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8.若草色の公女 1

「よし。でだ、グローリア。お前に無礼を働いたやつはどこのどいつだ?」


 にこりと、とても良い笑顔で再度聞く王弟殿下に、グローリアは静かに首を横に振った。


「いいえ、おりません。ただの行き違いです」

「そうか?お前がそう言うならそれでも良いが………本当に良いんだな?恐らくこれが、最後になるぞ」


 最後になる。その言葉にまた若草色が脳裏をよぎった。けれども、何も事情を聞かされていないグローリアに言えることは何もない。小さな嫌がらせや噂話に興じていたものたちまで名を上げて行けばきりも無い。その辺りは父も兄たちも王宮でさえも動いている今、追々明らかになっていくこともあるのだろう。


「まぁ、そうだな。ある意味ちょうど良かったのかもな。お前にも()()が見えただろう?」


 にやりと笑う王弟殿下に、グローリアはゆっくりと瞬きをすると頷いた。


「ええ、そのようですわ」


 そうして左右のドロシアとサリーを見ると、ドロシアは少しだけ目を細めて微かに口角を上げて頷き、サリーは「グローリア様」とそれはそれは嬉しそうに笑った。


「殿下」


 ふたりの笑みを受けてグローリアは正面を向き直ると、姿勢を正した。ふたりの優しい視線を左右に感じ、正面では濃紫の瞳が同じように優しくグローリアを見つめている。あの茶会の日以来、グローリアは久方ぶりに心から微笑んだ。


「ありがとう、ございました」


 王弟殿下はその日、グローリアを助けに来たのだろう。王位継承権もある公女グローリアを軽んじたものに制裁を…という体裁で、王弟殿下とグローリアの間にわだかまりはなくグローリアに関する噂は事実無根であるということを周りに示すためだけに。サリーを思えば少々遅いとは思ったが、それでもグローリアは嬉しかった。


 あの茶会の帰り道、馬車の中でグローリアは母に聞いたのだ。あの時、母に色目を使う前に王弟殿下は何を呟いたのか、と。母は少し目を瞠り、そうして笑って答えてくれた。


「あらジジ、気が付いていたのね?あの時殿下は『すまない、巻き込む』と囁かれたのよ」


 わざとだったのだと、グローリアは知った。そして王弟殿下があの場であんなことをした理由を、グローリアにはひとつしか思いつけなかった。あの時もまたグローリアは王弟殿下に守られていたのだ、やり方は決して良かったとは言えないが。


「うん?何がだ?………まあいいや、グローリア―――」


 王弟殿下が何かを言おうと口を開いたところ、ばたばたと廊下を走る音がして少し乱暴にばたんっと教室の扉が開いた。


「お兄様!!!」


 入って来たのは若草色の瞳の小柄な少女。二学年棟から走って来たのか艶やかな栗色の髪は乱れ随分と息が上がっている。普段のティンバーレイク公女からは考えられないほどの様子に教室がざわめいた。


「お兄様っ、わたくし…っ」

「そこまでだ、モニカ」


 王弟殿下に駆け寄り何かを言おうとしたティンバーレイク公女を王弟殿下が静かに遮った。ティンバーレイク公女を見る王弟殿下の顔からは先ほどまでの穏やかな笑みは消え、静かに凪いだ濃紫の目からは感情が全く読めなかった。


「モニカ。俺から言えることは何もない」

「ですが、わたくしは…!」


 なおも言い募るティンバーレイク公女に、王弟殿下はすっと大きな手のひらを向けて遮った。


「可愛い義姪で居てくれ………頼むから、俺を失望させてくれるな」


 静かに言い放った王弟殿下に、ティンバーレイク公女ははくはくと溺れたように口を動かし、そうしてひと言「おにいさま…」と小さく呟いて若草の瞳からひと粒、涙をこぼした。


「ではな、俺は行く」


 その涙をぬぐってやることも無く、王弟殿下は椅子から立ち上がると扉へと向かった。扉をくぐる前に足を止め振り向くと、どこか悲しそうに、それでいて見惚れるほど鮮やかに、王弟殿下は笑った。


「ふたりとも、良い女になれよ」


 そうして王弟殿下が教室を去った後も、まるで魅了されたように誰もがしばらく動けなかった。


「………お使いになって」


 ぼんやりと涙を流し続けるティンバーレイク公女に、グローリアは静かに声を掛けた。差し出された絹のハンカチに目を向けると、ティンバーレイク公女は皮肉気に顔を歪め笑った。


「笑っても、良いのよ?」


「笑うところなどございましたか?」


 グローリアがにこりともせずに返すと、ティンバーレイク公女はハンカチを受け取り「ありがとう」と静かに頬を拭った。


「では、怒っても良いのよ」


 かたりと、先ほどまで王弟殿下の座っていた椅子をグローリアの方へ向けると、ティンバーレイク公女はデスクを挟んでグローリアの真正面に座り、じっとグローリアの目を見つめた。

 やはりなと、グローリアは思った。誰もがただの噂で済ませずに信じた理由。それはあの日、あの場に居た当事者であるティンバーレイク公女の言葉だったからだ。ティンバーレイク公女の言葉だったからこそ周囲も公女であるグローリアを貶めることができた。虎の威を借る狐とはよく言ったものだと思う。


「そこは否定いたしません」


 それでもグローリアがティンバーレイク公女に対して声を荒げないのは、ひとつの確信があったからだ。


「ですが、本意ではございませんでしたでしょう?」


 グローリアを見つめる濡れた若草の瞳を、グローリアも真っ直ぐに見返した。恐らくティンバーレイク公女がしたのは、あの日の出来事をほんの少しだけ大げさに話した程度だろう。常ならば、そんなこともあったのかとしばらくすれば忘れられてしまう程度の、ほんの些細な、意地悪とすら言えぬほどの可愛らしい悪意。それがこれほどまでに大きくなったのは………。


「気づいて、いらしたのね…」

「はい、周囲を諫めるお姿を何度かお見掛けしましたから」


 ティンバーレイク公女が目を見開き、「そうだったの」と若草の瞳を伏せて悲しそうに眉を下げた。どんどんと大きくなっていく噂に、悪意のある囁きに、ティンバーレイク公女は何度も割って入り声を上げてくれていた。不確かなことを言うべきではないと、自分はそのようなことをされた覚えはないと。

 けれども、ティンバーレイク公女が止めれば止めるほど周囲が勝手な解釈をした。お優しいティンバーレイク公女が容姿ばかり美しい棘と毒のある花を庇っているのだろうと。本当は悪意に心を痛めているのだ、自分たちが何とかしてさしあげねば、と。

 その度にティンバーレイク公女の顔が苦痛に歪められるのを、グローリアは何度も目にしていたのだ。


「わたくしは、ティンバーレイク様を咎める言葉を持ちませんわ」


 ゆえに、グローリアが怒りを向けているのはティンバーレイク公女ではない。大義名分を得たとばかりに悪意を増幅させ関係も無いのに騒ぎ立てた者たちと、悪意を持って実力行使をした者たち。そうして、その者たちを後ろで煽って嘲笑っていた者こそに、グローリアは怒っていた。ティンバーレイク公女もまた、グローリアから見れば被害者なのだ。


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