81.セオドアのぬいぐるみ
あのグローリアが倒れた日以来、ほぼ一ヶ月ぶりの騎士団訪問となった。もちろん、王宮へ来たのも一ヶ月ぶりだ。思わず周囲を伺ってしまうのは誰かを探しているからか、それとも誰かに会いたくないからか。
いつもなら一番前を歩くグローリアだが、今日はモニカとベルトルトに先を歩いてもらっている。フォルカーが一番後ろだ。いざとなったらグローリアを逃がすための布陣らしい。聞いた時にはグローリアは思わず声を上げて笑ってしまった。何と過保護で、何と頼りがいのある友人たちなのだろう。
「久しぶりですね、グローリア様」
サリーも緊張したように周囲を見回している。いつも通り王宮側から入り回廊を進んでいるのだが、久しぶりのせいかこの後の目的のせいかどうにもそわそわと落ち着かない。
「ええ、そうねサリー。落ち着かないわね」
勝手知ったる庭のように闊歩していたのはほんのひと月前のはずなのに今は何だか迷子の気分だ。
「問題ございません」
サリーの反対側でドロシアが淡々と言った。淡々と言ってはいるが目がきょろきょろと周囲を見回している。少し表情が厳しいのは誰かを警戒してのことかもしれない。
「さあ、もうすぐ鍛錬場に着くわよ」
モニカが少し振り向いて言った。目前には回廊の曲がり角が見える。そこを曲がれば鍛錬場へと続く通路に出る。
「う……緊張してきました……」
「大丈夫よサリー。クッキーもリボンも完璧だもの」
胃の辺りを抑えて俯いたサリーにモニカが笑った。グローリアも「大丈夫よ」と微笑むが、もしかしたら表に出ないだけでサリーよりグローリアの方がドキドキしているかもしれない。グローリアも一緒になって胃を押さえそうになるが何とか思いとどまった。
回廊を曲がり鍛錬場が見えてくる。ぎりぎりの所で中を伺うと、アレクシアもポーリーンも、レナーテもいなかった。ほっとして奥へと目をやると奥にいるとは思えないほどはっきりと分かる巨体を見つけた。
「セオドア」
グローリアが小さく呟くと、聞こえるはずもないのにセオドアがまた顔を上げた。グローリアたちに気が付いたのか「あ!」と口が動いたように見えたが、駆けよって来ようと数歩こちらに踏み出し、そして何かに気づいたように奥へと引っ込んでしまった。
「あら、行ってしまったわね?」
「あ……」
サリーがしょんぼりと肩を落とす。
「大丈夫ですわサリー。セオドアはこちらに来ようとしましたもの。何かを思い出した感じでしたわ」
じっと観察していると、ほどなくしてセオドアが先ほどまでは持っていなかった何かの袋を抱えて奥から戻って来た。そうしてのしのしと一目散にグローリアたちの元へ駆けてくる。地面が揺れた気がしたが、さすがに視覚からくる印象のせいだろう…きっと。
そうして四歩の位置でぴたりと止まり、何かを言おうとして慌ててセオドアが騎士の礼をとった。
「あの……あ!!第三騎士団所属、セオドア・ベイカーが、ご挨拶申し上げます!」
がばりと起き上がるとセオドアがおろおろとグローリアたち六人の間に目を泳がせ、そうして覚悟を決めたようにグローリアを見ると言った。
「こ、公女様、お加減はいかがですか…?」
セオドアの眉が情けないほどに下がっている。セオドアはずっと心配してくれていたのだろう。恐らく、グローリアの心の傷の方を。
「大丈夫よセオドア。まだ痛むけれど大丈夫。ありがとう」
グローリアは小さく頷き微笑んだ。今でも胸はしくしくと痛み時に喉にせりあがるものはあるけれど、それでももう何もないときにひとりで涙を流すことも無くなった。少しずつでもグローリアはちゃんと前に進めている。
セオドアは心底ほっとしたようにつぶらな瞳を細めて「良かった…」と呟くと、はっとしてレザーの鍛錬用の手袋を外してポケットにしまい、抱えていた袋から何かを取り出した。
「あの、これ、よろしければ…」
そう言っておずおずとグローリアに差し出した大きな手の中にあったのは、小さな小さなぬいぐるみ。セオドアの手にすっぽりと納まった、お腹に四つ葉のクローバーの刺繍のある紫色の…テディ・フロッグだった。
「これは……」
グローリアは迷わず手を伸ばしテディ・フロッグを受け取った。セオドアの片手に綺麗におさまっていたその子は、グローリアには両手の大きさだ。両手を揃え、包み込むように持ち、グローリアはテディ・フロッグと見つめ合った。
瞼が熱くなり、何かが喉元にせり上がったがグローリアは何とかごくりと飲み込んだ。
「ねえ、セオドア。なぜ蛙なの?」
今にも泣いてしまいそうな自分を誤魔化すようにグローリアは言った。本当になぜ蛙なのだろう。グローリアは十六歳の淑女で、公爵令嬢なのに。なぜ。
「え、あ、あの、すす、すいません!あの、この子が、良い気がししし、したんです…」
あわあわと大きな体を揺らしながらセオドアが「ほほほ、他にも!あるんです!」と言いながら袋を探り出す。何かを取り出そうとしたセオドアをグローリアは自分で思うよりも大きな声で制止した。
「良いのよ!」
ドロシアとサリーが息を飲み、モニカがじっとグローリアを見つめた。
「良いのよ、これで………いいえ。これが、良いわ」
手の中にいる紫の蛙をぎゅっと握り、そうして親指でその頭を撫でてやる。相変わらず眠たそうな目と大きな口の間抜けなその顔は、グローリアの中に燻るもやもやとした感情をゆるく溶かしてくれるようだった。
あの後、シュシュを次兄から受け取った後、色々な者からテディ・フロッグを買ってあげると何度も言われたがグローリアは頑として受け取らなかった。シュシュが、シュシュだけがグローリアの特別だったのだ。
けれども、今グローリアの手の中にいる紫色のテディ・フロッグは、間違いなくグローリアのものだとグローリアの心が叫んでいる。
「よよ、良かった…」
泣いてしまうのではないかと思うほど優しい顔でセオドアが笑った。そうして、いそいそと袋からもう三つぬいぐるみを出すと「よ、よろしければ、どうぞ!」とドロシアとサリーにひとつずつ渡した。モニカにも、ベルトルトによろしいですか?と確認をしてから渡している。
モニカには白いテディ・キャット、ドロシアには灰色のテディ・ラビット。サリーには茶色のテディ・ベアだ。もちろんお腹にはお揃いの四つ葉の刺繍が入っている。
グローリアも知っている。これはラッキー・テディだ。相手の幸運を祈る時、相手の幸せを願う時に贈るぬいぐるみ。専門店にしか置いていないこのぬいぐるみを買うために、セオドアはわざわざ出向いてくれたのだろうか。この大きな体で、ぬいぐるみ専門店に。
わたわたと慌てながら周囲に怖がられぬよう体を小さくしてぬいぐるみを選ぶセオドアが目に浮かび、グローリアは泣き笑いのような顔になった。最近のグローリアは本当に涙腺が弱い。公女失格なほどに感情が抑えられないのだ。
「セオドア」
小さなぬいぐるみを手に口元を綻ばせる少女たちをにこにこと嬉しそうに見つめていたセオドアが優しい笑顔をそのままに「はい」とグローリアを振り向いた。
「許すわ。グローリアと呼びなさい」
「では私もどうぞドロシアと」
「あの、サリーと!お呼びくださいませ!ぜひ!!」
「わたくしもモニカで良くてよ、良いわよね?ベルト」
「良いよもちろん。俺たちは駄目なのがむしろ寂しいね」
ベルトルトが唇を尖らせて肩を竦めた。隣国の王族であるベルトルトが他国の騎士に名を許すのはとても難しい。それは従者であるフォルカーも変わらない。フォルカーも口を尖らせるベルトルトに苦笑しつつも「残念です」と頷いた。
「あああ、あの!ありがとうございます!グローリア様、モニカ様、ドロシア様、サリー様!」
驚いたように目を見開き、それからセオドアがとても嬉しそうににっこりと笑った。テディ・ベアを思わせるような、愛らしくて人を安心させる笑顔だった。




