86.寂しい
ゆっくりと回廊を執務棟の方へと歩く。並んで歩いているがここまでほぼ無言だ。
モニカたちは先にティンバーレイク公爵家の応接室へと向かっている。別れ際、モニカが「お兄様、分かってるわよね?」と再度王弟殿下に釘を刺して行った。
「………グローリア」
先を行くモニカたちの背が見えなくなったところで王弟殿下がグローリアを呼んだ。
「はい殿下、ご機嫌麗しゅう」
そういえば挨拶すらしていなかったと気づき、グローリアは歩きながら軽くスカートを摘まみ目礼した。
「おう、体調はどうだ?」
「もうだいぶ回復しましたわ。試験もございましたし、大事をとっていただけですのよ」
「そうかよ………」
回廊を抜けこのまま行くとすぐに執務棟へ入ってしまう。執務棟の回廊は多くの人が行き来するし落ち着いて話をすることもできないだろう。グローリアは手前で立ち止まり庭園へと向かう小道を指さした。庭園の奥には入らず手前の道を行けば少しだけ遠回りをして別の場所から執務棟へ入れる。
「殿下、回り道をしても?」
「ああ、それがいいな」
夕暮れ時にはまだ時間があるが、午後もずいぶん遅いため庭園は人影もまばらだがそれでもゼロではない。目撃者が多ければまた色々言われそうだが仕方が無い。あれだけ騎士棟で暴れたのだから今更だ。
「殿下」
「おう」
「お花、ありがとうございました」
この小道は背の低い花が幾何学模様を描くように周囲に植えられておりとても見通しが良い。ちょうど執務棟から眺められる庭園の中を小道が通っている形となり、声は聞こえないだろうが姿は丸見えだ。
「おう……気に入ったか?」
「ええ、どれもとても美しくて良い香りがして」
「そうか……良かった」
王妃殿下の庭園は執務棟を越えた更に先、王妃宮に入る手前の通路を奥に入った、建物を挟んで裏側にある。今グローリアたちがいる庭園とは違い一般の立ち入りは禁止であり、グローリアも王妃殿下に招かれた時にしか入ることができない。
そこの花を毎朝摘むことを許された王弟殿下は何と言って許可を取ったのだろう。聞いてみたいような聞きたくないような怖いもの見たさがある。
「侍女が本命でもないのに花を毎日贈って来るなと憤慨しておりましたわ」
「はは、そうかよ。悪かったな」
全く悪いと思っていない様子で謝る王弟殿下にグローリアは小さくため息を吐いた。正直、ずっと胸がじくじくと痛むのだ。早く逃げ出したくて仕方が無いのに、それなのにこうして共に歩くことに喜びを感じている。グローリアには自分でも自分の感情がさっぱりと分からない。
小道を半分ほど来たところで王弟殿下がぴたりと足を止めた。
「なあ……執務室にはまだ来ねえのか?」
「それは……」
グローリアが王弟執務室に初めて押し掛けたのがまだたったの二か月前だ。それからひと月の間に三回も訪問し、そうしてまたひと月の時間が空いただけ。
思い返せばたったのそれだけなのに、あまりにも色々なことがあったせいかもうずっと長い間執務室に通い共に過ごしてきたような気がしてしまう。
「あいつらも、寂しがってる」
「そう、ですわね。わたくしも皆様にお会いできないのは寂しいですわ」
寂しいと、思うのだ。たった三回行っただけなのに。執務室の面々もグローリアと同じくグローリアの訪いを楽しみにしていてくれたのだと知り、じくじくと痛む胸がほんのりと温かくなる。懐かしい、恋しいとすら思う自分にグローリアは苦く笑った。
少しの沈黙に王弟殿下の顔を見ることができずじっと色とりどりの花で形作られた幾何学模様を眺めていると、王弟殿下がぽつりと呟いた。
「……なぁ、聞かねえのか」
「何をでございましょう?」
「俺は寂しがってねえのか、って」
グローリアの眉根にぴくりと一瞬しわがよった。王弟殿下はどんなつもりでそれをグローリアに言うのだろう。グローリアに何と言って欲しいのだろう。痛む胸が更にぎゅっと締め付けられ、瞼の裏が熱くなりそうになるがグローリアは目を閉じることで誤魔化した。
王弟殿下を見上げると、グローリアは淡く微笑んだ。きっとうまく笑えている。
「聞く意味がございませんわ」
「意味がない?」
「はい」
グローリアの胸がじくりじくりと膿んだように熱を持って痛む。
グローリアはいったいどんな顔をして聞けばいいのだ。グローリアでは駄目だと、無理だとグローリアを拒絶する王弟殿下に、どんな顔で寂しいかなど聞けばいいのだ。寂しいと言われても、平気だと言われても、グローリアの胸が更に痛むだけではないか。なのに……。
――――なぜ、殿下がそんな顔をなさるの。
まるで捨てられた子犬のような、置いて行かれた子供のような、何とも頼りなく切なげな顔で王弟殿下は「そう、か」と呟いた。
何が正解なのかが分からない。いや、分かる気はするのだ。けれどグローリアにはまだその正解の振る舞いはできない。今のグローリアにはまだ、時間も覚悟も足りない。
グローリアは微笑んだままで視線を逸らし、静かにただ「はい」とだけ答えた。
「ああ、そうですわ殿下」
吹き抜ける風が左手首のリボンを揺らし、グローリアはふと、手の中の物の存在を思い出した。
「ん?どうした?」
「こちらを」
「お……?」
グローリアの両手の平くらいの大きさの箱を両手で差し出すと、王弟殿下がじっと箱を見つめた後に片手で受け取った。そっと箱の輪郭をなぞる王弟殿下の綺麗な長い指にグローリアはなぜか居た堪れなくなり目を逸らした。
「クッキーですの。モニカたちと皆で作りましたのよ。友人のために作りましたのでついでのようなものですけれど……。リボンの刺繍も友人のお手製ですわ」
少し早口になりつつ説明すると、王弟殿下はぱっと顔を上げ、花壇を見つめるグローリアを少しだけ覗き込んだ。
「俺にか?」
「いいえ?執務室の皆様へですわ。寂しがってくださっているのならわたくしは元気だとお伝えくださいませ」
「あー……あいつらにか…」
「もちろん殿下も含みますわよ」
「そうだな、含む、よな」
王弟殿下がなぜか肩を落として小箱へとまた視線を戻した。そうしてまたグローリアを見ると「ありがとな」と優しく微笑みグローリアの頭を今日は崩さぬようそっと撫でた。
「っ!!」
グローリアの胸が泣きそうなほどの甘さで満たされ、同じくらい叫びだしそうな痛みを訴える。息が上手く吸えなくて苦しいのに、息を吐けば嗚咽が漏れてしまいそうだ。
本当に、王弟殿下はグローリアをいったいどうしたいのだろう。駄目ならば放っておいてくれれば良いものを。無理だと言うなら追って来ずに手放してくれれば良いものを。いっそのこと、あなたが好きだから触れないでと怒った方が良いのだろうか。
なぜこうも触れるのか。なぜこうも甘いのか。なぜこうも構うのか。なぜ、上手に忘れさせてくれないのか。
なんだか無性に腹が立って来たグローリアは俯いたままぎゅっと目を閉じ、いっそ思いを吐き出してしまおうと口を開き、けれどふっとひとつの可能性に気づいてそのまま大きなため息に変えた。




