88.縁談の条件
こんこんこん、と扉を三度叩いて「グローリアですわ」と声を掛けると即座にばん!と扉が開き中から何かが飛び掛かって来た。
「グローリア!!!!!!」
「モ、モニカ!?戻りましたわ!?」
とっさに抱き留めるとモニカの艶のある飴色の髪がふわりとグローリアの頬を撫でた。
「もう、遅かったじゃない!……心配、したのよ……」
グローリアよりも小さな体がグローリアにしがみつき小刻みに震えていた。この王宮にあってグローリアの身が害されることはそうそう無い。グローリアの心をこそ、心配していてくれていたのだろう。
「大丈夫ですわ、モニカ。お部屋に入ってもよろしい?」
「もちろんよ、入ってちょうだい!すぐお茶を用意させるから」
グローリアの手をぎゅっと握るとモニカが部屋へとグローリアを導く。扉をくぐる寸前にちらりと通路の向こうへと目をやれば、本当にずっとグローリアを見守っていたのだろう、王弟殿下が微笑み、小さく片手を上げて頷いた。
ぱたりと扉が閉まりグローリアがいまだ動悸の治まらない胸を抑えつつふぅ、とため息を吐くと、モニカが悲鳴のような声を上げた。
「ちょっと真っ赤じゃないグローリア!!大丈夫!?何があったの!?」
ぱっと顔を上げるとモニカが目を見開き、サリーも両頬を抑えて立ち上がりドロシアも立ち上がりこそしないが前のめりになって腰を浮かせている。
慌ててグローリアを確かめるようにモニカがグローリアの両頬を手で包み込んだ。動悸の理由には突然モニカが飛びついてきたこともあったのだが、頬に触れられたことで再度王弟殿下の指の感触を思い出しグローリアは更に赤くなった。
モニカの表情がどんどんと険しくなっていく。
「あーもう!もっと釘をさすべきだったわ!!」
「不敬ですわよモニカ。殿下はそういう方ではありませんわ」
「そういう人でしょう!!」
グローリアの言う『そういう方』とモニカの言う『そういう人』が一致しているのかどうかは分からないが、グローリアは頬に添えられたモニカの両手に両の手を添え、確信をもって微笑んだ。
「いいえモニカ。殿下がわたくしを害することはありませんわ」
頬はまだまだ赤いままだが思いのほか落ち着いているグローリアを見てモニカも段々と落ち着いたようだ。「本当ね?」と確かめるように言うと頬から手を離し、グローリアの手を引いてソファへと導いた。
「遅くなりまして申し訳ありません」
グローリアが眉を下げて少しだけ頭を下げると、「無事で良かったよ」とベルトルトがにっと笑い、フォルカーも「ご無事ならそれで」と微笑んだ。
「わ、私、グローリア様に何かあったら、私……」
「同感だけれど落ち着いてサリー」
唇を引き結びぷるぷると体を震わせるサリーの肩をドロシアがぽんぽんと叩いている。いったいどんな覚悟をしていたのだろう、もしかしたら色々ぎりぎりだったのかもしれない。
ずいぶんと心配をかけてしまった様子にグローリアはふわふわと浮かれていた気持ちをきゅっと引き締めた。
ほどなくして湯気を上げるティーカップがグローリアの前に置かれる。ありがとう、と頷くとグローリアはカップに口を付けた。
思っていたよりも喉が渇いていたらしく、常ならば熱いなと感じる温度だったのに半分ほどを一気に飲んでしまった。喉からお腹の辺りまでが温かくなりグローリアはほぅ、と安堵の息を吐いた。
「わたくし、思うところがございまして」
「え、突然どうしたの?」
カップを音もなくソーサーに戻し居住まいを正すと、グローリアはじっとグローリアをうかがう友人たちの顔を見回し、そうして少しだけためらうように言った。
「わたくし、王弟妃を目指してみようかと思いますの……」
「え?どういうこと?」
「その……思うところがございましたのよ…」
「え!?ちょっと詳しく!!」
モニカが淑女にはあるまじき勢いでがちゃりとカップをソーサーに置きグローリアの方へ身を乗り出した。少しお茶がこぼれたソーサーとカップを回収するとベルトルトが困ったように笑いながら侍女へと手渡した。
「殿下はわたくしを愛しておいででは無いですが、憎からずは思っておられるように見えますの」
「ええ、知ってるわ。それはみんな知ってる」
「それもご存知でしたの!?わたくし先ほど気が付きましたのよ!?」
グローリアがぎょっとして皆の顔を見回すと何とも言えない顔で見返されてしまった。またも気づいていなかったのはグローリアだけなのか。
「で、ですが、殿下が公にそのような素振りをなさったことは無いはずですわ」
「そうでも無いわよ。確かに決定的なことは何もしていないけど、視線とか、そういうので何となく察せられるものよ。そこにグローリアから聞く話や諸々を考え合わせれば自ずと予測はつくわ」
「そういうものですのね……?」
グローリアが呆然とモニカを見つめると「グローリアだものね」と苦笑されてしまった。
「ねえ、本当にただ『王弟妃候補だから』ってだけでこれまでまともな縁談がグローリアに通されなかったと思う?」
「え?」
呆れたように笑うモニカに訳が分からず首をかしげると、ベルトルトがにんまりと笑って言葉を引き継いだ。
「『グローリア・イーグルトンへの縁談は十八の成人を迎えるまでは本人が望んだもの以外いっさい通さない』」
「え?何ですのそれ?」
「公表されているグローリア嬢の縁談の条件だよ。署名はイーグルトン公爵と、王弟殿下だね」
「は!?」
何だそれはとドロシアとサリーを見ると、ドロシアは眉根に少ししわを寄せ、サリーは目をまん丸に見開いて知らないとばかりに首を横に振っている。
保護者と保証人の署名があるということは公証されているということだ。だがそんな話を一切グローリアは耳にしたことが無い。
「初めて聞きましたわ、そんな話」
「わたくしもベルトとの縁談が来てから初めて知ったわよ」
「まずグローリア嬢に縁談を持ち込める相手が少ないからね、そういう相手にだけ公証の存在が知らされてるみたいだよ」




