お借りしたお金は返すべきだと思うんです
西暦二千二十年十二月某日、初冬。
街外れのとある雑居ビル内では、ドアを叩くけたたましい音が鳴り響いていた。
「おいこら音無! 中に居るのは分かってんだぞ! 居留守使ってねぇで出てきやがれ!返済の期限はとっくに過ぎてんだろ!」
錆び付いた鉄製の扉の前で、数人の強面の男達が口々に叫んでいる。乱暴に扉を殴る蹴るする振動で、扉に飾ってあった「音無言霊探偵事務所」の看板が地面に落ちた。
だが、この事務所の所長である音無月夜は気にした様子も無く、ガムテープで補強してあるボロボロの椅子に座りながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。その横には、この事務所の唯一の所員である大神天音が、気が気で無い様子で月夜と扉を交互に見つめている。
「しょ、所長! どどど、どうしましょう! また怖い人達がやってきましたです~!」
「ほっとけ。無視していれば、そのうち諦めて帰んだろ」
くりくりとした大きなその目に涙を溜め、オロオロとうろたえる天音。だが、肝心の月夜は、まるで興味が無いと言わんばかりに手を振っている。
「で、でも、このままじゃ近所迷惑ですよう。中に入ってもらった方がいいんじゃ……」
そう言って扉に向かおうとした天音の背中に、月夜の容赦無い蹴りが炸裂した。
小柄な天音は勢い良く吹っ飛び、近くにあった本棚に頭から激突。さらに倒れてきた棚の下敷きとなり、飛び出した本の生き埋めとなった。
「このクソが。余計な真似をするんじゃねぇ」
足を突き出した格好で、月夜がドスの効いた声で呟く。
「何だ今の音は! 月夜! お前、やっぱり中に居るんだろ!」
外から聞こえてきた男達の声に、月夜は憎憎しげに舌打ちをした。
「てめぇのせいで居留守がバレちまったじゃねぇか。どうしてくれんだ? ああん?」
「す、すいましぇ~ん」
積み重なる本の山から、天音の泣きそうな声が聞こえてくる。
「いい加減出てきて、さっさと借りた金を返しやがれ! 人様に借りた金を返さないなど言語道断! こんな人道に反した行為をしていいと思っているのか? 田舎のおっかさんが泣いているぞ! この鬼! 悪魔! 外道!」
外からの罵声は益々エスカレートして行く。
いつまでも止まない声に、月夜はうんざりと言った顔で溜息を吐くと、帽子のツバを片指で上げた。
扉を睨みつける鋭い眼光が露になる。だらしない無精髭に寝癖がひどいボサボサ頭。見た目より老けて見えるが、これでも彼は二十歳だ。
「俺様の安眠を妨害しやがって」
気だるい動作で、月夜はシワなのか柄なのか判別のつかなくなったヨレヨレスーツから手帳を取り出し中身を開く。開かれたページには、ギッシリと漢字が敷き詰められていた。
「森羅万象、言は事、霊は魂。我、言代主神の名において言霊を発令する。静寂よ来たれ。『無音』」
そう月夜が呟くと、手帳が淡い光に包まれ、その光が彼の周りを覆った。そして、次の瞬間、男たちの叫ぶ声も扉を叩く音も消えた。
真昼間の都会に突如訪れた沈黙。
月夜は満足そうに頷くと、木製のテーブルに突っ伏した。ポカポカと陽気な太陽の光が背中に当たり心地よい。今なら良い夢が見れそうだ。
だが、月夜の意識が朦朧としてきたその時、突然音も無く扉が蹴破られた。そして、外から数人の男達が事務所内にズカズカと乱入して来た。
驚いた天音は「ひゃあ」と両手を上げると、月夜が突っ伏している机の下に逃げ込む。
男達は、月夜の前までやって来ると、鬼の形相をしながら口々に何かを叫んだ。だが、その声は音にならない。パクパクとまるで池の鯉のように口パクを繰り返すだけだった。
月夜が着ている薄っぺらなスーツと違い、高そうな白スーツに身を包んだ坊主頭の男は、全く起きようとしない月夜の背中を乱暴に揺さ振った。そこでやっと目を覚ました月夜は、目の前に人が居た事に今更ながら気がついた。
目を擦りながら、ふわぁっと大きなあくびをした月夜はパチンと指を鳴らす。すると、静寂だった世界に音が戻ってきた。
「……だろ!」
ハァハァと肩で息を切らしながら、坊主頭の男は鼻息を荒くして月夜を睨んでいる。だが、全く話を聞いて無かった月夜は首をかしげるばかりだ。
「てめぇ! 今の話を聞いていなかったのか!」
「全く」
真顔で答える月夜に、男は愕然とした表情を浮かべると、ガックリと肩を落とした。
「……だからな。返す金が無いなら、うちの組の仕事を手伝わねぇかって言ったんだよ。実は俺たちの組で今トラブルが起きていてだな……」
「断る」
きっぱりと月夜は言った。
男は「はぁ?」と言った表情を浮かべた。