94.羨ましくて妬ましい
「ちょっと待ってちょうだい。うまく飲み込めないわ」
「え、え、あ………え?」
どう話しを切り出せば良いのか分からず「殿下はもうずいぶんと長く王妃殿下を深く思っていらっしゃるようですの」と頷いたグローリアに「深く思う?それはそうでしょう、義姉だし家族だし?」とモニカが首をかしげて返し、そこに「ひとりの男性として愛していらっしゃるようなのです。もうずっと、深く、長く」とグローリアが背を丸めて答えた結果の反応がこうだった。
モニカは眉根を寄せて目を閉じ額に手を当てて斜めになり、サリーは絶句して手に持っていた焼き菓子をテーブルにぽとりと落とし、ドロシアは無表情のままで停止した。瞬きすらしないが息はしていると思う。
「ええ、わたくしも聞いてすぐには頭が追いつきませんでしたもの」
グローリアが肩を落としたまま苦く笑うとモニカが大きなため息を吐き、体を真っ直ぐに戻すと半目を開いた。眉根はひそめたままだ。
「そうね、実はちょっと思ったことはあるのよ。お兄様にはずっとお好きな方がいて、叶わない恋だからあえてあのような振る舞いで誤魔化しているのかしら…って。でもまさか、王妃殿下って………」
頭痛がするとばかりにモニカは眉間を揉んでいる。我に返ったドロシアがテーブルに転がった焼き菓子をそっと横に避けた。サリーはまだ衝撃から立ち直れないようで「は?え?」と何度も呟きながら視線を彷徨わせている。
「モニカも何となくは気づいていらしたのね?」
「気づいてたって程じゃないわ。まあ、せいぜい妃にできない身分…それこそ平民か何かに長い付き合いの女性がいるのかしら?くらいよ。それも確証があったわけなじゃくてお兄様のあの奔放な女性関係の噂を考えたときにその辺が妥当な正解かしら?って思ったことがある程度よ。それも違いそうだってすぐに忘れたけれど」
首をゆるゆると力なく横に振るモニカにドロシアが頷いた。
「そういう噂も確かにございますよ」
「まあ、そうでしたの……」
グローリアが知る以外にも様々な形の噂話があるらしい。どれも実しやかに囁かれるがどれも真実では無いということだ。一部の艶話は事実だろうが、それは隠れ蓑なのか、叶わぬ思いへの王弟殿下なりの区切りの付け方なのか、それとも自暴自棄になった結果なのか。今のグローリアにそれを知る術はない。
「それにしたって、王妃殿下ね………」
鼻で笑うように呟くと、モニカが彼の人と同じ若草の瞳を片手で覆いため息を吐いた。
「はぁ…ふふふ、良かったわ、わたくしお兄様の妃にならなくて。重ねられたり比べられたり……そんなの、本当に御免こうむりたいもの」
「モニカ……」
抑えたような声で言い、モニカはふるふると首を横に振る。大きなため息をひとつ、皮肉気に歪められた口元がきゅっと、引き結ばれた。
「でも、そうね……きっとそれが一番の原因ね、お兄様がわたくしを徹底的に義姪として扱ったのは。…そういう意味では、とても、誠実なのだわ…」
重ねて身代わりにする道もあったのだ。何も知らせず気づかせず伴侶として迎え、モニカに愛しい人の面影を重ねて生きる道もあったはずなのだ。
髪の色こそ違うがモニカと王妃殿下はとても良く似ている。瞳の色や顔立ちはもちろん、声も、仕草も、間違いのない血のつながりを感じるほどに良く似通っているのだ。性格に違いは感じるが、それでも周囲を明るくする笑顔も、可憐な見た目に似合わぬお転婆ぶりも、どちらを見てもお互いを彷彿とさせるようなそんな似通った空気がある。
だが王弟殿下はそれをしなかった。重ねると分かっていたからこそきっと線を引き続けたのだろう。モニカ自身を大切にするために。
ちくりと、グローリアの胸が痛んだ。あの日、王弟殿下が学園のグローリアたちの教室に現れた日、モニカがグローリアを羨ましくて妬ましいと言ったのはこんな気持ちだったのだろうか。それがどんな形であれ、特別であるということがこんなにも羨ましい。そうしてそんな風に思ってしまう自分が情けなくて浅ましくて、グローリアは泣きそうになり唇を噛みしめた。
またも大きなため息をついたモニカに「モニカ様…」とサリーが心配そうに視線を向けた。まだ立ち直り切れていないのか膝の上に置かれたサリーの手が小刻みに震えている。
サリーは一度視線を下に向けると何かに気が付いたように目を丸く見開き、そうしてぱっとグローリアを見た。
「あ、あの、グローリア様……」
「なんですの?サリー」
おずおずと声を掛けたサリーにグローリアは口角を上げて答えた。自分の浅ましい心など、友人たちには決して知られたくない。
「あの、先ほどグローリア様は次のお誘いが来たって仰っていたんですけど……それって、いつなんですか?」
「それがね、明後日なの」
「えええ!!あ、明後日ですか!?」
「ねえちょっと、大丈夫なの?会えるの?あなた」
ひっ!とサリーが両頬を手で抑えて文字通り震えあがった。モニカも先ほどまでの感傷など吹き飛んだとばかりにぎょっとした顔でグローリアの腕を掴んだ。ドロシアだけは予測がついていたのかゆっくりとひとつ瞬いただけだった。
「ええ、さすがにそれまでに自分で自分を立て直すのが無理だと思いましたので急にお呼び立てしてしまったのですわ……ごめんなさいね」
困ったように笑い俯いたグローリアにモニカが呆れたように肩を竦めた。
「謝らなくて良いわよ。あなたたちだってわたくしの急な呼び出しに当たり前に応えてくれたじゃない。お互い様よ」
「そうです!!辛いときは呼んでもらえる方がずっとずっと嬉しいです!!」
「いつでもお呼びください」
「ふふ、ありがとう……嬉しいわ」
口々にいつでも呼べと言ってくれる友の声にグローリアはまた泣きそうになる。今度の涙は先ほどの苦い涙ではない。甘く温かな涙だ。目の奥の熱をゆっくりとした瞬きで抑え込むと、グローリアはにっこりと笑ったつもりで結局泣き笑いになってしまった。
そんなグローリアを見る三人の目はとても優しい。やはり目はとても如実に思いを語ると思う。グローリアが大切な人たちに向ける目も、こんな風に温もりと優しさを湛えていれば良いとグローリアは願った。




