私は狙われているんです
「森羅万象、言は事、霊は魂。私は言代主神の名において言霊を発令します。天よ、私の祈りに答え雨を降らせて下さい!『雨天』!」
天音の叫びと同時に、手帳から放たれた光が天井を突き破り、天を繋ぐ一本の柱となった。それは、雨雲を呼び寄せ天候を雨に変化させる強力な言霊であった。
言霊の詠唱を終え、力尽きた天音は、その場に崩れるように膝をついた。
「こ、これで何とか……」
だが。
一分後。何も起きない。
二分後。何も起きない。
その間にも、火はゴウゴウと燃え盛り、天音の逃げ場がどんどん無くなって行く。天音の顔に、焦りと絶望が入り混じった表情が浮かぶ。
「な、何で? 何で何も起きないんですか? 言霊は確かに発動したはずなのに……」
その時、天音の携帯にメールが着信した。差出人はおばあちゃん。天音は慌ててメールを開いた。
『言霊不足』
どうやら、未熟な天音の力では天候を操るような強力な言霊を発動する事は出来なかったようだ。そのメールを見た天音の顔から血の気が引いた。
ランランラー♪ ランランラー♪
頭の中で、死を招く不吉なあの曲が再び鳴り響く。
火は既に天井にまで燃え広がり、天音の四方八方を囲んでいた。やがてその炎は、口を大きく広げた龍となり、天音に襲いかかって来た。抗う術を持たない天音は、目を瞑り覚悟を決めた。
だが、その時だった。突如先ほど天音が空けた穴を中心に天井に亀裂が入り、ガラガラと音を立てて天井が崩れ落ちてきた。それと同時に、頭上から部屋中に向かって水が撒き散らされる。
何事かと驚いた天音が見上げると、二階へと続く水道管に亀裂が入りそこから水が飛び出しているのが見えた。勢い良く噴出される水は、完全に火を消す事は出来ないまでも、一瞬だけ火の勢いを弱まらせた。
今しかない!
その瞬間を見逃さず、天音は最後の力を振り絞り駆け出すと、火の海を突っ切り燃え盛る障子に頭から突っ込んだ。
「えええーい!」
障子を突き破り、天音は部屋から飛び出す。
突然目の前に飛び出して来た火ダルマ状態の天音に、銀二達は目を白黒させた。
「お、お前?」
「あ、熱いですうううううっ! み、水ううううううっ!」
「そ、そっちだ!」
言われるがまま銀二の指差す方を見ると、そこには先ほど天音がダイブした池があるのが見えた。無我夢中の天音は、再びその池に向かって飛び込む。
――ドボーン!
瞬時に彼女に纏わり付いていた火は消え、何とか天音は九死に一生を得た。
「た、助かったです……」
天音は、ぐったりしながら池から上半身だけ這い上がらせると、地面に突っ伏しながら安堵のため息を吐いた。
「ど、どうなってんだ? こりゃ……」
その時、天音の耳に銀二の驚く声が聞こえてきた。
何事かと見ると、なんと先ほどまで燃え盛っていた火が跡形も無く消えてしまっている。残っていたのは、燃えてしまった部屋の残骸と、焦げ臭い匂いだけだった。
「これは、言霊の効果……」
その光景を見た天音は、消え入りそうな声で呟いた。
さっきまで、あれ程燃え盛っていた火が突然消えるなんて、普通じゃ絶対に考えられない事だ。だが、言霊士が発動させた言霊の効果なら話は別だ。何故なら、言霊の効果は発動者の意思で自由に消す事が出来るからだ。恐らく先ほどの火事は『火』や『炎』を操る言霊士が発動させた言霊に違いない。
そこまで考えた所で、天音はハッとする。
だとしたら、何故その言霊士は火を消したのか? 今回の火事が言霊士による犯行だとバレるリスクを犯してまで火を消す理由は何なのか? そもそも火事を起こした目的は?
天音は全てを分かっていた上で自問自答をしていた。言霊士が火事を起こした目的。それは、自分を殺す為だと言う事を。でなくては、自分が脱出した直後に火が消えた理由に説明が付かない。
な、なんで私が……。
その答えも天音は分かっていた。銀二は黙っているが、恐らくこの事件には言霊士が十中八九絡んでいる。餅は餅屋、邪の道は蛇、そして言霊士には言霊士。常人ならざる力を持つ言霊士が恐れるのは、同じ力を持つ言霊士。だから、犯人は自分を殺そうとしたのだ。同じ力を持つ言霊士を消す為に。
天音はクラクラする頭を抑えた。
どうやら、自分は既に引き返せない所まで来てしまったようだ。ヤクザに拉致監禁されるだけでも危険極まり無いのに、今は同業者である正体不明の言霊士に命を狙われている。
「私って……、私って不幸ですぅ~!」
天音の悲痛の叫びが、寒空の下響き渡った。