59.十年前
ウィルミントン令嬢のことを考えつつそういえば、とグローリアは思い出した。
「ウィルミントン令嬢と殿下の別件とは何でしたの?」
王弟殿下とウィルミントン令嬢の見合いは名目だったという。名目というよりついでのように思えるが。とはいえ、もうひとつの『まだ言えない』ことは了承したと言っていた。
「ああ、それな。ウィルミントンの領地への視察の依頼だよ」
「視察」
「表向きな。それなりに騎士を多めに連れて行くことになる」
軍の総帥権を持つ王弟殿下が騎士を多めに連れて行く視察。威嚇か、行使か、どちらにしろ決して穏やかな話ではなさそうだ。
「それは……海賊に関わることですの?」
「まぁ、それもある」
「も、ですの?」
首をかしげるグローリアをじっと見つめると、王弟殿下は一度目を逸らし、そうして苦く笑った。
「あー…そうだな、今はお前もこっち側だもんな。聞く権利がある、か………」
「殿下?」
ふぅ、とため息を吐くと王弟殿下は目を閉じた。王弟殿下とグローリアのカップがベンジャミンによって静かに新しいものに差し替えられる。何となくただならぬ気配を感じ、グローリアは小さく喉を鳴らした。
「十年前、いや、もうすぐ十一年前の話になるか。小さな反乱があったのは知っているな?」
「はい、歴史としては存じております」
「ウェリングバローを治めていたアドラム侯爵家が断絶したのも知っているな?」
「はい、詳細は存じませんが」
アドラム侯爵家はいわゆる名家だった。侯爵家ではあるが大変歴史は古く、ほぼ王国の歴史と共に歩んできたと言っても過言では無い。何度も王家の血が入った公爵家とも並ぶ家門だった。他国と通じ王位簒奪を謀った罪で断絶したとなっているが、他国が絡み機密に関わることが多いらしく公にされていないことも多い。
当時まだ五歳だったグローリアにも物々しい屋敷や父の雰囲気で何か酷いことが起こったのだということだけは分かった。
「だろうな。俺の元従者がアドラムだった」
「はい、それは……小耳に挟んだことがございます」
「そうか。………それと、元婚約者もアドラムだった」
「は………え?」
グローリアは目を見開いた。アドラムについては多くを語らないことが不文律となっている。それでも王弟殿下の乳母がアドラム夫人だったという話は小耳挟んだことはあるし、共に育った乳母の子が側近になるのはよくあることだ。だが、王弟殿下に婚約者がいたことなど、一度も聞いたことが無い。
「婚約は確定ではなく内々でだったけどな。だから発表はされて無かった。それもあって俺は処刑されることも生涯幽閉されることも無く今も王族としてここにいる」
処刑、生涯幽閉。いくら従者や婚約者の家が暴走したとはいえ監督不行き届きで大きく咎められることがあってもそこまではいかないはずだ。王弟殿下が反乱に明確に関わっていない限りは、だ。
「お待ちください。では反乱の本当の目的は」
「望まぬ俺を無理やり王位につけようとした、だな」
「そんな……」
詳しいことが公にならないはずだ。たとえ小規模とはいえ他国と内通しての反乱ですら大ごとなのに、それが望まないとはいえ王弟殿下が旗頭にされていたとなれば生涯幽閉は妥当だ。むしろ恩情にすらなる。
「俺が暴いて、俺が鎮圧して、俺が断罪した。だから俺は今ここにいる」
まぁそれだけが原因じゃないけどな、と淡々と話す王弟殿下の口元には笑みすら浮かんでいる。何でもないことのように言う王弟殿下にグローリアの心臓がぎゅっと締め付けられた。凪いだ笑みの向こう、濃紫の瞳の奥に深い悲しみと痛みを見たような気がしたのだ。
「殿下……」
「そんな顔するな。別に好き合って婚約したわけじゃない」
何を言えば良いのかグローリアには分からなかった。暴いて、鎮圧して、断罪した。言葉にすればほんの三言だ。けれどそこにはどれほどの思いが内包されているのだろう。あまりにも重くて、あまりにも悲しくて、あまりにも………痛くて。
グローリアが泣くのも違う。けれど慰めるのも絶対に違う。大変でしたわねなど、口が裂けても言えはしない。
「大丈夫だから、そんな顔するな」
「は、い、申し訳、ございません……」
グローリアは今、どんな顔をしているのだろう。全てを隠して微笑んでいるつもりなのにそんな顔をするなと言われてしまう。王弟殿下のいたわるような瞳にグローリアの胸はさらに締め付けられた。
――――痛いのは、あなたの方でございましょう…?
王弟殿下の大きな手が伸びてきて、もうくしゃくしゃになったグローリアの頭をそっと優しく撫でた。
「グローリア、聞くの、止めるか?」
「嫌です!教えてくださいませ!!」
グローリアは更に髪が乱れるのもかまわず首を大きく、何度も何度も横に振った。知りたいと願ったのはグローリアだ。話せと言ったのはグローリアだ。どれほど辛くとも、苦しくとも、痛くとも。きっと王弟殿下の抱えるほんの一割にすら満たないだろう。
グローリアの瞼が熱くなり視界がぶれた。けれども絶対泣くものかと、グローリアはぎゅっと目を閉じ眉間に力を入れた。
「ん、だが辛いだろう?お前は優しすぎるからな」
「辛くても!!知らぬ方が嫌なのです!!」
グローリアは目を開き思わず声を荒げた。高ぶる感情に声が震えるが決して涙をこぼしはしない。意地でもだ。
知りたい、受け止めたい、支えたい、並び立ちたい。ほんの少しでもいい、王弟殿下の重荷をグローリアも分かち合いたいのだ。ベンジャミンたちと同じように、グローリアも共に。
今のグローリアではきっと何もかもが足りない。けれど辛いからと耳を塞げばいつまでも追いつけぬままだ。いつまでもきっと認めてはもらえない。
グローリアが唇を引き結びじっと王弟殿下を見つめていると、王弟殿下が困ったように、けれど少しだけ嬉しそうに笑った。頭を撫でていた手をグローリアの頬に添え、流さぬよう涙を湛えたままの目尻を親指でそっと拭った。
「そうかよ……。じゃぁ無理だと思ったらすぐ止めろ。それと、アドラムと反乱の詳細については今日はこれ以上話さない。いいな?」
きっとまだ深い話には耐えられない。グローリアも、恐らく王弟殿下も。全てを聞くにはまだまだきっと覚悟が足りない。それでもいつかは全てを聞かせて欲しい。その思いも込めて、グローリアはこくりと、首を縦に振った。




