銀二さんのピエロっぷりに涙です
「銀二さん、手が痛いです……」
聖衣羅の声に、無我夢中で走り続けていた銀二はハッと我に返り手を離した。振り向くと、聖衣羅が肩で息をしながらその場に座り込んでいる。
「す、すいませんお嬢様! 俺ってば、つい夢中で……」
「い、いえ……」
銀二は周囲を注意深く見渡し、追っ手が来ていない事を確かめると、聖衣羅を連れ倉庫の影に隠れた。
「暫くここに隠れて様子を見ましょう。なぁに、探している人数はこっちの方が圧倒的に多いんだ。待っていれば、きっと組の者がやってきますって」
満身創痍の聖衣羅を励まそうと、銀二はにこやかに話しかける。だが、聖衣羅は銀二の方に見向きもせず黙っている。
気まずい……。
想像していた展開と大きく違う事に、銀二は混乱していた。
敵に捕まり絶体絶命だったお嬢様を、俺は体を張って見事救い出した。言うなれば、俺はお嬢様の命の恩人だよな? なのに何なんだ、この気まずい空気は。さっきからお嬢様は俺を見ようともしないし、何だか不機嫌だし、これじゃまるで俺が助けた事が不満みたいじゃないか。それに、天音の奴も言っていたじゃないか、お嬢様を格好良く助ければ、俺は白馬の王子様になれるって。お嬢様も俺の事をきっと好きになるって。それなのに、どうしてこんな態度を取られなくちゃ行けないんだ。納得出来ねぇ。
「お、お嬢様、ホラ見て下さいよ。今宵は満月です。なんだかロマンチックですね」
息が詰まりそうなこの重苦しい状況を打破する為、銀二は共通の話題を作ろうと空に浮かぶ月を指差した。だが、相変わらず聖衣羅は何も答えない。それどころか、明らかに詰まらなささそうな態度で大きな溜息を吐くと、そっぽを向いてしまった。そんな聖衣羅の冷たい態度に、銀二は泣きそうになった。
と、その時、二人が隠れている倉庫の陰から少し離れた所に人影が現れた。
いち早くその影に気がついた銀二は、目を凝らして見る。それは氷室だった。
くそっ! よりによってあいつかよ!
聖衣羅が氷室の事を好きだと言う事は、銀二は先刻承知済だった。だから、同じ組の者とは言え、氷室にだけは聖衣羅を引き渡したく無いと銀二は思っていたのだ。だが、そんな選り好みをしている状況では無いことも銀二には分かっている。
ちくしょう、ここでお嬢様を氷室の野郎なんかに引き渡しちまったら、まるっきり俺はピエロじゃねえか! だが、ここでモタモタしていたら誘拐犯どもに見つからないとも限らねぇし……。
時間の無い決断を迫られ、一人悶々とする銀二。と、その時、銀二は氷室の背後にもう一人の人影を発見した。なんと、それは聖衣羅を拘束していた覆面の男だった。
何故だ? なんであいつらが一緒に行動している?
どうやら氷室と覆面の男はこちらには気がついていないようで、なにやらボソボソと話し合っている。そして、話が終わったのか氷室の指差す方へ覆面の男は向かうとそのまま闇に溶け込んだ。
銀二の胸の中に氷室に対する疑惑が巻き起こり、同時に矢口組地下倉庫での記憶が蘇る。
俺を拘束していたあいつらの態度、あいつらが誘拐犯と何かしらの繋がりがあったのは明白だ。そして、あいつらの直属の組頭は氷室。そして、この状況。そうか、やっぱりそう言う事だったのか。あの野郎……。
銀二はギリリと歯軋りをしながら拳を握り締めた。だが、ゆっくりとその拳を収める。
本当なら今すぐ飛び出してあの野郎をぶっ飛ばしてやりてぇ所だが、今は隣にお嬢様も居る。ここで短気になってお嬢様を危険な目に合わせる訳にもいかねぇ。ここは引くしかねぇか……。
銀二は氷室達に見つからないよう、ゆっくりと頭を下げ倉庫の影に潜んだ。
「お嬢様、ここから離れま……」
「あっ! 氷室様!」
だが、銀二が言い終わるより早く、聖衣羅は大声を出しながら倉庫の影から飛び出してしまった。
「こっちよー! 私はここよー!」
「いいっ?」
慌てて銀二が聖衣羅の手を取る。
「お嬢様! 何やってんですか!」
「離してよ!」
聖衣羅は乱暴に銀二の手を振り解く。いつもの優しいお嬢様からは想像もつかない態度と言動に銀二は目を白黒させた。
「ったく。さっきから気安く触るんじゃないわよ。あなた、自分の立場ってものが分かっているの?」
「お、お嬢様……?」
冷たい眼差しで聖衣羅は銀二を見つめる。その表情には、銀二に優しく話し掛けてくれたあの頃の面影は微塵も無かった。
豹変した聖衣羅の態度に唖然とする銀二。そんな銀二をその場に残し、聖衣羅は小走りに氷室の元へ駆け寄った。
「氷室さまぁ!」
氷室は大きく両手を広げると、飛び込んでくる聖衣羅を受け止めた。
「探しましたよ、お嬢様。こんな所に居らしたんですね」
「ええ。馬鹿な銀二のせいで、大変な目にあったわ」
「銀二が? 銀二と一緒に居たんですか?」
倉庫の影から、怒りの表情を浮かべた銀二がゆらりと姿を現した。
「お嬢様から離れろ、氷室」
「どうしたんだ銀二、そんな怖い顔をして」
「離れろって言ってんだ!」
銀二の怒声が波止場に響き渡る。
氷室はフッと笑うと、懐から銃を取り出した。
「その様子だと、もう解かっているみたいだな。この事件の黒幕が俺だと言う事に」
「お嬢様、危ない! 逃げて下さい!」
だが聖衣羅は、その場を動こうとしない。それどころか、まるで自分には危害が及ばないと言わんばかりに氷室に寄り添っている。
「お、お嬢様?」
「ほんと、あんたは鈍いわね」
聖衣羅は哀れんだ瞳で銀二を見つめると、小悪魔のような笑みを浮かべた。
「私と氷室様は仲間なの。この誘拐事件は、私と氷室様とで計画した事なのよ」