諦めたらそこで試合終了です
天音はガタガタと震えていた。その振動で地震が起きるんじゃないかと言うくらい彼女は震えていた。
頭から何枚もの毛布を被り、天音は震える身を抑えている。用意された部屋には、何台ものストーブが置かれ、必死に彼女の身を暖めようとしているが全然効果が無い。流石に真冬の寒中水泳は体の芯まで冷えた。彼女は今、生と死の狭間にいた。
天音の目の前に、すぅっと朧げな姿のおばあちゃんが現れた。
優しげな微笑を浮かべるおばあちゃんに、天音はプルプルと震える手を差し伸ばす。
「ああ……天国のおばあちゃん。天音を迎えに来てくれたのですね……」
天音は倒れるようにして、おばあちゃんの膝の上に頭を乗せた。
「寒いです、おばあちゃん……。それにとても眠いです……」
ランランラー♪ ランランラー♪
頭の中に、あの有名なフランダースの犬のテーマソングが流れる。
毎日のように襲い掛かる不幸の連続に、天音は身も心もズタボロだった。彼女は心底疲れ切っていた。
このまま、おばあちゃんに誘われるがまま天国に行くのもいいかもしれない。
そんな考えが天音の頭を過ぎった時、急に部屋の中が暖かくなってきた。
銀二さんが暖房を強くしてくれたのかしら?
そう思いながらうっすらと目を開けると、陽炎のようにゆらめく障子が見えた。
――パチパチパチ……。
何だろう。弾けるような音に、焦げ臭い匂い……。これって……。
「も、燃えてる?」
ガバッと慌てて起き上がると、そこはもう一面火の海だった。
「ひえええええっ! 何々? どうなっているの?」
一難さってまた一難。どうやら神様はよほど天音を不幸にしたいらしい。
天音は急いで逃げ道が無いか辺りを見渡す。だが、周囲は一面渦巻く炎に包まれており、逃げ道など何処にも無い。
「おい、大丈夫か!」
燃え盛る障子の向こうから銀二の声が聞こえた。
「ぎ、銀二さん! た、助けて下さ~い!」
「た、助けてやりてぇのは山々だけどよ、こう火の手が強すぎるんじゃ……。すまん、骨は拾ってやるから! 成仏してくれ!」
「いやあ! 諦めが早すぎるです~!」
毛布を被りながら、天音は頭を抱える。
ど、ど、ど、どうしたらいいの? このままじゃ、本当に死んじゃう!
その時、ピンと天音の頭上に電球が浮かんだ。
そ、そうだ! こんな時こそ、おばあちゃんに相談です!
素早く携帯を取り出した天音は、速攻でメールに文字を打ち込み送信した。すると、すぐにおばあちゃんから返信が帰ってきた。
「おばあちゃん、天音を助けて!」
必死の願いを込めてメールを開くと、そこには一言『人間、諦めが肝心』と書いてあった。どうやら、おばあちゃんは天国で天音の到着を待っているらしい。天音の顔からサーッと血の気が引いた。リアルな死の予感が頭を過ぎる。
その間も炎は攻撃の手を緩めようとはしない。今度は、天音が被っている毛布に火が燃え移った。天音はパニックになりながら慌てて毛布を投げ捨てる。
「いやあ! いくらなんでも焼け死ぬのなんていやです! 私ってば、不幸すぎる! 誰か助けて! ヘルプミー! ……あっ」
叫んだ拍子に煙を吸い込んだ天音は、クラクラした頭を抑えながらその場に倒れた。
外では、銀二とその部下達が手を合わせ天音の居る部屋に向かって合掌している。
「何で私がこんな目に……」
身動きが取れない絶対絶命の状況の中、天音はなんだか急に悲しくなってきた。
来る日も来る日も続く丁稚奉公の毎日。今思えば楽しい思い出なんて一つも無かった。今日だって、月夜の身代わりとなってヤクザに拉致られ、池に突き落とされ、挙句の果てに火事に巻き込まれ命を落とそうとしている。後ほど流れる予定であろう走馬灯は、きっと涙で滲んで見えないに違いない。一体自分の人生は何だったのだろうか?
――こんな事ぐらいで死ぬとは、最後の最後までグズな奴だよ、お前は。
あの血も涙も無い月夜の事だ、葬式の場で私の遺影に向かってそれぐらいの事は言うかもしれない。いや、そもそも私の葬式にすら参加しないかもしれない。あの男ならありえる話だ。
天音の脳裏に、腹を抱えて笑う月夜の姿がぐるぐると渦巻く。
ムカつきますです……。
天音の心の奥にポツリと怒りの火が灯る。
そもそも、何で自分はこんな所で死ななくちゃならないの? 自分がこんな目に会っているのも、今までの不幸も全ては音無月夜、あの男のせいなのに。
沸々と悲しみを通り越した怒りが体の奥底から湧いてきた。怒りが生きる気力に変わり、力尽きていた天音の体に注入されていく。
「こ、こんな所で、死にたく無いです……!」
ゆっくりと天音は立ち上がる。
手帳を取り出し、天音は最後の力を振り絞って詠唱を始めた。