98.ベンジャミン冥利
「おう、よく来たなグローリア」
グローリアは目礼だけするとすぐにスコーンを割った。ふわりと湯気が立ち上る。どうやったらこんな完璧なタイミングでスコーンが焼き上がって来たのだろう。ベンジャミンはグローリアのエスコートをしていたはずなのに。
先にクリームを乗せ、アンソニーお勧めのジャムを乗せる。口に入れればまずジャムの甘酸っぱさが来て、それからクリームの濃厚さがそれを包み込む。
「はい……まぁ……美味しいわ……」
別に王弟殿下を無視したいわけでは無いのだ。ただ顔を見づらいだけで。これはスコーンが美味しいからだと言い訳をしてグローリアはもうひと口スコーンを割って口に入れる。
「よろしゅうございました。お茶はこちらをどうぞ。濃い目に淹れた紅茶に温めたミルクを足しています。クリームの濃厚さにも負けませんよ」
「さすがはベンジャミン様……お口が幸せですわ……」
「お褒めに預かり光栄ですね」
行儀は良くないが口にスコーンとクリームが少し残ったまま茶を口に含む。口福、とはきっとこういうことを言うのだろう。
「おいベンジャミン、少しくらい話をさせろ」
「グローリア様のお口を幸せにする方が先です。あなたも幸せなグローリア様と話したいでしょう?レオ」
「ぐ……そうだけどな」
「だったらほら、あなたもさっさと食べてはどうです。あなたはこっち、ブランデー入りのクリームですよ」
「お、良いなそれ」
「はいはい、ほら、紅茶はこっちですよ」
グローリアの向かいのソファに座って不機嫌そうに成り行きを見守っていた王弟殿下の前にもベンジャミンが焼き菓子とカップを置いた。
「アニー、いらっしゃい。アニーの分はこちらにありますからね」
「え!僕の分もあったんですね!?」
「当たり前でしょう。ジェサイアの分もそちらに。今日は『とびきり』のご用意なんですから、あなたたちも一緒でこそ『とびきり』でしょう」
応接セットの向こうに置かれた椅子とティーテーブルにふたり分のお茶のセットが用意されている。今日はアンソニーもジェサイアも一緒にお茶を飲んでくれるらしい。
「ふふふふふ!ベンジャミン様は本当にわたくしをご存知ね」
グローリアが笑うと、ベンジャミンも笑みを深くしてグローリアの横に膝をついた。そうして胸に手を当てるとグローリアを見上げて言った。
「あなたの許容と慈愛に敬意を。見捨てずにいて下さって感謝しておりますよグローリア様」
「まぁ……やめてくださいまし。くすぐったいのですわ」
「ええ、ほら。『とびきり』ですからね。そのあたりも甘く参りましょう」
「まぁ、ふふふ!」
悪戯っぽく笑うベンジャミンにグローリアも思わず笑ってしまう。上手く笑えないかもしれないとあれほど怖かったのに、ベンジャミンにかかればそれも杞憂に終わってしまう。けれど、ベンジャミンが少しほっとしたように目を細め眉を下げたのをグローリアは見逃さなかった。
「グローリア様、次はこちらのサンドイッチをどうぞ。お口直しにクリームチーズときゅうりを挟んでおります。お茶はこちらのストレートティーをどうぞ」
グローリアがスコーンを食べ終わるのを見計らい、ベンジャミンはテーブルの上のセットを取り換えた。皿の上にはひと口サイズに切られたサンドイッチが並んでいる。勧められるままに口に入れれば酸味の強いクリームチーズとスライスされたきゅうりの青い香りで甘かった口の中が洗われた。癖の無いストレートの紅茶がその酸味も青さも流してくれる。
「甘かったお口がすっきりしましたわ」
「ええ、そうでしょう?ではこちらをどうぞ。小さなタルトにナッツやフルーツ、チョコレートなどをそれぞれ乗せてありますよ。ひと口サイズに作っておりますから手でそのままお召し上がりください」
いったいどこに隠していたのか、魔法のようにテーブルに並べられていく菓子たちにグローリアは思わず苦笑した。どれもこれもグローリアの好みなのだ。
「ベンジャミン様はわたくしの好みを知り尽くしておりますのよね……不思議ですわ……」
「お顔を見ていれば自然と覚えますよ」
ベンジャミンは何でもないことのように涼しい顔でさらりと言ってのけたが、ただ顔色を見ているだけで覚えられるようなものでも推測できるようなものでも絶対にないはずだ。
「ベンジャミン様に愛される方は幸せですわね」
「おや、グローリア様も幸せですか?」
「ええ、もちろん幸せですわ」
「それは良かった。ベンジャミン冥利に尽きますよ」
暗にグローリアもベンジャミンに愛されていると言われているわけだがそれが男女の情で無いことはさすがのグローリアにも分かる。「僕だって負けてないですよ!」とアンソニーが声を上げた。
「おいこらそこまでだぞ。なんだベンジャミン冥利って」
「うるさいですよ、レオ。ほら、次はこっちのサンドイッチを食べてからこれです。ナッツの蜂蜜漬けのタルト」
面倒くさそうに言いながらもベンジャミンが王弟殿下の前にグローリアの物よりも大きめの菓子を並べていく。それを見た王弟殿下の顔が緩む。
「俺の好みも熟知だな」
「あなたの従者なのでね、一応」
「一応かよ……おいベンジャミン。このタルトまだあるか?」
「ありますよ。それとこちらのタルトもどうぞ。レモンと蜂蜜入りのチーズクリームに蜂蜜の飴を砕いたものです」
「良い従者だよなお前」
「もっと別の所で褒めていただけますかね」
ぽんぽんと言葉のやり取りをする間にもベンジャミンは王弟殿下の前に菓子を並べ、次いでアンソニーとジェサイアのテーブルのセットも手早く変えていく。
「ベンジャミン様は召し上がらないの?」
「俺は食べさせる方が好きなんですよね、食べるより」
セットを変え終わるとすぐにお茶のお代わりを用意していく。まるで迷いのない流れるような動きはいくらでも見ていられそうだ。
「そんな気がいたしますわね」
「ええ、なので俺が用意したものを美味しく食べていただけるのが一番ですよ」
グローリアが頷くと、ベンジャミンが表情を柔らかく緩めた。そうして菓子を機嫌よく咀嚼している王弟殿下を見て笑みを深めるとまた流れるように動き出す。その様子は本当に楽しそうで、ベンジャミンは生来世話焼きなのかもしれないとグローリアも自然と口元がほころんだ。
グローリアはふと思いついて更に口角を上げると、ベンジャミンの動きがひと段落をするのを待ってベンジャミンを呼んだ。
「ベンジャミン様」
「なんです?」
グローリアが「こちらへ来てくださいませ」と言うと持っていたポットをワゴンに置き、ベンジャミンが不思議そうにグローリアの横に膝をついた。そうしてグローリアを見上げたベンジャミンに、グローリアはにっこりと笑った。
「お口を開けてくださいませ」
「は?……むっ!?」
口を開けたのではなく問い返そうと開いたベンジャミンの口にグローリアはすかさず小さなタルトを押し込んだ。一番高さが無く引っかかりにくそうなチョコレートのタルトだ。ベンジャミンが目を白黒させながら口を片手で押さえてもぐもぐと咀嚼している。
「美味しいですわよね?」
「おま、ベンジャミン!!!」
「待ってください、不可抗力です!!」
口元を抑えながら後ずさるベンジャミンに、王弟殿下が声を上げる。タルトを飲みこむとベンジャミンは慌ててワゴンの方へと逃げた。
「うわぁ……女神で小悪魔は変わんないんだなぁ」
「……ああ」
アンソニーの小さな呟きにジェサイアが応えた。
「えーっと、美味しいですね?」
「……うまいな」
ぎょっと振り返ったアンソニーが話しかけると、またも頷きジェサイアが応えた。
「ジェサイアさんがしゃべってる!」
「ふっ」
「ジェサイアさんが笑ってる!」
「ジェシーはそう見えて甘党なんですよ」
「悪いか」
小さなタルトを大切そうに口に運ぶとジェサイアの口元がほんのりと上がった。どうも甘党は本当らしい。
「まぁ……知りませんでしたわ」
「ええ、グローリア様からいただいたクッキーも気づけばジェサイアにかなりやられました。とても美味しかったですよ、ありがとうございました」
ベンジャミンが微笑むと、「ご馳走様でした!美味しかったです!!」とアンソニーもにっこりと笑った。ジェサイアも「いただきました」と小さく頭を下げた。




