60.皇国
「良い子だグローリア」
王弟殿下は笑みを深めると、仕切り直すようにまたグローリアの頭をぽんぽんと撫でて新しいカップに手を伸ばした。グローリアもそれに倣いほのかに甘い蜂蜜入りの紅茶をひと口含むと静かにカップをソーサーに戻し王弟殿下の方を向いた。
「ウェリングバローな。あそこが今王領なのはアドラムが反乱の本拠地にしたのもあるが、西に対する牽制でもあるんだよ」
「牽制……?」
「ああ。西はな、意図的にではないが反乱に加担したんだよ」
南部の大森林を越えた向こうに国境を接する隣国。皇国と呼ばれる国の一部貴族とアドラム侯爵は共謀し、優先的な貿易権と国境監視の緩和を条件に、低くはあるが王位継承権のあったアドラム侯爵が王位簒奪を謀ったと、表向きにはされている。
皇国から我が国へ至る道筋は四つ。正直にサザーランド辺境伯家の守る国境を越えて至るか、間にある内海を渡り大森林を抜けて至るか、同じく南に国境を接する神聖国へ一度入り神聖国から大森林を抜けるか。そしてもうひとつ。海を越え、西の領地から上陸して至るかだ。
公式には、皇国は岩場の多い難所ばかりの内海を渡り大森林の西の境界を抜けて多くの人を送り込んだことになっている。実際に内海には多くの船の残骸が残されており侵入しようとした形跡がいくつも見つかったらしい。
だが、あまりにも入り組んだ難所であるため大きな船は当然通れず潮の流れも複雑なため小舟も辿りつけるかは運次第だ。大森林は広く危険な獣も多く、何より多くの少数民族が暮らしており彼らの領域を無暗に犯せば命は無い。けれども皇国から秘密裏に人は入り反乱は起こされた。もしもその侵入経路が実は西の領域で、それがわざと見逃されていたのだとしたら。
「あ………では、ウィルミントン海洋伯家がずっと茶会に出ないのは」
「そうだな、出ないんじゃなく出られなかったんだ」
王弟殿下はひとつ頷くとベンジャミンに視線をやった。ベンジャミンは少し本棚を探すとすっと、二枚の地図をテーブルへ広げた。
「当時は海賊がかなり勢力を強めていたからな。人手が足りず西側は通常であればいるはずの無い大森林からの侵入者を見逃しただけってことでウィルミントンに対する重い処罰は無かった。表面上はな」
言いながら、王弟殿下がある一点をとんとん、と指で叩いた。そこは南の大森林と西の領地のちょうど境目、現在は王家直属の海軍も含めた大きな軍事施設が建っている場所だ。もう一枚の地図を見ればそこは西の領地になっている。現在と、十年前の地図ということか。
「だが、別の思惑があったとは言えわざと見逃すという形で結果的には介入してしまったからな。裏ではそれなりの罰があった。そのひとつがここの領地の没収と、それから王宮への出入り禁止だな」
十年前の反乱を機に、皇国からの不正な侵入をさらに強固に防ぐためという名目で西の領地と南の領地の境目が王領となり国の軍事施設が建てられた。皇国の侵入を防げなかったことへの謝罪として西と南の両領主が領地の一部を献上したことになっているが、地図を見れば明らかに西側の領地が多く削られているのはそういうことなのだろう。
「ウィルミントン海洋伯家は何を目的として皇国の侵入に目を瞑ったのでしょう?」
他国の侵入を許すなどどのような理由があれど許されるはずがない。人手が足りず見逃したのならあり得るだろうが意図的ならばなぜ、表から断罪されることが無かったのか。
「ここ、分かるか?」
王弟殿下が軍事施設の西南。ぎりぎり、皇国と我が国の間とも言える海の上の大きな島を指さした。
「ここにな、海賊どもの国ができたんだよ」
「まぁ、海賊の国ですの」
「ああ、国って言っても強い海賊団が頭になって他の海賊団を束ねたような集団って感じだったんだけどな、その頭ってのが中々に頭の切れるやつでな。うまいことこっちの目を掻い潜って商船を襲い村を襲い好き勝手やってやがった。それからここだ」
今度は北側。オルムステッドの領地と不毛の大地との境目からにょきりと生える半島と周辺に沢山の孤島がある地域を指さす。
「ここにかなり武力の強い海賊団がまた国と言うか集団を作りやがった。当時のウィルミントンは南北から海賊に挟まれて襲われていた状況だった」
「ああ、歴史の授業で聞いたことがございます。かなりの数の船が襲われ、海向こうの大陸との国交が途切れる事態に陥ったと」
「ああ、そうだ。それに殲滅戦ともなれば多くの騎士が軍に組み込まれて駆り出される。そのせいで王都の守りが薄くなった。反乱はそこを狙ったものでもあったんだよ」
たったの十年前の話だ。南北の海賊の集まりは討伐され現在は海向こうの国との国交も完全では無いが戻っている。王立騎士団の定員数や各地に配置される兵の数が増やされたのもこの反乱を機にしたことだと、グローリアは歴史の授業で教わった。
「この、南西の島な。皇国はここの討伐を買って出てたんだよ」
「皇国が?」
「おう。皇国からしてもここの海賊は目の上のたん瘤だったんだよ。当然うちだけじゃなくあっちに行く商船も狙うからな。だから南西の島は皇国側で何とかするから補給と休息に南の村を使わせて欲しいって、そういう申し入れだったんだよ」
「まぁ、それは……」
北からも南からも襲われて疲弊していたウィルミントンとすれば、南側だけでも対処してもらえるならば補給ぐらいは、と思ってしまっても仕方が無いだろう。南の村もきっと自分たちを脅かす海賊たちを討伐してくれる皇国の船にとても好意的だったはずだ。
「うちは今、皇国との関係性は悪くないだろう?」
「ええ、そうですわね。普通に貿易も行われますし国交もございますわね」
「おう。皇国が南西の島を受け持ってくれたことは事実なんだよ。あっちの上層部からも南西の島の討伐については連絡が来ていたしお互いに他意が無かったんだ。あっちもこっちも一部の連中がそれに乗じて独断で動いた結果が反乱だった」
「何てこと……」
善意と友好のやり取りのはずだったところに混じった異物。疲弊していた西の人たちにそれに気づけというのはあまりにも酷と言うものだったのかもしれない。
「皇国の討伐隊からでもウィルミントンからでも南の村についてせめて先に王宮と皇国へひと言くれれば良かったんだがな…あちらもウィルミントンもかなり切羽詰まっていたからな。万が一にも駄目だと言われるのを恐れてか報告がかなり遅かった。結果として把握した時にはすでにかなり入り込んだ後で、手遅れだった」
王弟殿下が困ったように笑った。もしも正しく連絡が行われていたならば防げたかもしれない十年前の反乱。もしかしたら何かは起こって罪には問わねばならなかったかもしれないが、王弟殿下が断罪することも命を奪うこともせずに済んだかもしれない。そう思ってしまうグローリアは甘いのだろうか。
「うちとしても皇国としても表沙汰にして何も良いことが無いからな、これに関しては伏せられてる。結果として、ウィルミントンが表向きに罰せられることは無い」
「そういうことでしたのね……」
王位簒奪を一部が暴走して謀ったという表向きの理由だけでも許せない者がいるだろうに、これが表沙汰になれば当然、国民の皇国に対する感情は大きく害されるだろう。それは今後を考えればどうしても避けなければいけないことだ。
「まぁそんなわけでな。今回の茶会へのウィルミントンの参加資格も、王族の西への視察も、兄上がウィルミントンに出した条件は『俺が良いなら』だ。ウィルミントン令嬢に茶会への参加を許したことで今後はある一定の行事への参加は可能になった。だがそれだと示しがつかないところもある。だから、多くの騎士を連れて俺が西へ行く」
アレのせいでまた出入り禁止にしないといけないところだったけどな、と王弟殿下は肩を竦めた。陛下への不敬が不問となったことで何とか免れたのだろう。政治的にも大変迷惑な事態だったのだなとグローリアはジャーヴィスを思い出し、こみ上げた不快感を残っていた紅茶と一緒にぐっと一気に飲み干した。




