57.アレの罪
「お前の目にはあれは凛々しく映るんだな……」
王弟殿下はちらりとグローリアを見ると目を逸らしなぜかずいぶんと遠くを見ている。
「え?」
「いや、まぁ、あれだ。海洋伯は海賊退治で長期間海に出ている。夫人は療養中で執務をこなせない。アレは商売のための旅という名目の悪事に出て帰ってこない。令嬢とすればまたとないチャンスだったんだよ。両親たちもさっぱり動いてくれない兄の悪行を止めるな」
両親たちもさっぱり動いてくれないという王弟殿下の言葉にグローリアは引っかかりを覚えた。海洋伯が令嬢の言葉に動かなかったことは理解したが、普段実際の執務を行っているのは夫人だという。であれば、ウィルミントン令嬢の訴える先は海洋伯ではなく夫人である方が自然だ。
「あの、よろしいでしょうか?」
「うん?なんだ?」
「あの、殿下からされますと海洋伯夫人も女傑でいらっしゃるのですよね?ウィルミントン令嬢と同じように。でしたら、どうして夫人は令息の暴走を止めて下さらなかったのでしょう?」
「そこがな、あの阿保がクズたるゆえんだよ。アレな、ウィルミントンの領地の中では何も悪さをしてなかったんだよ」
またも嫌そうに顔をしかめると王弟殿下が深くため息を吐いた。
「と、申しますと?」
「やらかしてたのは学生時代の学園の中とウィルミントン以外の領地だ。学園では声を上げられないような立場の弱い男爵家や準貴族家の令嬢とか平民相手だな。他の領地ではまっとうな商売の陰に隠れてやがった」
「まっとうな商売、ございますか?」
「そうだよ。各地を旅して商品を自らの目で見て探し出し、それを必要とする他領へ紹介する……ただそれだけならかなり真っ当な商売だな」
王弟殿下がちらりと目配せをすると、ベンジャミンがすっと赤い何かの入ったガラスの蓋つきの器を差し出した。王弟殿下は雑に蓋を開けると中からひとつ摘まみだしてグローリアの口元に持ってくると、『口を開けろ』とばかりに口を開けた。長兄に幼い頃からやられてきた仕草に釣られてつい、グローリアが口を開けるとぽいと何かが口に放り込まれる。王弟殿下も三本の指で何粒か摘まむと自分の口に一気に放り込んだ。
「しかも取り扱うのはまともな品ばかりだ。目利きに間違いが無い。ちゃんと利益も出してた」
「才能がおありだったのですね…」
「不思議なことにな。阿保ではあるが頭のできが悪かったわけでは無いんだろうな」
もごもごと、グローリアは口元に手を当てた。飴を舐めながらの会話などはしたないが会話を止めるのも気が咎める。そもそも王弟殿下がグローリアの口に入れたのだ。気にしたら負け、というのはこういうことだろう。ちなみにいちご味だ。甘酸っぱくて美味しい。
「もちろん夫人はかなり調べたらしいぞ?他領にも協力してもらって徹底的に、な。だがな、嫌な話だがこういう事件ってのはいたるところで大なり小なり日常的に起こってるんだよ。だからアレが起こしたことなのかそうじゃないのか、結局分からないものばかりだった」
悪知恵は働くんだろうな、武力はからっきしらしいが、と王弟殿下は肩を竦め、ため息を吐きぐーっと両腕を上に伸ばし、そうしてまただらりと脱力した。
「表向きの商売がまともな上に税までしっかり納めてやがったから誰も疑わなかった。疑いはしてもそれで終わってたんだろうな。せめてあくどい商売やら脱税やらしてくれればどっかで調べが入ったんだがな」
自分たちの領地では性格に多少の難はあれど見目麗しい普通の貴族令息の仮面をかぶり、表向きにも才能のある真っ当な商人。そんな息子が裏では長きに渡り卑劣な悪事を働いているなど、なるほどご両親としては信じたくないのもよく分かるというものだ。たとえ性格がアレだったとしても。
「なぜそちらの方で正しく生きてくださらなかったのでしょう…」
「阿保だからだな」
「なんて残念な……」
埋もれた商品を見つけ出す目も、相手が必要とするものを見つけ出す目も、決して誰にでも備わるものでは無い。時勢を見て、先を読んで、相手を選んで、人と人、人と物をつなぐ。それは間違いなく立派な才と言って良いものだろう。
言っても栓の無いことだが、その才能を完全に商売の方へ回していたら、たとえ海洋伯家を継がずともそれなりの商人になれたのではなかろうか。そもそもの商売が悪事の隠れ蓑なわけだが。
「まぁそんなわけでウィルミントンの領地の中では何も出なかったし、学園でも他領でも確証が持てなかった。ウィルミントン令嬢がアレの悪事を知ったのだって令嬢のつながりでたまたま知った感じだな。で、調べてみたら余罪と思わしきが出るわ出るわ」
「それらしいものは出るのに証拠が出なかったということですのね」
「そういうことだな。分かってる庶子が五人だからな、被害者となるとどれくらいになるかさっぱり分からん」
現在ジャーヴィスはニ十歳。学園時代から無体を働いていたとなると五年近く被害が出続けていた計算となる。
そして学園卒業後の二年ほどとはいえ、各地を旅し、その短い滞在の間に無体を繰り返し点々と逃げていたのだとすれば……。グローリアはまたぞわりと背を駆け上がる不快感にふるりと肩を震わせた。
今後調査が進んでいくこととなるが、いったいどれほどの規模となるのか。賠償や責任問題まで出てくればウィルミントン海洋伯家にとってはかなりの痛手になるだろう。立場上、潰れることにはならないだろうが。
「わたくしもう、なんと申し上げて良いか…」
「そうだな、俺としてはあまりお前に聞かせたい話では無かったな」
「ですけれど、わたくし、当事者になってしまいましたもの」
「そうなんだよなぁ。義姉上がまた怒ってたな、巻き込む相手を選べと」
またも腰に手を当て若草の瞳を怒らせる王妃殿下と床に座り肩を丸める国王陛下の姿が頭をよぎる。大変不敬な想像なのだがなんだろう、想像でしかないはずの様子がグローリアの中では実際に見たもののように鮮やかになってしまっている。
そんな時でもお茶を淹れるのはやはりハリエットなのかしら?と、グローリアは違う面影で上書きし何とかその想像を振り払った。




