91.心を占める
次のお誘いのカードを持った使者がイーグルトン公爵邸を訪ったのは王宮へ行った二日後のことだった。その更に二日後は空いているかとのことだったので、グローリアは午後の茶の時間に伺いますと了承した。思ったよりも早いお誘いに「え、もうですの!?」と使者の前で目を丸くしたのは許して欲しい。
嬉しいような困ったような何とも言えない気持ちで使者を見送りグローリアが部屋に戻ろうか庭園の散歩をしようかと迷っていると、共に見送った母がグローリアを茶に誘ったためふたりでサンルームへと向かった。
この時期のサンルームは一般的には少々暑いのだが、噴水と水の流れを作ってあるのでイーグルトン公爵邸のサンルームはそれなりに気持ちよく保たれている。
「グローリア…あなた、良いの?」
唐突に言った母にグローリアは小首を傾げた。
「お母さまの意図するところにもよりますわ」
「まぁ、それもそうね……」
いつもより歯切れの悪い母をいぶかしく思いつつ、グローリアはちょうど良い機会だと母に聞いてみることにした。
「お母さま」
「なあに、ジジ」
「わたくしが王弟妃を目指しますと申し上げましたら、お母さまはどうなさいますか?」
紅茶のカップを持ち上げたところだった母が一瞬ぴたりと動きを止めた。すぐに何事も無かったように紅茶のカップに口を付け、それから小さくため息を吐くと言った。
「………わたくしはどうもしなくてよ。あなたの好きにやりなさい。あなたを止められる者などこの屋敷にはいるわけがないのだから」
「よろしいのですか?」
「ジジがそうしたいのでしょう?イーグルトンは何も困らないわ。そうね、男どもは困るかもしれないけどもし困っても放っておきなさい、どうとでもなるから」
「まぁ、ふふふ。さすがはお母さまですわ」
やはり母は母だったと、グローリアに良く似た母の顔を見つめながらグローリアはくすくすと笑った。
母の髪はグローリアと同じ淡い金、グローリアたちとは違う瞳は薄い青だ。兄たちもグローリアも色味や濃さは違うが瞳は紫を継いでいる。それゆえに、グローリアたちには低いとはいえ王位継承権があるのだ。同じように王家の血を継いでも紫を継がなければ継承権は無い。
しゃらしゃらとグローリアたちの後ろの水路を水が流れる音がする。夏場は水量を増やしているらしく、少し離れたところにある噴水も今日はざあざあと大きな音を立てて水を噴き出している。冬には噴水はちょろちょろと水が流れるだけになるので気温が上がってきた時期だけのお楽しみとも言える。
「ねぇジジ。本気なの?あなた………ライオネル殿下が、好きなの?」
「はい。ぎりぎりまで足掻いてみたいと思っておりますわ」
「そう…そうなのね……」
母の様子に違和感を覚える。いつもはその可憐な容姿に反して歯に衣着せぬ物言いで他者を圧倒する母が、まるで何かをためらうように、言葉を選ぶように話をしている気がする。
黙って何かを考えるように目を細めた母にグローリアは首を傾げた。
「お母さま?」
「いいえ、何でもないわ。思う存分おやりなさい。ああ、アンセルムにだけは悟られないようにね」
「アンセルムお兄様ですの?」
「あなたの邪魔はしないでしょうけれど、あの子の仕事に支障が出るわ」
「心に留めておきますわ…」
次兄はグローリアを愛してやまない。常にグローリアを最優先で考える次兄が万が一にもこのことを知れば、どういう方向へかは分からないが暴走するのは想像に容易い。慎重に動きたい今、確かに次兄に知られるのは避けるべきだろう。
またも黙ってしまった母にグローリアは不安を覚えた。やはり今日の母はおかしい。痛みを堪えるような顔でぎゅっと目を閉じた母をじっと見つめて次の言葉を待っていると、母がためらうようにグローリアを呼んだ。
「……ジジ」
「はい、お母さま」
「駄目ね、駄目よね。伝えないままでいるわけにはいかないわよね」
「お母さま?」
母が唇を噛みしめふるふると首を横に振る。ため息をひとつ吐くと何かを決心したように目を開き顔を上げ、すっと手を上げて人払いをした。そうしてふたりきりになると、母は真っ直ぐにグローリアの薄紫の瞳を見つめた。
「ジジ。今からわたくしは、聞けばあなたがこれから先とても悩むであろう、あなたに嫌われても仕方が無いほどに酷いことを言うわ」
「え、はい。何でございましょう?」
あまりに真剣な顔で言う母にグローリアはぱちぱちと目を瞬いた。これほどまでに母が真剣な、どこか悲痛な顔でグローリアと向き合ったところを見たことが無い。強く叱る時にだってこんな顔をしたことは無い。
「ジジ」
母は一度目を閉じると、深く息をひとつ吐いて再度グローリアに向き直った。
「ライオネル殿下のお心を占めている女性は、今も昔もただおひとりよ」
「は、い?」
聞こえた言葉の意味を理解するのに時間がかかった。王弟殿下の心を占めている…それはつまり、王弟殿下には愛する女性がいる、ということ。それも、とても長く。
「ジジ、聞く?このまま忘れても良いわ」
気づかわし気な母に名を呼ばれグローリアははっとした。どうも固まってしまっていたらしい。グローリアは慌てて母を見てこくりと頷いた。
「いいえ、聞きますわ。お相手は元婚約者の方では無いのですわね?」
「あなた……それ殿下から聞いたの?」
母が大きく目を見開いた。母の心底驚いたような顔にグローリアも目を丸くする。何かおかしなことを言っただろうかと視線を揺らしながらグローリアは頷いた。
「あの、はい。ほんの触りだけですが……?」
「そう……殿下はあなたに話したのね……。ならば可能性はあるのかしらね……?」
「お母さま?」
訳が分からずグローリアがいぶかしげに首をかしげると、はあああ、と母が大きなため息を吐き額に手を当てて俯いた。いまだ苦悩の滲む母の表情を見てグローリアはどんどんと不安になる。ただでさえ今聞いたばかりの新たな事実に強く痛む胸が、更にどきどきと嫌な予感に脈打った。
「…………セシリア様よ」
「は………?」
「ライオネル殿下のお心をずっと、もう二十年以上もの間捕らえてやまない女性はただおひとり、セシリア様だけよ」
ずっと聞こえていたはずの噴水と流れる水の音がぴたりと、聞こえなくなった。




