例の部屋ってヤバイ予感しかしないです
「組長!」
「お疲れ様です! 親父さん!」
「お疲れっス!」
急に辺りが騒がしくなり、何事かと天音は目を開いた。そこには、まるでモーゼの十戒のように、ヤクザ達が道を開け、その間を威風堂々と歩いてくる袴姿の男が見えた。この男こそ、関東一と呼ばれるようになったこの組を一代でのし上げた矢口組組長、矢口大吾郎その人であった。
大吾郎は、大広間の上座にどっかりと腰掛けると、萎縮している天音を睨み付けた。
がっしりとした筋肉質の体に、ギロリとした鋭い眼光、その顔には恐らく過去の抗争でつけられたであろう名誉の十文字の傷が刻まれている。見た目は四十台後半くらいで、組長にしては年齢は若そうに見えた。だが、彼の体から発せられるオーラは、歴戦を潜り抜けてきた兵士が持つ物と同じである事を天音はその肌で感じていた。天音は蛇に睨まれた蛙のように固まった。
先程まで、あれ程騒いでいた怖い人達は、皆一斉に口を閉ざしている。シンとした沈黙が大広間内に流れ、重苦しい空気が漂う。
その横に控えていた氷室が、大吾郎に向かって淡々と報告を始めた。
「本名は大神天音。年齢は十六。見ての通り大変な貧乏人であるこの女は、組長のお気に入りの錦鯉を盗もうと屋敷内に潜入。そこを偶然通りかかった銀二に見つかり、追い詰められたこの女は、屋敷に火を放って逃亡を図ろうとしました」
「ぜ、全然違いますぅ! そもそも私は銀二さんに無理やり拉致されて……!」
事実とまるっきり違う報告に、天音は異議を唱えながら立ち上がろうとした。だが、彼女の目の前に無数の黒光りするドスが突き出される。
「ひっ!」
「少し黙っとけやお嬢ちゃん。今、氷室さんが話している最中だろ? ああん?」
天音を取り囲むヤクザ達が、ドスを突きつけながら凶悪な顔をさらに歪め睨み付ける。
あまりの恐ろしさに、天音は目に涙を溜めながらペコペコと何度も頭を下げた。
「さらに、この女は言霊士である事が判明しています。そして、その言霊は恐らく『火』。先日、お嬢様と共にいた仲間を焼き殺した言霊士と同一犯である可能性が高いです」
次々と氷室から身に覚えの無い罪状が報告され、天音の身に積み重なっていく。だが、反論したくても周りを取り囲む怖い人達に阻まれ言う事も出来ない。
八方塞がりでどうしようも無くなった天音は、助けを求めようと隣に座る銀二を潤んだ瞳で見つめた。だが、いくらアイコンタクトしても、銀二は苦々しい顔で俯くばかりで動こうとはしてくれなかった。
「このアマがやった事は明白なんだ、さっさとゲロ吐かせましょうぜ!」
「例の部屋の準備は万端でさぁ! 前のヤツの血のりも綺麗サッパリ掃除しときやしたから!」
「おい、葬儀屋と火葬場の手配をしておけ! あと、この女に書かせる念書と印鑑もだ!」
慌しくヤクザ達が動き始める。
例の部屋? 血のり? 葬儀屋に火葬場って何? 念書って、一体私に何を書かせるつもりですか?
ガシッと天音の両脇を黒服の男たちが掴む。そして、顔面を蒼白させている天音を無理やりに立たせた。
「たっぷりと可愛がってやるからな。覚悟しとけや」
「ひいいいいいっ! お、お助け! ヘルプミー!」
「離してやれ」
殺伐とした空気の中、迫力のあるドスの効いた声が響き渡り、ヤクザ達の動きがピタリと止まった。皆の視線が一斉に声の主に注がれる。その声の主は、矢口大吾郎であった。