虚仮の一念
国沢裕介は日頃から女性の政治感覚に怒りを禁じ得なかった。
15年ほど前に政権交代があった。
M党の女性候補者は、このように叫んでいた。
「わたしの生活はずっと苦しかった。そういう女性目線の政治を」
彼はそれを聞いただけで吐き気を催した。
経済学に「合成の誤謬」という概念がある。
簡単に言えば、みんなが貯金に走れば、結果的に自分や家族の会社の売上が減り、給料も下がってしまうのである。
経済全体では、自分の行動だけではどうにもならないことがあるのである。
その程度のことは経済学を専攻していなくても、ちょっと本を読めば理解できるはずである。
おそらく、その候補者はM党の面接を受けて候補者になった素人であろう。
1回だけ政権交代が起きたが、失敗を続けているうちに、3年後に再びJK政権に戻った。
そんなある日のことである。
ドアホンが鳴ったので、国沢は開けてみた。
40歳くらいの女が立っていた。
名刺を貰うと、見慣れない会派の名前がある。
名前は田中谷子(仮名)と書いてある。
女は区議会議員と名乗った。
「区議?何党ですか?」
「S党です」
S党なら彼はよく知っている。
かつて衆院で3分の1の議席を占め、護憲勢力とも言われていたが、最近の選挙では2、3人当選するのが、やっとである。
党名が変わったので、彼女はそれを説明しようとした。
彼のほうが知らないと思ったのであろう。
「土居原多香子さん」と、彼はかつて委員長だった女性の名前を言った。
その女は、一瞬嬉しそうな顔をした。
だが、彼は土居原さんが、どうなってやめたのかも知っていたし、もっと前に委員長だった男性の鳴門さんの話をした。
「わたしが子ども頃、映画館に行くと、映画が始まる前にニュースをやっていましてね。鳴門さんは開票中、毎回顔面蒼白だったんですよ。そうすると、映画館で笑い声が起きました」
そういって、彼はドアをバタンと閉めた。
次回の区議選に、その女性が立候補していないので、なんでかなと国沢が思っていると、新聞にその女性がS党からR党に移ったことが書いてあり、S党は「信頼を裏切った」と除名処分にしていた。
その女性は区議選の2ヶ月前に彼のうちに来た。
ポスターも貼ってあった。
貧乏なS党にしてみれば、それだけで怒ったのであろう。
その女性は、関西の大学院でドイツ哲学を専攻し、S党の秘書を8年やっていたのである。
R党に移り衆議院選挙に出たが、議席獲得はならなかったとA新聞には書いてあった。
だが、ならなかったどころか大差で敗れていた。
JK政権も議席を減らしたが、R党公認であっても、S党の推薦も貰わなければ議席獲得は難しいことは、素人の国沢にもよくわかった。
彼女にとって2度目の衆院選でも、J党の現職に敗れた。
JK政権に勝つには、野党の選挙区の棲み分けも大事であるが、推薦も大事である。
弱小とはいえ、S党を除名されたのでは勝てるはずがない。
しかもその女性は、独身で子育てもしていない。
趣味は旅行などと書いている。
それだけで駄目だとは言えないが、子育て世代の票は入らないであろう。
子育てする気がないのではなかろうか?
では何のために、政治家を志したのか?
たぶん、大学院卒では普通の会社に就職するのが難しく、政治家の秘書になったのであろう。
彼が長期低落傾向と言われながら、鳴門委員長が毎回泣きそうな顔をしていたことを話し、映画館で笑い声が起きたとまで話したことが、その女性に離党を決意させたのであろうか。
しかし、彼にもS党の除名処分を何とか取り消してもらい、推薦を取り付けなければ、まず国会議員にはなれないことはわかる。
ところが、最初に彼の家に来てから10年後、彼女は3回目の挑戦で、衆院選の比例復活で当選した。
語学に堪能な彼女は、国際関係の仕事をしている。
ロシアが国境を超えて、ウクライナと戦争したのは許せないが、いつまでもウクライナの援助をしていたのでは、もう停戦しないと日本人がますます貧しくなると、国会で熱弁を振るっている。