78.温かな空気、優しい時間
翌週はイーグルトン公爵家で母主催の茶会があったため焼き菓子を作るのは翌々週の土曜日、学園の中休みの週の最初の日と決まった。少しだけ心の準備をする時間ができてほっとしような、勢いに任せて行けない分不安なような、グローリアは何とも複雑な気持ちになった。
念のため父に頼みこっそりと確認してもらったところ、その日は勤務日だが巡回の当番では無いということでセオドアも王宮にいるはずだ。鍛錬場にはいなくとも完全なすれ違いにはならないだろう。
王弟殿下からも誘いがあったのだが、母の茶会の手伝いとモニカたちとの予定を理由に断った。まだグローリアにはひとりで王宮へ行くだけの勇気は出ない。まだ、王弟殿下の前で上手に笑う自信がないのだ。
ベンジャミンからも容赦なく断ってくださいと茶葉と共に手紙が届いており思わず笑ってしまった。本当に、ベンジャミンは何でもお見通しだ。ベンジャミンの茶は恋しいので茶葉には大変助かった。
それ以外は相変わらず優雅に暇だと管を巻くモニカとそれを笑いながら見守る面々とのいつも通りの毎日が続き翌々週。約束の日は初夏の風も気持ちの良い見事な快晴だった。
カーテンを開け「きっと良い日になりますよ!」と笑ったユーニスに、グローリアも素直に「そうね、きっと良い日になるわ」と微笑んだ。大丈夫だ、皆と一緒ならグローリアもきっと笑うことができる。どこにいても何があっても、だ。
「さあユーニス。今日は忙しくなるわよ?」
「望むところです、お嬢様!」
グローリアがにっと笑うとユーニスもまたにっと笑った。皆が来る前に騎士団へ差し入れる分の焼き菓子を焼いてしまわねばならない。サリーには納得がいくまでセオドアへの贈り物を用意してもらいたいのだ。
手早く着替えかなり早い朝食を済ますとグローリアはすぐに厨房へと向かう。厨房ではすでにグローリアのために場所を空けてくれており、料理人たちが朝食の準備をしながらも忙しなく焼き菓子の準備を進めている。
「今日もありがとう、よろしく頼むわね?」
「お任せくださいお嬢様!」
グローリアも愛用のエプロンを身に着ける。微笑めば、誰もが笑って返してくれた。
朝食の準備もする中で大量の焼き菓子も作り、その後はすぐに厨房を片づけて客人たちの手伝いだ。しかも客人たちの昼食まで用意しなくてはいけない。厨房の一角を借りるだけとはいえかなりの負担をかけてしまうことになる。それでも楽しそうに笑ってくれる使用人たちに、グローリアは自分に許される限りの謝意を伝えた。
人によっては眉をひそめることだろう。使用人に感謝したり謝ったりすることを良しとしない貴族も多い。けれどイーグルトンは嬉しいと思えば感謝するし、悪かったと思えば謝る。頭を下げることはできないが思いを口にすることをはばからない。そういう家に生まれることができて良かったと、グローリアは心から思っている。
いつも通り甘い焼き菓子と塩味の焼き菓子を用意していく。広い厨房がどんどんと熱を冷ます焼き菓子で埋まっていき漂う小麦とバターの良い香りがたまらない。粗熱の取れた焼き菓子をグローリアがこっそりとひとつ摘まむと、ぱちりとユーニスと目が合ってしまい「あ!お嬢様!!」と笑われた。
「だって美味しそうなのだもの…」
グローリアがほんの少しむくれて頬を染めると厨房が優しい笑いで満たされる。グローリアが小さなころから何度も繰り返されてきた優しい時間。父と母が守って来たこの家だからこその温かな空気。グローリアはあと何度この時間を過ごせるのだろう。
願わくば、グローリアが嫁ぐ先でもこんな空気を作れれば良い。それを許してくれる伴侶であれば良い。それはとても贅沢な願いだと分かってはいるけれど、それでも。
あらかた焼き菓子を焼き終わりあとは冷めるのを待って詰めるだけというところで来客の先ぶれが告げられた。ユーニスに連れられ急いで部屋に戻り着替えて応接室へと向かうと、何とすでに全員揃っていた。
「ようこそ皆さま、お待たせして申し訳ありません」
「ごきげんようグローリア、まさかみんなで鉢合わせるとは思わなかったわ、約束の時間には早すぎたかと思ったのに」
「すいません、楽しみで早く出過ぎてしまって…」
照れくさそうに笑うサリーに時間ぴったりよとグローリアも微笑みドロシアとも頷き合った。ベルトルトとフォルカーにも「ようこそ」と微笑むと、ベルトルトは「やあグローリア嬢、屋敷中良い匂いだね!」と笑いフォルカーは「お招きに預かりまして」と微笑んだ。
「ところで、鉢合わせですの?」
きょとりとグローリアが首をかしげるとモニカが楽しそうに笑った。
「そうなのよ。早過ぎたから中央公園で時間でも潰そうかってベルトとフォルカーと相談していたらサリーとドロシアも中央公園に入って来て」
「はい、私も早過ぎまして。見慣れたティンバーレイク公爵家の馬車が見えましたのでもしやとご挨拶に伺ったところサリーも同じ考えだったようで揃いました」
「みんなでうちの馬車にぎゅうぎゅう詰まって来たのよ!」
「まぁ、ふふふ。それで先ぶれが一度でしたのね」
ティンバーレイク公爵家の馬車は大きい。五人で乗ったところで充分な広さがあるのだが、あえてぎゅうぎゅうに座った様子が想像できてグローリアは羨ましくも笑ってしまった。
「厨房の準備ができしだいご案内いたしますわ。それまではこちらでゆっくりなさってくださいませ」
グローリアがちらりとユーニスに目配せすると心得たとばかりに一礼してユーニスが静かに部屋を出て行った。厨房が確認でき次第ユーニスが呼びに来てくれるはずだ。
天気が良いので庭園へ出たいところだがそうなるときっとグローリアたちの話は尽きない。焼き菓子どころではなくなってしまうだろう。老執事が用意してくれた茶と朝に焼き上げた焼き菓子をさっそくいただきつつ、グローリアも素直に待つことにした。




