83.わたくしが許さない
「グローリア様!!」
アレクシアが焦ったようにグローリアの元へと駆けてきた。常とは違う様子にセオドアと談笑していたサリーの表情が強張り、ドロシアがグローリアの前に出ようとしたが「ドロシア」と小さく呼び、頷くことでグローリアはそれを止めた。
こちらへ来ようと踏み出そうとしたサリーのことも手で制し、サリーを頼む、と思いを込めてセオドアへ視線をやると、セオドアも了承したとばかりにこくりと頷いた。
「グローリア様……もう、来て下さらないのかと……!」
グローリアから四歩の位置で止まったアレクシアの顔にいつもの優美な笑みは無い。眉尻を下げじっとグローリアを見るアレクシアの目にあるのは焦燥とほんの少しの不安、それと強い安堵だ。
「ごきげんよう、アレク卿」
グローリアが先に挨拶をすると、はっとしたように目を見開きアレクシアがベルトルトの方へ体を向け深く腰を折った。今、この場で最も高位なのはベルトルトだ。
「第一騎士団所属、アレクシア・ガードナーがご挨拶を申し上げます」
「うん、久しいね、アレク卿」
ベルトルトが静かに頷いた。微笑みながらもベルトルトは少しだけグローリアの方へと歩を進め、微笑に押し隠してはいるが顔を少し険しくしてグローリアの側へ行こうとしていたモニカの手を取り小さく頷いた。
ベルトルトはグローリアにも視線で「大丈夫か?」と問うてきたのでグローリアも「大丈夫」と小さく頷いた。
「グローリア様、お加減はもうよろしいのですか?」
「ええ、この通りですわ、お気遣いありがとう」
アレクシアたちとのやり取りのすぐあとに倒れたのだ。アレクシアとすれば気が気では無かったのだろう。アレクシアは唇を噛みしめ痛みを堪えるような顔で「良かった…」と呟いた。
あの後、アレクシアとレナーテがどのような報告をしてどうなったのかをグローリアはあえて聞かなかった。数日後、父がひと言「聞くか?」と言ったため「必要ありませんわ」と答えただけだ。これから先も聞くつもりは無い。
「グローリア様」
アレクシアが姿勢を正すと手を胸に当てて深く礼をした。
「愚かな私に今一度、謝罪する機会を与えてはいただけませんでしょうか」
モニカが首を横にふるふると振っている。聞かなくてもいい、ということだろう。ドロシアもサリーも、もちろんベルトルトもフォルカーも良い顔はしていない。
「……許しましょう」
それでもグローリアは聞くことを選んだ。アレクシアの二度の行動は確かに目に余るものではあったが、グローリアがアレクシアに憧れる気持ちはなおも失われないし、アレクシアがグローリアに謝罪したい気持ちにも嘘はないように思える。何より、グローリアにとってもアレクシアにとってもこのままであってはいけないと思うのだ。
「ありがとうございます」
「お部屋を準備した方がよろしくて?」
「いいえ、お許し願えるのでしたらこちらで。自らの戒めのために」
「そう……許すわ。顔を上げてちょうだい」
初夏の空気を感じる今日は大変気持ちの良い天気であり、観覧席の人数も少なくない。アレクシアがグローリアを軽んじてはいないと見せるための振る舞いでもあるのだろう。口さがないものはここまでのやり取りだけでも要らぬ噂を立てるだろう。ならばここで聞いても同じことだとグローリアは頷いた。
アレクシアは顔を上げ「ありがとうございます」と頷くと真剣な顔で、胸に手を当てたままで続けた。
「まず、レナーテの件で二度もグローリア様に無礼を働くことになったこと、言い訳のしようもなく、ただ私の不心得の致すところと深くお詫び申し上げます。私は……私は、グローリア様なら許してくださると、またいつも通り笑ってくださると、甘い考えを持っておりました」
アレクシアが悔いるように唇を噛み視線を落とした。一度目をきつく閉じひとつ小さく息を吐くとグローリアを真っ直ぐに見た。
「グローリア様の優しい御心に付け込み、限度も弁えず、本来自分のやるべきを怠っただけでなくグローリア様の御心を踏みにじるに至りました。申し開きのしようもございません」
また深く頭を下げたアレクシアに、グローリアではなくベルトルトが声を掛けた。
「へえ…分かってはいるんだね?」
その声は低く硬い。いつも明るくおどけてグローリアたちをほぐしてくれる明るい声ではなく、王族の、第三王子の声だった。
「はい、面目次第もございません」
アレクシアの頭が更に下がる。あまりにも下げ過ぎては頭に血が上らないかと、モニカが聞いたら怒りだしそうなことをグローリアは考えた。
「ベルト」
言葉を続けようとしたベルトルトの腕にそっと手を添えてモニカが止めた。静かにベルトルトの目を見ると、モニカはふるふると首を横に振った。
「モニカ、出しゃばるべきでないのは理解してる。でもね」
「違うわ。わたくしに言わせて」
「おっと、そっちか」
厳しい顔でくるりとアレクシアに向き直ったモニカに苦笑するとベルトルトはモニカの手を取りエスコートするように自分の腕へと導いた。
「ねえ、アレク卿。あなた、分かっていたわよね?ここで謝ればまたグローリアは何も言わないと。あなたを強く責めることは無いと」
「いえ、それは!」
顔を上げ慌てて首を横に振るアレクシアをモニカは右手で扇を勢いよくぱしりと開いて制した。そうして鼻で笑い居丈高に言った。
「ああ、そうね。違うわよね。どこで謝ってもグローリアは何も言わないって、必ず許すって分かってたのよね」
ぐっと、アレクシアが唇を噛みしめた。その様子を見て、グローリアもまた視線を落とし自らの行いを悔いた。
これはグローリアの甘さが招いたことだ。うまく立ち回れなかったグローリアにも非がある。グローリアが皆が納得する罰を与えていればここまでモニカたちの不興を買うことは無かったはずだ。
俯くグローリアを痛ましげにちらりと見ると、モニカはアレクシアに向き直り静かな声で言った。
「分かるでしょう?グローリアは傷ついても踏みにじられてもきっと何度でも許すわ。やり直そうと努力する人間を前にすれば必ず許す。自分を律して、自分の悪かったところを探して、どれほど心が血を流してもグローリアは許して手を差し伸べ続けるわ。わたくしは、それが嫌」
モニカが唇を噛みふるふると首を横に振る。
「これ以上傷つけ続けるのなら、今度こそわたくしが許さない。――――弁えなさい」
必死で抑えつけたような声と潤む若草の瞳にモニカの怒りの深さが見える。ふと見回せば、誰もが同じような顔をしてアレクシアを見ていた。
グローリアは自分が飲みこめば良いと思っていた。自分が許しさえすればそれで良いと思っていた。だが、全然違った。
グローリアが傷つき耐えることに心を痛めてくれる人がいると頭では理解していたのだ。けれど、そのことがこれほどまでにモニカを、友人たちを傷つけていることにはまったく気が付けていなかった。
グローリアはなんと罪深いのだろう。自分のあまりの鈍さにグローリアは喉の奥が今更ながらに熱くなった。
「はい、心に刻みます」
アレクシアが再度深く腰を折った。目を閉じ何度も深く呼吸を繰り返すモニカの手をベルトルトがぽんぽんと宥めるように叩いている。モニカが「大丈夫」と頷くのを見て、ベルトルトは諭すようにアレクシアに声を掛けた。
「アレク卿、顔を上げて」
「はっ」
「今の君は貴族としても伯爵家の跡継ぎとしても、上に立つものとしても足りない。分かってるかな?」
「それは……」
アレクシアが視線を下げた。きっと思い当たる節があるのだろう。今回のことだけでなく。
「ただの騎士ならそれでも十分にやっていける。でも君は家を、東の守りのひとつを継ぐんだろう?君が伴侶を好きに選びたいなら、君が正しく貴族でなくてはいけないんだよ。よく、覚えておいてね。……これも余計なお世話だろうけど」
「いえ、御忠告痛み入ります」
胸に手を当てまたも深く腰を折ったアレクシアに、ベルトルトは「うん、頭を上げてね」と眉を下げ薄く笑った。
「グローリア、あなたは何か無いの?」
少し落ち着いたらしいモニカがグローリアを振り返った。「言ってやりなさい!」とその視線が言っている。
「ふふふ、わたくしの大切な友人たちが言いたいことはほとんど言ってくださいましたもの。特には思いつきませんわ」
「もう、お人好しね!」
本当に、グローリアが伝えるよりもずっと上手にふたりが伝えてしまったのだ。今グローリアに言えることは笑えるくらいに何もない。だからグローリアは、きっとグローリアがやるべきだろうことをやることにした。
「きっとそう、なのでしょうね。ですからアレク卿。お人好しのわたくしにあなたの仰りたかったことを聞かせてくださいまし」
「っ、グローリア様……」
きっとアレクシアにはアレクシアの言いたかったことがあるはずだ。お人好しだとモニカに怒られてもそれを聞くのはグローリアにしかできないことだ。
呆れたようにため息を吐くモニカや眉を下げる面々に「大丈夫」と微笑むと、グローリアはアレクシアに向き直った。




