53.ポーリーンと一緒
「来たな、グローリア」
扉をくぐると今日も王弟殿下は開口一番そう言った。基本、まともな挨拶は期待してはいけないということをグローリアは学んでいる。
「ごきげんよう、殿下」
軽くカーテシーをすると、ベンジャミンがまたグローリアの手をするりと取った。
「グローリア様、どうぞこちらへ」
そのまま応接セットへと導かれ、定位置となったソファへと腰を落ち着ける。
「ありがとうございますベンジャミン様」
グローリアが礼を言うと、ベンジャミンはお茶をお持ちしますね、と微笑んだ。
「お、名前で呼ぶようになったのか?」
執務机から立ち上がりぐーっと腕を上げて背を伸ばすと、王弟殿下もグローリアの前にどかりとまた乱暴に座った。
「先ほどお許しいただきましたのよ。ね、ベンジャミン様」
「ええ、グローリア様」
グローリアが見上げると、その通りとばかりにベンジャミンがグローリアを軽く覗き込み頷いた。そうしてちらりと王弟殿下に視線をやると、ベンジャミンはすっと、更に目を細めてにっと笑った。
「よろしければオルムステッド様とスタンリー子爵もどうぞグローリアとお呼びくださいませね」
今日は珍しく執務室にスタンリー子爵がいる。スタンリー子爵はアンソニー・オブライアン。王命で結婚したポーリーンの旦那様だ。
「ジェサイアと」
ほんの少しだけ口角を上げ、ジェサイアが名乗った。グローリアも名で呼んでいいということなのだろう。これからはきっとグローリアのことも名で呼んでくれるはずだ。イーグルトンとすら呼ばれた覚えが今だに無いのだが。
「ありがとうございます、グローリア様!僕のことはどうぞアニーって呼んでください!駄目ならアンソニーで!」
ぱっと、嬉しそうに笑ったアンソニーが愛称で呼んで欲しいと綺麗な濃い青の瞳をきらきらと輝かせた。ほんの少しだけウィルミントン令嬢よりも濃い青だ。あちらは凛々しかったが、こちらはずいぶんと愛らしい。ずっと年上のはずなのに何だかまるで子犬のようだ。
「ありがとうございます、ジェサイア様、アニー様」
せっかくのポーリーンの旦那様からの提案だ。断るのも残念な気がして、グローリアは愛称で呼ばせてもらうことに決めた。
「はい!!あの、グローリア様は今日は騎士団には……?」
にこにこと笑っていたアンソニーの表情がふっと、少し悲しそうなものに変わった。騎士団にはポーリーンがいる。やはりまだポーリーンとはうまくいっていないのだろうか。
「ちょうど友人と今日伺う予定だったのですが、こちらにお呼ばれしましたのでわたくしの名前で焼き菓子を友人に託しましたのよ」
「あー……レオ様のせいですか」
アンソニーはぐっと眉を寄せ半目になってちらりと王弟殿下を見た。声もオクターブひとつ下がった気がする。
「おい、アニー言い方」
むっと唇を尖らせた王弟殿下にアンソニーは更に目を細めると、ぱっとまた子犬のようなきらきらとした瞳でグローリアを振り向いた。
「あの、グローリア様、良かったらお時間のある時に鍛錬場に顔を出してあげてくれませんか?」
「え?何かございまして?」
胸の前で腕を組み懇願するように眉を下げたアンソニーに、グローリアは何かあったのかと少し身を乗り出した。
「はい、あの、ポーリーンさんが、最近グローリア様のお顔が見えないって寂しがっていたので……」
「まぁ!ポール卿が?」
「はい。ポーリーンさん、公爵家の甘いお菓子もしょっぱいお菓子も大好きだって言ってたんですけど、やっぱりグローリア様のお顔が見えるのが一番嬉しいと思うので……」
しょんぼりと肩を下げて言うアンソニーに、申し訳ないがグローリアはほっとした。ポーリーンとの間に会話があるということだ。
グローリアたちが春休みの間にポーリーンは騎士の寮から子爵邸へ移ったと小耳に挟んでいた。王命で夫婦になった以上そう簡単には離婚すらできない。どうせなら幸せであって欲しいと、グローリアもずっと気にはなっていたのだ。
「分かりましたわ。来週はわたくし、必ず鍛錬場に参りますわね」
「ありがとうございます!土曜日ですよね?」
「ええ、いつも通り土曜日に伺いますわ。焼き菓子も持って」
「はい!ポーリーンさんにも伝えますね!!きっととても喜びます!!」
「こちらこそありがとうございます。わたくしもそう仰っていただけてとても嬉しいですわ、アニー様」
こうして今日話したことをポーリーンに伝えることもできるのなら、きっと子爵邸では悪いようにはなっていないのだろう。直接聞けるほどアンソニーともポーリーンとも深い繋がりは無いが、端々にうかがい知れるアンソニーの嬉しそうな様子にグローリアはポーリーンも幸せであることを祈った。
「あの、様もいらないですよ?」
アンソニーがにこにこと笑いながら小首を傾げて言った。愛称呼びでも驚きなのに、まさかの敬称抜きの提案だ。いくらポーリーンの夫と言えどさすがにそれは承諾できない。
「それはできませんわ。わたくしはただの公女ですもの。ご自身で爵位をお持ちの方の愛称を呼ばせていただくだけでも特別ですのに、敬称をはずすなどできませんわ」
実際、グローリアはただの公女ではなく順位は低いが王位継承権を持つ公女だ。通常は高位貴族の令嬢令息よりもたとえ男爵でも爵位を持っている者の方が立場は上だが、グローリアは準王族扱いとなるため爵位持ちよりも少しだけ上の扱いとなる。
グローリアは継承権を気にしていないため通例通り爵位持ちの者を自分の上に置いている。対外的には公爵家の者であるため王族以外には頭を下げないようにしているが。その辺りのさじ加減は爵位や序列だけで決まらないので貴族というのはどうにも難しくややこしい。
「あー、真面目だな…ポーリーンさんと一緒だ………」
ぽつりと、アンソニーが呟いた。最後の方は口の中で呟かれたためいまいちよく聞こえない。よく見ると笑ってはいるが先ほどより目が大きく見開かれ少し瞳孔が開いている気がする。
「え?」
「あ、何でもないんです!そうですよね、すいません。僕嬉しくてつい欲張っちゃいました!」
にこりと、またアンソニーが嬉しそうに笑った。先ほどと変わらぬ可愛らしい笑顔に、グローリアはきっと光の加減だろうと納得した。
「ふふふ、良いのですわ。お気持ち、ありがたくちょうだいいたします」
グローリアもまた微笑むと、後ろから不機嫌そうな王弟殿下の声が掛かった。
「おい、騙されるなよグローリア」
「レオ様はちょっと黙っててください」
「声が変わってるぞアニー」
「良いんですよ。グローリア様が笑ってくださってるんで!」
確かにまたオクターブひとつ声が低くなっている。どうも王弟殿下仕様の声のようだ。どちらが本当の声かなど、無粋なことを聞く気はグローリアには無い。
「いや何だこれ、うちの側近どもは俺よりグローリアかよ」
「当然ですね」
「当然です!」
「はい」
「お前ら、俺の扱い!!」
王弟殿下の側近たちの声が揃う。ほとんど気配を感じないジェサイアさえもが言葉を発し頷いている。その様子があまりにも微笑ましくて、グローリアは扇を開くのも忘れて本気で笑ってしまった。




