72.そ、れ、だ、け、は!
随時、誤字脱字等修正しております。
(改)がしょっちゅう付きますが内容は書き換えておりません。
「え!?そうですの!?わたくし、やっと先週気が付きましたのに!?」
「ああ、そうね。それも知っていたわ。グローリアはまだその辺りに疎いようだったから見守りましょうってみんなで決めていたのよ」
モニカはそう言って肩を竦め、「馬鹿ね、まさかまだ気にしていたの?」と苦笑した。
つまり、自分の気持ちに気が付いていなかったのはグローリア本人だけ。他の皆は分かった上でグローリアが自分で気づくまで黙って見守っていてくれたということか。
「そう、でしたのね……」
グローリアは遠い目になった。いつから皆は気付いていたのだろう。モニカは、いつから気付いていたのだろう。
「それでどういうこと?何があったの?」
モニカに促され、グローリアは遠のきそうな思考を何とか立て直し頷いた。
「詳しいことはその…言えない範囲なのですけれど」
「ええ、聞かないわ聞きたくないわ」
わざとらしく眉をひそめふるりと肩を震わせたモニカにグローリアは思わず笑った。重ねられた手の温もりと若草の瞳の温かさに、グローリアの胸のもやがほんの少しだけ言葉になった。
「言えないのですけれど……ですがもう、無理だなと、思わされましたのよ」
言葉になったもやを何とか吐ききると、今度は目からも溢れそうになってしまう。グローリアが慌てて俯き瞬きを繰り返していると、モニカががばりと起き上がり両手で頭を抱えて叫んだ。
「ああああ!駄目ねこれ!聞かないと分からないけど聞くのも駄目だから気になるけど聞けないけど聞きたいわ!!」
あーもう!!とモニカは頭を抱えたままふるふると首を横に振り続けている。
「まぁモニカ……お聞きになります?」
答えは聞かずとも分かっているのに、グローリアはあえて聞いた。モニカはぴたりと動きを止めると一度ぎゅっと目を瞑り、息をひとつ吐いてグローリアに向き直った。
「わたくし個人としては聞きたいわ。グローリアの思いを共有したいもの。………でも駄目ね、ベルトのためにも、聞けないわ…」
ごめんなさい、と唇を噛みしめるモニカにグローリアは頷き微笑んだ。
それが正解だ。モニカはこれから隣国の王子妃となる。いくらベルトルトが臣籍に降るとはいえ中枢にいることに変わりはない。その妻であるモニカが王国の深い事情を知ってしまえば当然動きも規制される。下手を打てばこの婚約自体が無くなるだろう。婚約を継続できたとしてもベルトルトまで様々な思惑に巻き込まれるのは必至だ。
天秤にかける意味すらないはずなのに、それでもグローリアの心に寄り添いたいと自らの心を痛めてくれるモニカの気持ちがグローリアには何よりも嬉しかった。
「ねえ、グローリア。気持ちは伝えたの?」
グローリアには見えないように目尻を拭ったモニカが顔を上げるとグローリアのカップに紅茶を注いだ。いつの間にか空になっていたようだ。
「いいえ。伝える前に拒絶されましたもの。これから伝えようとしても伝えることすら許されないと思いますわ」
ありがとう、と微笑むとグローリアはカップに口を付け、それからふるふると首を横に振った。
「そこまでなの?」
「はい、そこまででしたわ」
「そう……それは確かにグローリアは要らないわね、姿絵」
グローリアの膝に乗せたままだった官報を手に取ると、モニカはじっと小さな挿絵を見つめた。顔は描かれていないが、手を取り寄り添いお互いを見つめ合うその絵はとても親密そうに見える。その際になされていたふたりの会話の内容を知らなければ、だが。
「いつか良い記念だと思えるようになった時には欲しくなるかもしれませんわね」
「ひとつあればいつでも模写はできるものね」
「ええ、その通りですわ」
グローリアはカップをサイドテーブルに置くとぽふり、と背のクッションに沈みこんだ。はー、っと息を大きく吐いて目を閉じる。思い出すたびに瞼と喉元に湧き上がるこの熱さが消えてくれる日がいつかは来るのだろうか。
「おかしいわね……お兄様だって絶対……」
嗚咽になって漏れてしまいそうな熱さを必死になって何度も飲みこんでいたグローリアにはモニカの呟きが聞き取れず、目を開けるとモニカが口元にこぶしを当てて何事かをぶつぶつと呟いていた。
「え?何か仰いまして?」
「何でもないわ。それでどうするの?これからも執務室へは行くの?」
モニカは官報をバッグに仕舞い椅子に座り直した。きっとグローリアがこの官報を父に借りに行くことは無いだろう。そう思うと、もう一度挿絵を見ておかなかったことが少しだけ残念に思えた。
「そうですわね……しばらくは控えようと思っておりますの。自分の中で折り合いがつきましたらまたお伺いしますわ。ベンジャミン様ともお約束いたしましたし」
そうグローリアが微笑むと、モニカがぱちぱちと目を瞬かせた。
「フェネリー様と仲が良いの?」
「ええ、殿下よりベンジャミン様との方が仲は良いと思っておりますわ。王弟妃にならないならベンジャミン様に嫁ごうかと」
ベンジャミンのことを考えるとグローリアの心が少し軽くなる。きっとすっかりと餌付けされてしまっているのだろう。長く離れればベンジャミンの淹れてくれるお茶とお菓子はいずれ恋しくなるかもしれない。今しばらくは問題ないだろうが。
「それで良いの?」
「むしろそれが良いですわ。ベンジャミン様とならお互いの譲れないものをそのままでいられますもの」
「そこまで話が進んでるのね」
「進んでいるというほどではありませんわ。世間話の中で少し、そういうお話もした程度ですのよ」
「ちょっと、とんでもなく仲が良いじゃない!」
「そうかもしれませんわね。悪い気はいたしませんわ」
くすくすと思い出し笑いを漏らすグローリアを見てモニカが目を見開いた。「そう、なの?え?」と目を泳がせるとまた口元に手を当てて何事かを呟いた。
「………ちょっとお兄様これどうするのよ……」
「モニカ?」
首をかしげるグローリアに困ったように笑い小さく首を横に振ると、モニカはまたグローリアの手を取りぎゅっと握った。
「まぁ良いわ。どんな形に落ち着いてもわたくしはいつでもグローリアの味方よ。わたくしだけじゃない、わたくしたちはみんなグローリアの味方よ。そ、れ、だ、け、は!忘れないでちょうだいね?」
『それだけは』ととても強く強調したモニカにグローリアは笑った。やはり胸の痛みは消えないけれど、それを優しく包んで守ってくれる温もりがある。それも、たくさんだ。
グローリアは間違いなく愛されている。自分は選ばれないなどと、泣き言を言ってはいけないくらい。
「もちろんですわ、モニカ。ありがとうございます。わたくしも、同じ気持ちですわ」
こうして話すことのできないことがお互いにこれからどんどんと増えていくのだろう。共有できない、見えないことがたくさん出てくるだろう。それでも大切に思う気持ちだけはきっと消えない。知れなくても、側にいられなくても、きっと寄り添うことはできる。
「当然でしょう、知ってるわ!」
今更よ!とばかりに花が開くように笑ったモニカに、グローリアもまた満面の笑みで応えた。




