80.お揃いのリボン
「できたわね!」
「綺麗に焼けて良かったですね」
「ええ、あとは冷めたら包むだけですわね」
ランチボックスに詰められていた肉多めのローストビーフサンドとフルーツサンドをユーニスが淹れてくれた紅茶と共にいただき、すでに焼き上がり冷まされていた大量のクッキーを皆で感慨深く眺めた。
焼き上がったと聞いたとたんにモニカが瞳を輝かせて食べている途中に見に行こうとしたが、さすがにそれはグローリアが止めた。ベルトルトはまるで子猫を見るような目で微笑ましくモニカを見つめていたが。
「あ!あの!!」
どのように分けて包もうかと相談していると、サリーが声を上げた。手には、それなりの大きさの巾着を持っている。
「どうしたのサリー?」
モニカが首をかしげると、サリーは巾着を開き中から一本のリボンを取り出した。
「あの、私、リボンに刺繍をしてきたんです」
「え、リボンに?」
「はい!あの、もしかしたら皆様それぞれで渡したい人に包むかなって……これなんですけど……」
取り出したリボンをモニカに渡す。受け取りじっくりと眺めたモニカがほぅ、とため息を吐いた。
「まぁ……美しいわ、サリー……」
「こんなものではあの、皆様へのお礼にもならないんですけど……」
サリーが照れくさそうに微笑み、そして巾着の中のリボンを取り出すと包装用の包みの横に一本ずつ揃えて全てをそっと置いた。ひとつのリボンにつき一色での刺繍だが、よく見るとそれぞれの柄が違う。十本以上あるように見えるのだが、いったいいつの間に用意したのだろう。
「何を言うのよ!こんな素敵な物をこんなに沢山…どうしましょう、わたくしちょっと泣きそうよ」
「相変わらずすごいよね。これ、誰かにあげちゃうのがもったいないよね」
モニカとベルトルトはサリーの一番のファンを自称している。これ、包みに使っちゃうのか…とベルトルトが唸っている。
「ええ!?そんなそんな!!それほど凝った模様でもありませんし、これくらいならいつでも!!」
「サリーったらもう……でもそうね、これほどの物、渡す相手を選んでしまうわね……」
モニカもリボンを手に、じっとりと眺めている。きっとサリーからすれば本当に何ということも無い刺繍なのだろう。けれども今日のために少しずつ用意してくれたその気持ちが嬉しいのだ。もちろん、主となるのはセオドアのためなのだが。
唸るモニカとベルトルトにグローリアはふといたずら心を起こした。
「モニカ、手を出してくださいませ」
「え?何?」
差し出されたモニカの左手首に、グローリアは一本リボンを取るときゅっと、リボン結びにして結んだ。
「あら……!」
モニカの若草の目が大きく見開かれ、そしてぱっとリボンを一本取ると手を差し出した。
「ちょっとベルト、手!」
「あはは、うん、モニカ」
差し出されたベルトルトの左手首にモニカがリボンを結ぶ。それを目の高さに掲げて目を細めると、今度はベルトルトがリボンを一本取った。
「俺はフォルカーだな、手」
「はい」
フォルカーもまた左手を差し出す。ベルトルトが結んでみるも縦になってしまい、笑うモニカに教えられつつ二度目は綺麗なリボン結びになった。
「ではドロシア嬢、手を」
頷いたドロシアが左手を出すとフォルカーがドロシアの肌に触れないよう実に器用にリボン結びをした。
「サリー」
「え!あ!?」
呆然と結ばれていくリボンを見つめていたサリーにドロシアが声を掛けると、はっとしたようにサリーが左手を出した。綺麗に結ばれたリボンを見るとサリーもリボンを一本取り、グローリアに向き直った。
「……あの、グローリア様!!」
「ふふ、お願いね」
グローリアも微笑んで左手を出す。サリーが震える手で、けれどとても綺麗なリボン結びを結んでくれた。
「良いわね!みんなでお揃いだわ!!」
モニカが目をきらきらと輝かせて腕のリボンを眺めている。ゆるゆると手首を回すと、それに合わせてリボンも一緒にひらひらと揺れている。
「ありがとうございます、サリー嬢」
フォルカーが手首を上げてサリーに優しい目で微笑んだ。いつもより笑みが深いのはきっと気のせいでは無いだろう。
「いえ、いえ、私こそ、ありがとうございます!!」
思いがけない出来事にサリーも頬を上気させ、頭上に掲げて手首のリボンを揺らして眺めている。グローリアも左手を上に掲げてリボンを揺らしてみた。ひらりひらりと揺れるリボンに、グローリアの胸が不思議と熱くなる。
何となく、思い付きのいたずらでやったことだったが、こうして皆の手首に結ばれているのを見るとまるで確かな縁が結ばれたようでくすぐったくも嬉しくなる。
「これで怖くないですわね、サリー」
「はい!!私、きっと笑顔で渡せます!!」
満面の笑みで返してくれたサリーに誰もが優しい目を向けた。
今ならグローリアもまっすぐにアレクシアの顔を見ることができるだろうか。今なら王弟殿下に微笑むことができるだろうか。考えるとまだまだ胸は苦しくなるけれど、今ならきっとできる気がした。
グローリアがぼんやりとリボンを見つめていると、モニカの明るい声が思考を遮った。
「さあ、急いで包みましょう!!包んで渡すところまでが今日の目標よ!!」
「そうですわね、ぜひ、笑顔で渡しに参りましょう」
まずはセオドアへ贈るクッキーを包んでいく。こっちの方が綺麗だ、いやこっちの方が形が良い、そんなことを話しながら皆で選んでいく。もちろん、最終決定権はサリーにあるが。
皆で選んだクッキーを割れないように丁寧に箱に詰めるとサリーお手製のリボンで結ぶ。美しい包みにグローリアの心まで踊るようだ。
「良いですね、セオドア卿もきっと喜びますよ」
「はい!頑張って渡します!!」
普段は見守っていることの多いフォルカーも嬉しそうに頷いた。フォルカーには妹がいて少しサリーに似ているらしく、サリーを見ていると妹を思い出すらしい。兄ができたようで嬉しいと、一人っ子のサリーもまた嬉しそうに笑っていた。
「完璧ね!じゃああとは各自、渡したい相手の分を包むわよ!」
皆が思い思いにクッキーを詰めていく。モニカは弟妹に、ベルトルトは何とティンバーレイク公爵夫妻に包むらしい。フォルカーはふたりが包むのを手伝っている。サリーはご両親へ、ドロシアもまた家族へと大きな包みを作っている。
「あらグローリア、包まないの?」
「わたくしは特に渡したい方がおりませんのよ。余りましたら当家の午後のお茶でいただきますわ」
グローリアがにこりと笑うと「あらそう?」とモニカがほんの少し視線を泳がせた。
「そうね、グローリアは普段も作っているのだものね!では遠慮なくいただいてしまうわよ?」
「ええ、ぜひに。料理長もトバイアスも喜びますわ」
にこりと笑ったモニカがまたひとつ、ひとつとクッキーを選んで入れていく。
本当は渡したい相手がいないわけでは無い。王弟執務室の面々に差し入れたらきっと喜んでくれるだろう。だが包んでも、グローリアには持って行くだけの勇気が持てないのだ。
楽しそうに包んでいる皆を眺めつつ少し寂しい気持ちで後ろ手に手を握ると、サリーのリボンに指が触れた。
――――駄目ね、わたくしも前に進むのよ。
グローリアは小ぶりな箱を選ぶと残っていたクッキーをひとつひとつ丁寧に詰め込んだ。渡せるかどうかは分からない。けれど、持って行かない理由にはならないと思い直した。いざとなればベンジャミンを呼んでもらって渡すのも良い。
少し難しい顔でクッキーを詰めていると、包み終わったモニカがグローリアの横に並んだ。はっと顔を上げるとモニカが泣きそうな笑顔でグローリアを見ていた。目を見開いたグローリアの手を握りモニカが頷く。
「大丈夫よ。一緒にいるわ」
「ええ。ありがとう、モニカ」
反対側にも気配を感じて振り向くとドロシアがリボンを手渡してくれる。
「ドロシア、ありがとう」
箱を閉め、丁寧にリボンを掛ける。そっと箱を撫でて顔を上げるとサリーと目が合った。にっこりと、両頬にえくぼを浮かべてサリーが笑う。
「一緒に頑張りましょう、グローリア様!」
「ええ、そうね。頑張ってみるわ、わたくしも」
グローリアが頷くと、フォルカーが籠を差し出してくれる。グローリアが箱をそっと籠に入れると、ベルトルトもにっと笑って頷いた。
「今日の目標が増えましたね」
「よし!みんなで王宮襲撃だね!」
「ちょっとベルト、言い方が不穏よ!!」
おどけたベルトルトにモニカが呆れたように笑った。明るい笑い声にグローリアの心も少しだけ軽くなる。
「さあ、行きましょうか!」
ぱちりと手を打ったモニカの腕でリボンが揺れた。
今からグローリアは王宮へ行く。たとえ渡せなかったとしてもきっと大きな一歩となるはずだ。
グローリアは緊張したようにきゅっと唇を引き結んだサリーの手を握り、グローリアもサリーもきっと大丈夫だと思いを込めてにっこりと微笑んだ。




