですが――」

 講義中に桐子に指摘された点を中心に、歩きながらレオナは自分の考える問題点や不足点を挙げていく。鷲鼻に眼鏡が特徴的な田渕教授は、時々無言で頷きながら足を動かした。彼はこの国立大で数少ない人工知能を専門に研究している、言わば第一人者だ。レオナの所属する研究室のリーダーでもある。

「――今、お話しした点は次の段階でも関係してくるんですけど、これは学術的……」

 彼らの研究室の入り口に着いた時だった。田渕教授がレオナの言葉を遮り、ドアノブに手を掛けて開ける。

「葵クン、ちょっと続きはまた今度で良いかね?」

「え?」教授と一緒にコンピューターが無数に並んだ研究室に入る。「でも、もうちょっとですから」

「客が来てるんだ。中で待たせてる」

 教授は研究室の中から更にドアを一つ隔てた先にある、教授の自室を親指で示しながら言った。

「じゃあ、最後にこれだけ。ここは演算全体をやり直そうと思うんですけど、方針が決まらなくて」中程のページをめくり、指で差す。「ここです」

「仕方ない。大体のやり方だけ今やって見せよう」

 田渕教授は研究室の自分のパソコンを起動し、演算ソフトを立ち上げた。レオナも論文を適当に近くのデスクに置き、画面を見る。

「私は論文全体の発想は評価している。机上の空論であることは否めないが、それだけが減点材料ではない。この演算は君も薄々感じているようだが、根本からミスを犯している」

「なるほど。参考になります」

「誰にでもある事だ。気にする必要は無い」

「はい」

「ただ、同じ説明は二度しないぞ?」

「勿論です」

 ソフトを操作し、教授がレオナのミスを順番に指摘する。レオナはノートに丁寧な筆跡でそれをメモした。先程の講義とは打って変わり、顔付きが真剣そのもの。一言たりとも聞き逃すまいとしている。

「――以上だ。理解できただろ?」

「はい! ありがとうございました」

 お辞儀をするレオナ。

「修正版に期待するよ。出来れば、既存の技術範囲で君の理論を形にするとしたら、どのような人工知能になるかも追記して欲しい」

「それは……仰る通り、前提からして現代の更に先の物理的な技術を想定しています。論文の趣旨から外れると思うのですが」

「妥協案だよ。あくまで妥協案だ」教授は静かに、諭すようにレオナに言った。「理想は大切だ。理想を持たない若者なんて、翼を持たない鳥みたいなもんだ。私は教育者として君の理想を大いに評価する。だがね、私は同時に科学者だ。科学者がすべき事は理想の評価じゃない。現実の追求だ」

 顔を伏せるレオナ。その様子を見て、教授は更に続けた。

「だからこそ、私は君達学生にその両方を要求せざるを得ない。実現可能な範囲で理想を追う、というやり方を覚えてもらいたいんだ」

「……はい」

「理解できたかい? 実現可能な範囲で君の人工知能を作る場合も論じてみてくれ」

 はい。そうレオナが返事をしようとした瞬間だった。

「実現可能ですけどね」

 スーツを着た若い男が二人の近くのパソコンデスクに腰掛けていた。手にはレオナの論文を持ち、後半のページを読んでいる。

「え?」

「この論文に載ってる人工知能。これは実現可能って言ったんだ」

 パタン。音を立てて男が冊子を閉じた。そしてそれを右手で持ってレオナに返しながら、答えた。

「でも、自分で言うのもなんですけど、これを実現可能な電子回路の素材なんて……」

「あるよ」

「え?」

「素材はある。人間を超えた全知全能の人工知能、神を作る為の材料は存在している」

 男はミステリアスな笑みを浮かべ、レオナの両手に論文を置いた。

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