56.黒金封蝋
「まずはそうだな、俺は見合いを断った」
「はい、それはすでにうかがっておりますわ」
王弟殿下は視線を正面に戻すと、背もたれに寄りかかったまま言った。距離は取っているが横に並んで座っているため少し話をしづらい。体を斜めに向けてはいるが、どうにも王弟殿下の表情が見づらいのだ。覗き込めば見えるのだろうが、それはそれでどうなのだろう。
「そうだな。お前の見合いも無くなってる。断る断らないじゃなく、消滅だな」
「消滅でございますか?」
「ああ、ウィルミントン令息は嘆願通りウィルミントンから除籍になった」
除籍とはつまり、籍を外されるということ。ウィルミントンの家系図から名前が消されるということだ。
「平民になられましたの?」
「ああ、平民になった上で神殿に放り込まれる」
「まぁ、神殿に」
「市井に放逐すると何をしでかすか分からないからな、これ以上やらかさないように実質、監禁だな」
ずいぶんと穏やかでは無い話にグローリアはぱちくりと目を瞬かせた。除籍になるようなことなので当然穏やかなわけもないのだが。
「やらかす…でございますの?」
難しい顔をして正面を向いている王弟殿下を見やると、王弟殿下はちらりとグローリアの方へ視線をやり、そうして再度前を向いた。
「あー、そうだな。色々あるんだが………簡単に言うと、あの年ですでに庶子が五人いる。分かってるだけでも」
「なんですの!?」
「ちなみにだが、被害者は被害当時ほぼ十代で一部は上手く言いくるめて一部は同意の上ですら無いらしい」
開いた口が塞がらないとはまさしくこういうことを言うのだろう。グローリアは目も可能な限り大きく見開き、扇を開くのも忘れて口もぽかりと開いてしまった。
「は………な………!?お待ちくださいませ、わたくし、そのような……っ、方とお見合いをさせられましたの!?」
ぞわり、と全身に鳥肌が立った。茶会での見合いで本当に良かった。そのような相手とふたりきりの見合いなど、想像するだけでもグローリアの背をおぞましさに震えが走る。
「あー、まぁ、あれだ。事前には言えなかったがお前を餌にして引っ張り出したんだよ。お前の見合いも実際には名目だったわけだ」
正面を向いたまま言い切ると、王弟殿下はカップを上から掴みそのままぐいっと飲み干した。ベンジャミンがすかさず次を注いでいる。
「なんてこと……仰ってくだされば良かったのに……!」
「いや、俺がそれを聞かされたのも当日の朝なんだよ。俺に先に言ったら阻止されるからって」
またちらりとグローリアに視線を向けると、王弟殿下は苦虫を噛みつぶしたような顔で「ったく、ふざけんな」と小さく呟いた。
「は……なぜそんなことに?」
「どこまでが本当か分かってなかったんだよ。庶子についても訴えはあったが証拠が無くてな。その他の問題についても証拠が無かったから無理やり拘束ってのもできなかったらしい」
「証拠が無い?」
「ああ、アレはクズの上に阿保だがそういうところだけは知恵が回るらしくてな。うまいこと追えないように隠ぺいしてた」
「まぁ………」
現場を取り押さえない限り、こういった類は立証が実に難しい。たとえ生まれた子がウィルミントン令息と同じ色でよく似た顔立ちでも、似ているだけだと言われればそれまでとなる。特に、女性側の立場が弱ければ弱いほどだ。
「茶会でお前に無礼を働けばそれを理由に間違いなく拘束できる。それも含めての打診だったらしい」
「それの発案は?」
「………聞くか?」
「………一応」
「兄上だな」
「ですわよねぇ」
効率、という意味では間違っていない。それほどに女性が好きならば国一番の美姫と名高いグローリアは良い餌となるだろう。それにしても、だ。国民を一体何だと思っているのだろう。せめて先に知らせて欲しいというものだ。
「正確には、ウィルミントン令嬢がずっと動いてたんだよ。これ以上被害者を増やすわけにはいかないってな。父親のウィルミントン海洋伯にも何度も訴えたらしいんだが、証拠が出ない以上は…ってな。息子を最後まで信じたかったんだろうな」
その気持ちが分からないわけでは無い。疑わしいとはいえ明確な証拠もない。しかもことがあまりにもことだ。もしも令息…いや、すでに平民になったのであればジャーヴィスが家では決して悪い様子を見せなかったのであればなおさらだ。
「それで被害が大きくなっては意味がございませんわ……」
「そうだな。で、父親が全く動かないから埒が明かないと、ウィルミントン令嬢は兄上に直訴の手紙を出した」
「直訴ですの!?」
何という行動力だろう。行政機関を通り越して国王陛下への直訴。とはいえ、国王陛下へ宛てられた手紙は全て一度開封し確認してから陛下へ渡すかどうかが決められる。その時点で内容がこのような嘆願であれば、まずは必ず王妃殿下の耳に入るはずだ。けれど、話を聞くに王妃殿下は国王陛下が動くまで何も知らなかったようだった。
「ああ。本来であれば国王執務室か宰相室の事務官が全ての手紙を確認するから直接兄上には届かないはずなんだがな。ウィルミントン海洋伯家…というか、東西南北を守る四家には特別な手段が許されてる」
「黒金封蝋………」
「そうだ。国から四家にだけ支給される特殊な封蝋。それを使って各家の印章を押せば国王へ直通の最速便で手紙を送ることができる。国王以外誰も開くことはできないし、万が一開けばどのような理由があれ厳罰に処される。ああ、ちなみに俺と義姉上、オリヴィアと、それから叔父上…ウェリングバロー大公も黒金封蝋を使えるな、王族として」
他国からの侵攻などの急を要する有事の際の特別手段。ゆえに、許された家の中でも使える者は非常に限られる。
「ですが、黒金封蝋は当主しか使えないのでは?それこそ厳罰対象でございましょう」
「その通りだな。だが、あまり知られていないが直系であれば使える抜け道がある」
「抜け道でございますか?」
「当主が動けない状態であり、かつ、その直系が執務を代行している場合、使用することが可能なんだよ」
なるほど当主が動けないときに執務を代行しているのであれば、その者がその場での最高責任者となる。有事の際は動けない当主の回復を待つ余裕はない。当然そういう扱いになるだろう。
「つまり、ウィルミントン海洋伯が動けない状態にあった、ということでございますの?」
「そこも少し難しいんだがな………あそこは海賊の討伐もやってるのは知っているか?」
「はい、存じております。北が辺境と未開地を、南が少数民族国家との折衝と境界を、東が特に大国との国境を守ってくださっているのと同じように、西は海を守ってくださっていると」
この国はそれなりの大国とはいえ東西南北、それぞれに脅威を抱えている。北東に国を構えるベルトルトたちがこの国と強い国交を結びたいのもその脅威のせいだ。
「そうだ。ウィルミントン海洋伯は伯爵ではあるがどちらかというと戦士の気質なんだよ。だから海賊討伐には自分で兵を率いて出る」
「まさかその間の執務を担っていらっしゃるのは」
「いや、普段は奥方が担ってる。だが二月に大病を患ってな、しばらく療養してるんだよ。その間は本来であれば成人してるアレが担うべきなんだがアレがアレだからな、令嬢が担ってた」
アレがアレ。とはつまり、ジャーヴィスはウィルミントンの中でもそれなりに問題があったということなのだろうか。詳しいところが分からないが、それよりもグローリアはウィルミントン令嬢が気になった。
「まぁ、令嬢はわたくしよりも年下でいらっしゃいますわよね?」
「おう、ひとつ下だな。あそこは昔から女傑揃いなんだよ…ほぼ海賊だからな、ウィルミントン自体が」
「だから令嬢はあれほど凛々しく堂々としていらっしゃったのですね」
国王陛下の前で凛と立ち口元に微笑を浮かべ堂々と振舞ったウィルミントン令嬢を思い出してみる。何度思い出してもグローリアはあの深い青の瞳を美しいと感じるのだ。また会えるだろうか、グローリアはそう、密かに思っている。