66.無礼者
「良かったですね、グローリア様!何だかお幸せそうで!!」
いつもの場所に座ると、サリーが少し興奮気味に嬉しそうに笑った。
「ええ、ポール卿ははまだ実感が湧いていらっしゃらないようだけれど…気づくのもそう遠くはなさそうね」
「王命と聞いた時にはどうなるかと思いましたがお祝いも使っていただけそうで何よりです」
頷くグローリアに、ドロシアもほっとしたように眉を下げている。
グローリアたちが用意したのは揃いの意匠の銀の懐中時計だ。中の機械は最も時計技術の進む南の皇国でも一、二を争う名匠の作。それを包む銀の細工は西の海の向こう、砂漠の大国で採れる銀を王国で最も有名な工房で成形し彫りを施したもの。更にポーリーン用の時計にはサファイア、アンソニー用の時計にはアクアマリン、それぞれ伴侶の色の石があしらわれている。
包んだ布に栗色と金の糸で描き出したのは花嫁の幸せを祈る蔦模様。ほとんどがサリーの作だが、四角を飾る花の刺繍は四人でひとつずつ刺している。
結婚発表後たった一ヶ月でこれだけの品を用意できたのは、まさしく四人が持つ様々な力の結晶だ。
鍛錬場に目をやればポーリーンが籠を持ち、ちょうどグローリアたちが座る前を横切るところだった。ポーリーンは観覧席を振り仰ぐと、グローリアたちを見つけて口元に笑みを浮かべて軽く頭を下げた。周囲で見ていた令嬢たちが嘆息し、一部は小さな悲鳴を上げた。
「そうね、ポール卿のご様子次第ではお渡しするか悩みましたけれど……この分でしたらきっとおふたりで使っていただけますわね」
籠を持って休憩室へと向かうポーリーンと逆側、休憩室の方からアレクシアが歩いてきた。ふたりは歩み寄り少し言葉を交わすと、破顔したポーリーンは休憩室の方へと入って行った。
「アレク卿ですね」
ぽつりとサリーが言った。先日のアマリリスの件からサリーはいまだにアレクシアに対して少々怒っている。ドロシアも表には出さないが思うところがあるようだ。先週グローリアの代わりに焼き菓子を届けてもらった時にもふたりの態度が硬かったとモニカが笑っていた。
「ええ、そうね」
グローリアがふたりの様子に苦笑しながら鍛錬場を眺めていると、観覧席にグローリアたちの姿を見つけたアレクシアの口が「あ」と動き、その目が少し見開かれとろりと笑みの形に細められた。と、思った次瞬間、一気に見開かれ驚愕へと変貌した。
その表情に嫌な予感がしてグローリアがかすかに振り向くと、少し離れた場所に先日グローリアへ声を荒げた女性の従騎士、レナーテが立っていた。間違いなくその目はグローリアたちを捉えている。
――――これは、まずいですわね。
グローリアはとっさに視線だけで周囲を伺った。今日は日和も良いせいか、いつもより更に令嬢の数が多い。ここで騒ぎを起こせば間違いなく尾ひれの付いた噂となって様々なところに撒かれてしまう。
「ドロシア、サリー」
グローリアが小さく呼びかけ視線を送るとレナーテに気づいたふたりが顔をこわばらせグローリアに頷いた。
グローリアは静かに立ちあがると、レナーテには気づかなかったように王宮側へと降りる階段へ向かう。ドロシアとサリーもさりげなくそれに続く。
「あ、待って!」
レナーテが声を上げ、近くにいた令嬢たちが何事かと振り向いた。
グローリアは内心舌打ちをした。レナーテはどうも何も学んでいないようだ。朝から重たかった体が更に重くなり、胸の奥に燻っていたもやがまたグローリアの喉元を締め付けた。
レナーテの制止の声も聞かなかったことにしてグローリアは令嬢に許される最大の速度で階段を降りた。鍛錬場から見える範囲で捕まるわけにはいかないと、そのまま回廊の方へと急ぐ。回廊への角を曲がりようやく見えないところまで来たと思ったところでグローリアの手が掴まれぐいと引かれた。
「待って!!」
「無礼者!!!」
サリーの大きな声と共にぱしん!という乾いた音が響いた。振り向けば、レナーテとグローリアの間に体を入れたサリーがレナーテの頬を張り、グローリアを掴んだレナーテの手首をドロシアが掴みレナーテを睨みつけていた。
「その手を放しなさい無礼者!」
あまりの怒りに目に涙を溜めサリーがまた大きな声を上げた。まずい、とグローリアは辺りを見回すが今のところ人が来る様子はない。サリーの勢いに押されたようにレナーテがグローリアの手を放し一歩下がった。
「あ……あたしはただ、謝りたくて……」
「ならばせめて最低限の礼儀を守りなさい!あなたはいったい先輩騎士から何を学んだの!?」
グローリアの前にドロシアとサリーが立つ。激高しているサリーを宥めねばならないが、ドロシアも声を荒げないだけで完全に目が座っている。空気の重さに負けたのか、段々とグローリアの頭と腹まで痛くなってきた。
「あ、あたし……」
まずいことをしたという意識はあるのだろう。先輩騎士と言われて目を泳がせたレナーテはまた、大きく一歩後ろへ下がった。
さてどう収拾したものかとグローリアが痛む頭を悩ませていると、鍛錬場の方から人影が角を曲がって来た。
「レナーテ!」
「あ、アレク卿……!」
レナーテの顔がぱっと明るくなった。
怒りに顔を歪めるドロシアとサリーを見てアレクシアは何かを察したように目を細め足早にレナーテの隣に立った。そうして何かを迷うように瞳を揺らし、一歩前に出てレナーテを背に庇うとアレクシアはドロシアとサリーではなくその後ろのグローリアを見た。
その目にまたあの時と同じ色を見つけ、口を開こうとしたアレクシアをグローリアは制した。
「アレクシア・ガードナー」
「っ、はい」
グローリアの低い声に、アレクシアはぴくりと肩を揺らすと挨拶も忘れて直立した。ドロシアとサリーも驚いたようにグローリアを振り向いている。グローリアがそっとふたりの背中に触れると、ふたりは心得たようにグローリアの後ろへと控えた。
「アレクシア・ガードナー」
グローリアは再度静かにアレクシアを呼ぶと一歩前に出た。
「わたくしは一度許しました。これで二度目です」
淡々とアレクシアの目を見ながら静かに話すグローリアに、アレクシアは瞳を揺らし「はい」と唇を引き結んだ。




