61.よく、分かりましたわ
王弟殿下が多くの騎士を引きつれて西に入るのは、許しはしたが警戒は怠っていないと、そういう姿勢を見せるということか。恐らく、西に見せつけるというより本当の事情を知る者たちへの誠意だろう。
そしてウィルミントン令嬢が王弟殿下の視察を願った以上、理由はきっとそれだけではない。
「中央が西を見捨てたわけでは無いと、そう、伝えに行かれるのですね」
「お前はそういうところ、妙に聡いよなぁ。そうだよ。また海賊どもが活発になり始めた上に頼りの夫人は療養中。令息は断罪されて神殿送り。賠償金もどれほどになるか分からない。中央はこの十年以上、基本的にはウィルミントンに何があっても何もせず、立て直るまではと税の軽減をする代わりに表向きはただひたすらに静観という名の無視をした。やっとここまで立て直ったのにまた十年前の二の舞になるかもしれない。不安に思うなって方が無理だろうな」
そもそもウィルミントンの南には国の軍事施設がある。北はオルムステッドとその向こうは不毛の大地。逃げ場も無く、それこそ何かあれば海賊として海に逃げるより外無い。
今必要なのは追い詰めることよりも手を差し伸べることだ。追い詰め過ぎれば人は牙を剥く。だからこそ王弟殿下が行くのだろう。
グローリアは頬に手を当てて少し考えると、王弟殿下に向き直った。
「では此度のお見合い、本当は受けるべきだったのではないのですか?」
「俺がウィルミントン海洋伯にってことか?」
「はい。中央が監視しているという演出にも、中央が見捨てていないと西に示すにも王弟殿下のウィルミントン入りは大きいかと。王族の血を引く者が海洋伯となれば海賊にも海の向こうの国へも大きな牽制になりますでしょう」
ウィルミントン海洋伯が守る西の領地の向こう。海を渡った先にも大陸があり、大国がある。侵略しても飛び地として運営するにはお互いに距離があるため現状は良き貿易相手としてのお付き合いではあるが、ある程度の牽制のしあいはあり気は抜けない。
そしてまた結束しつつあるという海賊たちにも注意は怠れない。
「まぁ、そうだな。そうとも言える。だが俺はまだ王宮を動けない」
「え?」
「俺には俺の役割ってのがあるんだよ」
そう言うと、王弟殿下はすっと、グローリアから目を逸らした。これ以上は言いたくないという拒絶を感じたが、グローリアはあえて聞いた。
「それは、様々な汚名を被ることも含めてですの?」
ぴくりと、一瞬だけ王弟殿下の眉根が寄った。けれどもそれはすぐに綺麗な微笑に押し隠され穏やかな濃紫の瞳がグローリアへと向けられた。
「そうだな、それも俺の役割のひとつだな。だがそれが目的ではなく、目的のために役割がある」
これ以上は聞いてくれるなというばかりに苦笑した王弟殿下に、グローリアはにこりともせずに言った。
「目的ですの?」
ちらりとベンジャミンを見ればただ静かに微笑んでいる。聞くも聞かないもグローリアの自由、話すも話さないも王弟殿下の自由。そんな微笑みだ。たとえ知っていてもベンジャミンはきっと教えてくれないだろうなと、グローリアは思った。
グローリアが王弟殿下へと視線を戻すと、王弟殿下もじっとグローリアを見ていた。口元は微笑の形を作っているのに目が笑っていない。ただじっとグローリアを見つめる王弟殿下に、グローリアも何も言わずただ見つめ返した。
「……これ以上は、今はまだ無理だな」
「どうすれば教えていただけますの?」
それでもなおお言い募るグローリアに、王弟殿下がついに半目になった。むっつりと唇を尖らせるとまただらりとソファに寄りかかった。
「知りたいのか?」
「知りたいですわ」
「知ってどうする」
「あなたのために動きます」
「お前なぁ………」
王弟殿下は脱力したまま天を仰いだ。そうして片手で目を覆うと「どうしたもんかねぇ」とため息とともに呟いた。
「あれ、結構熱烈じゃないです?」
「いい加減観念すればいいんですよあの朴念仁」
「黙れ」
またもアンソニーとベンジャミンが大きなひそひそ話を始めたが、王弟殿下が珍しく低く短く切り捨てた。
「皆様は、ご存知ですのね」
「俺の側近だからな。俺の役割を知らず俺の補佐はできないな」
ベンジャミンは静かに微笑みながら首を横に振り、アンソニーは肩を落とし悲しそうに「ごめんなさい」と呟き、ジェサイアは静かに目を閉じた。自分たちは何も言うことはできない、そういう意思表示だった。
「ではわたくしも側近にしてくださいませ」
「無理だな」
「なぜでございましょう」
「王位継承権まで持つ未婚の公爵令嬢を官吏として王宮入りさせることはできない。できても義姉上かオリヴィアの話し相手かティーナの教育係か、その辺だ。今はまだ俺の側近は無理だな」
せめてお前がどこぞの夫人になったらな、と王弟殿下は肩を竦め笑った。
グローリアはまだ十六だ。若すぎる政略結婚による悲劇を防ぐため、本人の意思を伝えることができるようこの国では婚約は十歳以上、結婚は十八歳以上からと法に定められている。学園の生徒でもあるグローリアは当然、どれほど早くともあと一年半近くは結婚できない。
「では今のわたくしが知るにはどうすれば?」
ひとつだけ、今のグローリアが知ることができる方法がある。
「分かってて言ってるだろお前、駄目だぞ」
王弟殿下ももちろん、それが頭にあるのだろう。あっさりと駄目だと言われグローリアはあえてにっこりと笑って見せた。
グローリアが今すぐ王弟殿下の側近……というよりも近しい存在になる方法。それは、グローリアが王弟殿下の婚約者となることだ。妃になるには一年半近くかかるが、婚約者となれば側近とほぼ変わらない。
「なぜでございます。殿下にとっても都合がよろしいのでは?」
にっこりと笑ったまま続けるグローリアに、今度は王弟殿下が半目になった。
「都合で決めるもんじゃないだろう」
「わたくしでは駄目だと?」
「好みじゃないと言っただろう」
「いつかは大人になりますわ」
「だとしてもだ」
「分からずや」
「どっちがだ」
グローリアはにっこりと笑ったまま。王弟殿下は半目になり不機嫌そうな顔のまま。淡々とやり取りを続けるふたりを見守りつつベンジャミンとアンソニーが顔を見合わせて首を横に振った。
グローリアと王弟殿下はしばらくそのまま睨み合っていたが、先に目を逸らしたのはグローリアの方だった。
「よく、分かりましたわ」
目を逸らすと、グローリアはすん、と無表情になった。
「グローリア」
王弟殿下に呼ばれるているが、グローリアは完全に無視した。そうしてにっこりと笑い、ベンジャミンを振り返った。
「今日はそろそろお暇させていただきますわね、お聞かせくださってありがとうございました殿下」
「グローリア」
「ベンジャミン様、送ってくださいます?」
「グローリア!!」
グローリアの腕を掴み声を荒げた王弟殿下に、グローリアはついに振り返った。そうして苦く微笑むと、小さく首を横に振った。
「殿下。今日は無理ですわ。お願いです、頭を冷やさせてくださいませ」
じくじくと、グローリアの胸が痛んだ。喉元が詰まったようで、湧き上がる何かと一緒に何度も唾液を飲みこむが治らない。今にも唇が震えだしそうで、これ以上話を続けるのは無理だった。
――――拒絶、されてしまったわ。
王弟殿下と結婚したいわけでは無い、ただ、役に立ちたいのだ。そのはずだ。けれども王弟殿下の強い拒絶に、グローリアの中で何かがぱきりと折れた。今はもう、目を合わせることもしたくない。
「…………分かった。気をつけて帰れ」
焦点を合わせず微笑み続けるグローリアに、王弟殿下はため息を吐くと掴んでいた手を離した。グローリアはすかさず立ち上がると扉の前へと急ぎ、振り返ってとても綺麗な笑みを浮かべてカーテシーをした。
「はい、ありがとうございます。ごきげんよう」
グローリアが顔を上げると気づかわし気にグローリアを見つめるベンジャミンが隣で手を差し出してくれた。グローリアは苦く微笑みその手を取ると、ジェサイアが開けてくれた扉を振り返ることなくくぐった。
「グローリア……」
王弟殿下の小さな声が聞こえた気がしたが、グローリアは何も聞こえなかったことにした。




