79.熊の型抜き
その後、ちょうど紅茶を一杯飲み切る頃にユーニスが厨房の準備ができたと迎えに来てくれた。皆を伴って厨房へ行けばあれほど沢山置いてあった焼き菓子が綺麗に跡形もなく無くなっている。グローリアが思わず視線だけで辺りを見回すと、ユーニスが「手の空いたもので別室で包んでおりますよ」と教えてくれた。
グローリアが料理長を紹介するとモニカが目を輝かせた。
「あらまあ!あなたがそうなのね!?あの素敵な焼き菓子があなたから……」
「お褒めに預かり光栄でございます公女様。料理長のハリスでございます。確かにわたくしめが料理長ではございますが、焼き菓子やデザートはこちらにおりますトバイアスを中心に作成しております。本日もわたくしめとこちらのトバイアスでお嬢様方のお手伝いをさせていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます」
深々と腰を折った料理長にトバイアスも続く。実はグローリアの悩みを聞き塩味の焼き菓子を考案してくれたのはこのトバイアスだった。今ではバザーに出す菓子でも定番になっている。
「よろしくお願いします!」
「よろしく、楽しみにしてるね」
目をきらきらさせながらふたりを見る友人たちにグローリアは嬉しくなった。グローリアにはイーグルトンは少し変わっているという自覚がある。この厨房に皆を連れてきても気を悪くしないだろうかと本当は少し怖かったのだ。
麗しい令嬢令息に見つめられ照れくさそうに、けれど嬉しそうにする料理人ふたりの様子にもグローリアはほっとした。
「ねえこれ、どれくらい作れば良いのかしら!?」
「騎士団への通常の差し入れ分はすでに当家で焼き終わっておりますわ。セオドアへ渡す分とわたくしたちで食べる分でしょうか?」
「あの、父と母にもお土産にしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「あら良いわね!!わたくしも家のみんなに持ち帰りたいわ!!ドロシアはどう?」
「もしもよろしいのでしたらぜひ、当家にも」
「では焼けるだけ焼きましょう。よろしいかしら料理長?」
「はい、お任せくださいませ」
服が汚れぬよう皆にエプロンを配りお菓子作り開始だ。サリーとモニカ、ベルトルトはお菓子作りは今日が初めてということで見栄えがするが失敗の少ない、たとえ失敗をしてもすぐに作り直せる型抜きクッキーを作ることになった。
「驚きましたわフォルカー様、手際がとてもよろしいのね?」
グローリアでは抱えきれないほど大きなボウルに入った室温に戻したバターと砂糖をフォルカーが手際よく混ぜ合わせていく。グローリアのものよりもずっと大きなボウルで混ぜているのに倍の速度で白くなり、慌ててグローリアはフォルカーのボウルに卵黄を入れた。またフォルカーが手早くカシャカシャと混ぜていく。
「私の家は武門なもので。どんな状況でも生き抜けるようにある程度のことは仕込まれておりますよ」
「そうでしたのね……あら?お菓子作りは生き抜くのに必要ですの…?」
グローリアが首をかしげる間にフォルカーは卵黄もあっさりと混ぜ終わってしまい、グローリアはまた慌てて薄力粉をフォルカーのボウルにふるい入れた。グローリアのボウルは笑顔の料理長にそっと回収されてしまった。
「こちらの型抜きもどうぞお使いください」
トバイアスが並べた型抜きを見てモニカが歓声を上げた。事前にトバイアスが混ぜ合わせて寝かせていた生地が薄く延ばされた状態でモニカとベルトルトの前に置かれている。
フォルカーが一度目に混ぜたものは冷暗所で休ませているところであり、今フォルカーのボウルで混ぜ合わされている生地はすでに二度目の生地だ。本当に手早い。
「まぁ、可愛いわ!わたくし、この猫の型が良いわ!」
「あの、こちらのココアの生地は熊の型でも良いでしょうか…?」
サリーがココア入りの生地を台に置き綿棒でころころと伸ばしている。全体を均等な厚さに整えるのは中々コツがいるのだが、さすがに器用なサリーはすぐにコツを掴んでしまった。そんなサリーの視線の先にあるのはもちろん、お座りをしたテディ・ベアの形の型抜きだ。
「あらサリー。あなたの焼き菓子よ?あなたが選ばなくっちゃ。そうね、ふふふ、熊よね?」
「えっと、あの、はい!く、熊が…良いなと……」
「ふふふ、素敵ですわサリー」
モニカとグローリアがにんまりと笑う。真っ赤になりつつもはにかみながら頷くサリーはとても可愛いと、モニカとグローリアは顔を見合わせて淑女らしく控えめに悶えた。
「俺これが良い!」
「まぁハートなの?」
フォルカーが小ぶりのハートの型抜きを選ぶとぽんぽんと四つのハートを型で抜いた。
「こうして四つ並べると四つ葉になるだろう?モニカの瞳の色と一緒だ。生地は白いけど」
「ほうれん草のペーストを少し混ぜ込んだ生地をお作りいたしましょう。綺麗な緑になりますよ」
「あ、それが良い!頼むよ」
「もう、ベルトったら!」
恥ずかしそうに拗ねるように唇を尖らせつつも頬を染め嬉しそうにするモニカに、今度はグローリアとサリーが目を見合わせて笑った。グローリアの胸はどうしてもちくりとするけれど、それよりも楽しい気持ちが勝る。
「ではほうれん草をペーストにいたしましょう」と大変微笑ましそうに料理長も優しい目で笑った。「いいなぁ」と呟いたトバイアスは現在、恋人募集中だと侍女たちから小耳に挟んだ記憶がある。
「ナッツ、刻み終わりました」
「え、もうですの?ドロシアも手際がとてもよろしいのね?」
次の生地にはナッツを練り込もうとドロシアに頼んだのだが、ほどなくして見事に細かく刻まれたナッツがすっとグローリアの前に差し出された。フォルカーも驚いたように少し目を見開いている。
「当家も生き抜く術は叩きこまれておりますので」
「お菓子作りもなのね…?」
「いえ、どちらかというと刃物の扱いでしょうか」
「そう……なのね?」
ほんのりと口角を上げ軽く一礼したドロシアにグローリアは笑うしかない。
グローリアも公女という立場上何があっても生き抜けるように幼い頃から護身術やそれなりのことは仕込まれているが、剣などの刃物は扱わせてもらえない。これはグローリアも剣を習わせてもらうべきかもしれないと、父に頼み込むことを密かに決めた。
その後、寝かせていた生地を伸ばしては型で抜き、数が揃ったものからオーブンへと入れていく。あっという間に午前中が終わり、三基ある大きなオーブンがクッキーで一杯になった。
「あとはこのまま焼けるのを待つのみでございます。よろしければ昼食をご用意いたしましたのでお待ちになる間にぜひお召し上がりください」
いつの間にどこで用意していたのか、人数分の籠が用意されている。ちょうど時間はお昼を少し過ぎたところだ。
「どうしましょう!焼けるまでオーブンを見ていたいけど良い匂いのせいでとてもお腹も空いたわ!!」
「料理長、こちらで食べてはお邪魔になるかしら?」
「いいえ、どちらでお召し上がりいただいても良いメニューでご用意しております。こちらで召し上がるのでしたらテーブルセットをご用意いたしますが?」
「いいえ、この高い椅子と調理台で食べるわ!!何だか悪いことをしているようでとっても楽しいもの!!」
モニカが調理台のそばに置かれた高めの椅子をがたがたと動かし始めた。
「お、お待ちください公女様!!わたくしどもが!!!」
見守っていた料理長や使用人たちが大慌てで調理台の上を片付け椅子を動かす。
「お嬢様、本当にこちらの椅子でよろしいのでしょうか?」
「良いのですわ。モニカがそうしたいのならば誰も反対いたしませんもの」
くすくすと笑うグローリアに「はぁ、左様でございますか…」と料理長が額の汗を拭く。それはそうだろう。王族の女性の次に身分の高い公女がふたりも揃っているのに座らせるのは木製の素朴な丸椅子と大理石とは言え調理台だ。料理長もさぞかし胃の痛いことだろう。
「グローリア、早く!!」
「はい、参りますわ」
あとでお父様にもお願いして使用人たちにを充分にねぎらわなければと心に決め、実に楽しそうに丸椅子に座り手を振るモニカの元へとグローリアも急いだ。




