55.幸せ者ですわ
「うっわ。あれですか、ベンジャミンさんが言ってたムッツリって」
「ええ、ほんと、ただのムッツリヘタレですからね」
「おいお前ら聞こえてるからな、って言うかそんなんじゃねえ」
またも後ろから側近ふたりの大きなひそひそ話が聞こえた。
「ムッツリって何ですの?」
何度も出てくる単語が気になりグローリアが聞くと、王弟殿下が心底嫌そうに顔をしかめた。
「お前は知らなくていいグローリア。あまり良い言葉じゃないからな?公爵が泣くぞ?」
「あら、お父様を泣かせるのは結婚式だけにしておきたいですわね」
「あー…お前の結婚式とか、公爵もお前の兄どもも号泣しそうだな………」
「ええ、ただでは済まさないとお父様が」
グローリアが直接言われたわけでは無い。まだグローリアが学園に入る前、たまたま父と兄たちが何かを囲みつつグローリアの結婚の話をしているのを見かけたことがあるのだ。ちなみに、次兄は潰すと言っていた。長兄はにこにこと良い笑顔で笑っていたが、何だか物騒だと思ったのを覚えている。
「死にませんか?」
「手加減ぐらいはしてくださると信じましょう」
「そうですね、死なれるとちょっと困りますもんね」
「まぁ!大げさですわ!」
いくら父や兄たちがグローリアを溺愛しているとはいえ、グローリアの夫になる人に危害を加えることは無いだろう。何だかんだでグローリアが悲しむことは絶対にしないのだから。
「いや、相手によっちゃ何にも大げさじゃないと思うけどな……」
「え?」
ぼそりと呟かれた言葉にグローリアは王弟殿下を振り向いた。
「いや、お前は愛されてるなって話だよ」
ふっと苦く笑うと、王弟殿下はグローリアの頭をぽんと撫でた。
「はい、わたくし愛されておりますのよ。家族にも、大切な友人たちにも。とても幸せ者ですわ」
ふふ、とグローリアが笑うと、王弟殿下もにっと笑った。
「そうだな、それだけじゃないぞ?」
「そうだと良いなと思いますわ」
「そっち、向いてみろ」
「え?」
言われて王弟殿下の視線を追うと、王弟殿下の側近たちがグローリアを優しい目で見ていた。思わずぱちくりと目を瞬かせると、アンソニーがにっこりと笑った。
「僕、グローリア様とお話しできるようになって嬉しいです!ポーリーンさんへのお土産話もできますし!!」
「うちの体ばかり大きいだけの仔獅子の面倒を一緒に見ていただけると大変ありがたいのですが……定期的に通っていただけると大変助かります」
「はい」
ベンジャミンが困ったように笑いちらりと王弟殿下を見て肩を竦めている。ジェサイアは少しだけ口角を上げて小さく頷いた。
「あー、まぁ素直じゃねえやつらだけどなぁ。どうだ?」
こいつらだってお前の味方だろ?そう言って王弟殿下は笑った。もう一度彼らを振り返ると、アンソニーは「はい!」と笑い、ベンジャミンも口元に微笑みを浮かべて目を閉じ胸に手を当てて小さく頭を下げた。ジェサイアはすでに無表情に戻っていたが、はっきりと、大きくゆっくりと頷いた。
「………幸せ者だと、思いますわ殿下」
「おう、それで良い。俺もそれが良い」
グローリアが眉を下げて振り返ると、王弟殿下は笑いながらまたグローリアの頭をぽん、と撫でた。
「ヘタレなりに頑張りましたねレオ様」
「必要な話は一個もしてませんけどね」
側近たちの大きなひそひそ話は王弟執務室では日常会話なのだろうか。半目になりながら側近たちを見ると、ため息をついて王弟殿下が言った。
「あー、そうだったな。茶会の時の話をしないと、な」
「はい、では……きゃっ」
グローリアが立ち上がり元の場所へ戻ろうとすると、ぐいとまた腕を引かれた。突然のことに自分を支え切れずグローリアは勢いよくぽすりとソファに崩れ落ち、王弟殿下の方へ倒れてしまった。
「申し訳ありません、殿下!」
「いい、ここにいろ。ベンジャミン」
王弟殿下は座ったまま腕だけでひょいとグローリアを抱え上げて座り直させるとベンジャミンに目配せをした。目配せをされたベンジャミンは少し不機嫌そうに頷いた。
「はいはい、止めますからね」
グローリアが元々座っていた場所のカップと皿を片づけつつベンジャミンが言うと、王弟殿下もまた少し不機嫌そうに言った。
「止められることにならねえよ」
「どうだか。今のもはっきり言ってアウトですよ」
「げ……まじか」
ぎょっとしたように少し仰け反った王弟殿下を再度不機嫌そうに見やると、ベンジャミンはグローリアを振り返りにこりと笑った。
「グローリア様、こちらどうぞ」
湯気の上がる新しいお茶のカップがすっとグローリアの前に用意された。ベンジャミンはそのままじっと、観察するようにグローリアを見つめている。
「えっと、はい?ありがとうございますベンジャミン様?」
なぜ見られているのか分からずグローリアが首を傾げながら礼を言うと、ベンジャミンの眉がへにゃりと下がり悲しそうな顔になった。
「嫌だったら、殴って良いのですからね」
「え、殴るですの?」
ずいぶんと物騒な言葉にグローリアが目を瞬くと、それのことです、とベンジャミンが王弟殿下を小さく顎をしゃくり視線で示した。
「ええ、無理そうならジェシーに手を振ってください。ジェシーが代わりに殴りますから」
「はい」
ジェサイアが声を出して返事をした。合図をすればグローリアに代わり王弟殿下を殴ってくれるということか。どういう状況なのかグローリアには分からないが、不敬にはならないのだろうかと心配にはなった。
「ええと、はい、分かりましたわ?」
分かりはしないがアンソニーもまた真剣な顔で頷いているため、グローリアはとりあえず了承することにした。
「だからしねえって。お前らも居るだろう」
「居なければなさるんですか」
「だーかーらー!」
淡々と言葉を重ねるベンジャミンに王弟殿下が半目になっている。先ほどから何の話をしているのか分からず、グローリアは王弟殿下に聞いてみることにした。
「殿下、何をですの?」
「うん、いや、お前をいじめるなって話だよ」
「わたくし、いじめられますの?」
「しねえよ、だから………」
王弟殿下が疲れたように脱力して背もたれに寄りかかり天を仰いだ。にこにこと笑っているベンジャミンとアンソニーを見るに、ただただじゃれ合っているのだろう。ここの主従は本当に仲が良いのねと、グローリアは微笑ましく思った。
自然と頬が緩むのを止められない。いや、ここでは止めなくても良いのだ。グローリアは心のままににっこりと笑った。
「ふふふ!ならば良いのですわ殿下。さぁ、教えてくださいませ、あのお茶会の裏のお話」
にこにこと詰め寄るグローリアに、あー、はいはい、と面倒くさそうに言いつつも王弟殿下が笑った。仕方ないなぁ、と表情が言っている。
「え、あれ、素なんですか?」
「ええ、素なんですよ」
「天然小悪魔ってやつですか?」
「女神ですから更にたちが悪いです」
「夜会とか出るようになったら絶対にまずいですよね」
「ええ、非常に。防衛線だけは張っておかないと」
今度は正しくひそひそと側近たちが小さな声で話している。ところどころしか聞こえない声に、グローリアは首を傾げた。
「…?夜会ですの??」
「おいこらグローリア。気を散らすな。茶会の話だろ」
ついついグローリアがベンジャミン達の方を振り向くと、王弟殿下にきゅっと頬を摘ままれた。
「あ、申し訳ございません殿下。何でしたかしら?」
「まだこれからだよ」
やはりどこか不機嫌そうに王弟殿下が目を細め、新しいお茶に手を伸ばした。
「嫉妬ですかね?」
「しー、アニー。そろそろ始めさせてあげましょう」
今度のひそひそ話は大きな声だ。グローリアにもしっかりと聞こえた。
「……くっそ、覚えてろよ……」
カップを音もなくソーサーに戻し、王弟殿下が小さく呟いた声はグローリアにはもごもごとよく聞こえなかった。グローリアが聞き返そうかと思ったところ、王弟殿下がぽん、と両手で両膝を叩いた。
「でだ、茶会だな」
「はい、お願いいたします」
何から話すかぁ、と王弟殿下が腕組みをして目を閉じ、また天を仰いだ。




